2010年12月11日土曜日

子育て考。

世の中、子供の虐待だの、最虐待だの。。と子供をかわいがれない、そして、子供がのびのびと、育っていかれる環境を、はぐくめない大人が増えてきているみたい。。。

でも、これって、ある意味、その大人を育ててきた大人たちの、そして、はぐくんできた社会の責任を無視できない。と、私は思います。

今の20代の人達って、親が引いたレールに乗って、言われたとおり、言われるがまま、詰め込み教育という手法の元、周りを蹴落とし、勝ち負けの尺度の中に、生きてきちゃっているんじゃないでしょうか。(もちろん、皆がみんなじゃないですよ。。)

豊かだった(過去型)日本の中で、高学歴、高収入に、つながるであろう (と、その当時の親、社会の幻想で、そう思われていた)学校や、会社に入れる。。ってのが、親としての教育の目的になっていたような社会だった気がします。

そんな環境にいたら、人は、自分の利ばかりを追い続けていて、自己犠牲や、手をかけ、時間を、そして、心をさき、命を育むなんて、経験のかけらも、もっていなかったり、発想すら出来ない大人になっているんじゃないでしょうか。

『大人になる、子供を作る、子供を、そして人を育てる、親になる、親をする、』ための、知恵を、授けるような時間を、当時の大人が作っていたとは思えないんです。 (これは、決して、学校や、政治の責任ではないんです。人として、大人としての責任の問題。)

敗戦後、核家族化が進み、おじいちゃんの知恵は、敗戦と伴にほおむられ、おばあちゃんの知恵は、それを、つなぐ場を奪われた。

今、また、経済の落ち込みと、人々の発想力の落ち込みと、いろんなことを鑑みると、また、昔みたいな、3世代同居、そして、大家族型の、支えあいと知恵の構築の場の復興が、必要になる時代が来る。。気がするんです。。。

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私は、子供心に、時として、ゆがんだ、衝突、不理解、無関心、悲しみの漂う、家庭環境の中にいたけど、その分、『こんなことはしちゃいけない』とか、『こんな風になっちゃいけない』とか、『こういう悲しいことがあると、子供はこんな風に傷つく。。。』と、身をもって、学んでいた時間が、ちょこちょこっていうか、集中的にある時間があった。 (母親には、めちゃくちゃ、大事にしてもらっていましたが。。)

生い立ちの中で、親と子、嫁姑、夫婦の関係やあり方を沢山考えさせられる時間があったんです。

だから、初めは、親の無い子供の、養護施設で働いてみたいと思っていた時期があった。(家族を生来持たない子供と、悲しいつらい家族を持つ子のどちらが、不幸か、幸せか。。なんて、考えてた時もあったっけ。) それから、子供に関わる仕事の一つとして、YMCAで、健常、及び、障害のある子供達とも関わった。。。

精神発達障害のある子供との、生活と教育を通して、人は、どう育ち、物事を理解したり、できなかったりするのか。。ってことも、沢山学んだ。

1.子供は、親や、社会が育む環境に、大きく左右される。

2.コントロールドラマにとらわれた関係の中で、育った子は、ゆがむ。
  親、社会、教師の、短絡的思いや、理想の『型はめ』は、子供の本来もった力をゆがめる。

   ああしろ、こうしろ、こうするべき、こうしてはいけない。。。<<<って言葉を使うとき、その『言葉の力』を行使しちゃいけないんです。必ず、『なぜか。どうしてか。。』の、背景と、意味、理由を伝える努力をしないといけない。

   (数学の問題だって、全部そうです。ドリルで数をこなせばいい。。てのは、短絡的で、なぜ、その公式を使うかの意味と理由と、理屈が、ちゃんと分かったら、数練習する必要はあまりない。)

3.人間の子供には、生まれながらにして、それぞれに、偉大なる叡智の種が、仕込まれている。
  親は、その種が、どう育ち、開花するかを、見守り、はぐくみ 応援する。。。 
  (往々にして、種から、親が”植えてあげないと”いけないと勘違いしている大人が多いように、私には映ります。)

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偉そうなことを書いたけど、私は、あかりを、『精神発達遅滞』の子供を育てるのと同じ要領で、感覚的に、はぐくんで来てしまったかな??って部分が大きいんです。。というか、それまで、自分の中にあった、感覚や、経験が、人を育む哲学みたいな形に、あそこの施設時代に、色々さらに、学び、まとまっていったので。。。

昼、夜の区別をつけるために、昼間は何時も、リビングで、テレビも普通の音、掃除機もがーがー掛けて、うるさい環境で、昼寝はさせて、夜は、暗い静かなベットルームで。夜ないても、夜と知らせるために、電気はつけず、おっぱい終わったら、極力遊ばず、静かに、私が、ライオンの母状態で、横で、『今は、遊んだり、かまわれる時間ではなく、寝る時間』と、背中をそっとさすりながら、必要以上にはかまわず、私が寝る姿を見せ伝えた。。

ミルクは食事で、おっぱいは甘える道具ではない事を伝えるために、食事時間以外に、おとなしくさせる”手段”としての、おっぱいは使わなかった。 (食事としての、おっぱいタイムと、日中の関わりの時間に、十分のスキンシップと、言葉以外のコミュニケーションの時間を ちゃんととることを前提で。) 

目で、あやし、遊び、直接抱いたり、ゆすったりしなくても、『いつも見てるよ。。。』っていう安心感を、遠くからも、伝えられるように、何時も見守った。。 だんだん、遠くからも、目 (アイコンタクト)だけで、コミュニケーションが取れるようになった。。

上手く眠れない時は、寝かせる努力ではなく、かまい、遊び、疲れさせ、満足させて、眠くさせる努力をしようと思った。。そして、静かに、安心できる、眠りに落ちいれる状態を、作る努力をした。 

赤ちゃん言葉はなるべく使わないように、気をつけた。。小さい時から、一人の人間として、大人に話すのと同じ、言葉で、難しい単語もどんどん使った。 長いセンテンスを沢山聞かせた。(これは、施設で学んだというより、初めてカナダに来た時の、YMCAキャンプから、気づかされた姿勢。大人も子供も目線が、一緒の高さ。。っていう。)

オムツ換えは、スキンシップの時間。 きれいさっぱり感を、一緒に楽しむために、一杯さすったり、笑いかけたり、裸で、足の体操をさせたり、関わりまくった。 トイレトレーニングや、歯磨きの習慣、朝、夜の着替え、食事の時間と食べ方のしつけは、まったく、施設でしてたのと同じように、場面をキチンと決め、だらだらした例外の場面を作らないようにしたり、歯磨きは、歌を歌ったりしながら、一緒に手添えで、楽しくやった。。。

(良く、うろちょろする子供を、親が追いかけて、スプーンで、食事を口に運んでいる場面を見ますが、あれは、子供にとっては、『遊んでいても食べさせてもらえる。親は、自分のしもべ。』と学んでしまう場面です。食事は、テーブルに付き、ちゃんと静かに座っている時にしか、食べられない。。一度でもテーブルを立ったら、すぐそこで、『ご馳走様』のあいさつをし、次の食事で、『頂きます』をするまでは、本当に何も食べられない。と、体感させる (気づかせる)と、すぐしつけられます。IQ判定不能の子供でも。 下手したら、4-5日、栄養不足になろうとも、親には、例外を作らないという覚悟は必要です。人間、そんなに簡単には、死なないので、キチンと、描きと愛を持ってする『しつけ』の覚悟の上だったら、必ず大丈夫ですよ。そして、些細なことでも、出来たら、ほめる。一緒に喜ぶ。そういう、場面場面で、親のしつけと声かけが、ちゃんと響き、できるようになった喜びを分かち合える子供は、後々も、親子間の、コミュニケーション構築が、必ず、楽にできるようになるはずです。)

人と関わることは、暖かく楽しい。。だれかが、自分を思って接してくれる。しつけてくれる。何時も誰かが、見守ってくれる。そんな中で、一人で『出来る』、『ほめてもられる』ことが、増えていく。。。。。こういう言葉にならない感覚を、小さいうちに、母子間で、沢山、体感し合えると、(母子関係が、人が、この世で、最初に構築する人間関係ですからねぇ。。)それが、次に、父子、兄弟間、友達間、親戚、同僚、社会の人達とつながっていく時の礎になる。。と、私は、思っています。 (私は、濃厚には、職場復帰前の2年しか 時間を費やすことが出来なかったですが。。。) 世の中の、お母さん、みんな一緒に、がんばれ~~~~がんばろ~~。 

言葉で、コミュニケーションが、とれるようになった後は、親が、日々、じたばたと、生身の人として、まだ、未完成ながら、働き、学び生きている。。という姿を自然体で、見せることが大切。。と思います。。

親が、決して、出来上がった、完璧な、人としてのモデルではない。親も、まだまだ、知らないことも、分からない事も、あって、個性的、個人的にもがいている。。。って、子供は知ったほうが、ワイルドに、そして、ナチュラルに、人間本来の道を歩けるんじゃないかと、私は、思っています。

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ある意味、どこか施設の子のように????育てられちゃった、我家の娘。でも、じわじわと成長を見せ続けてくれています。。。。

今週は生まれて初めて、バイト先のスタッフクリスマスパーティーにお呼ばれして、50人もの大人のスタッフに囲まれて食事してきて、『あんなに、沢山の酔っ払いを一遍に観たのは初めて~。。』って。。。。

ちょっとづつ、大人社会にも、進出しつつ、高校卒業後の自分の時間をどうするか。。を、考えなくてはいけないステージに近づきつつあることにも、気づき始めている。。。。

私が、そうやって、親元を、旅立った日があったのと同じように、時代はめぐり、あかりの巣立ちの日へと、世界は巡っていくようです。

バレーボールに、今は、バスケットに、チームメイト、同級生との時間を楽しみ、勉学はそこそこだけど、週一回のアルバイトで、自分のお小遣いも稼ぎ、たくましい娘。

今年の夏休みで、Candy Shopのバイトは、終え、今は、町のスーパーのレジ娘をしています。。。

小さな町なので、『あかりちゃん、ネスタースのレジで、見た~~。』って、声を、しばしば聞くようになりつつあります。。。地元の皆様。まだ、経験が浅いので、大きな粗相の無い限り、暖かく見守ってあげてくださいませ~。 (もちろん、何か、ミスがあったら、ちゃんと指摘、教育的指導してあげてくださいね。。。”怒り”をぶつけちゃう前にぃ。。。。)

本日も、なが~~い、記事に、お付き合いくださって、ありがとうございましたぁ。 

2 件のコメント:

keto さんのコメント...

長かったけど一気に読めました。子育てに答えはなく、親も一緒に失敗し学びながら成長して行くと思っています。
私は子供達が大きくなってから障害児に接するようになり、そこで生まれてから3歳ぐらいまでの大事さを知り、自分の子供に悪かったなと反省もしています。
でもそんな体験を子供達に伝えてもいます。
3人の子供達が、将来家族を作ってどういう風に子供を育てるのか、まだおじいさんにはなりたくないけど楽しみにしています。

小粒 (こつぶ) さんのコメント...

Ketoさん。コメントありがとう。私も、死ぬほど赤ちゃんが好きなので、早く、孫を抱いてみたいですぅぅぅぅぅぅ。

できたら 『他人の子供でも育ててみたい!』衝動に時として駆られる私。すべてのこの世の赤ちゃんに、安心して、のびのび、個性を伸ばして生きられる世の中、つくる手伝いが何かしたいんです。