2011年9月5日月曜日

かやの外から。。

失礼します。

3月11日以降、日本のことをトピックにした記事、しばらく書いて、そして、しばらく離れていました。

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これから、私たち日本人、そして、世界は、日本とどう向き合って、付き合って、ひとりひとり生きていくんだろう。。

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そんな思いは、記事を書かない日が続いても、あの日以降、心から消えることはない。

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野生動物だったら、命の危機を察知したら、多分、生きる場を変え始めるだろう。
(残念ながら、日本の人は、それが、あんまり得意ではない。)

狩猟民族だった北米人は、この間のハリケーンの時、数十万人の人間が、NY州を初め、いくつもの州から、大渋滞を作りながら、住む場所を、後腐れなく、とっとと離れ、一時遠くまで、去った。。和歌山の人が、北海道へ避難するくらいの距離移動があったかもしれない。

公共交通機関も、全部シャットダウンしたんだから、大掛かりだ。TVで、その避難の状況が、写ったのを見たとき、私の心に、浮かんだ言葉は、『この人たち、あっさりしてるなぁ。。』って感じだった。

でも、それだって、逃げる場所が、地続きで、沢山あるから、出来た業だ。

今後、今回と同じ規模、あるいは、それより大型の台風が何発も来たとして、日本人は、北朝鮮へは、避難はできないだろう。。。(小さな島国の、物理的限界?? 心的限界??によって? 万が一、韓国、北朝鮮と、最高に、友好的な関係が、存在していたとしても、日本人の気質的に、他国にたよってまで。。と思うのかもしれないし。)

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放射能の恐怖が、それを語る色んな人が述べている意見のうち、チェルノブイリより最悪で、今後何百万の人がこのことをきっかけに、命を落とす。。という、一番ネガティブな想定が、もし、本当に起こることだと、断言できる人(は、絶対にいないんだけど、)が、仮にいたとしたら、日本人はどうするんだろう。

国に、永住先をそれぞれに決めてもらって、国外脱出を国策にするんだろうか?

そうだとしても、今だ、その暗黒の活動を終えていない、傷ついてしまった、福島のリアクター達を、未来永劫、おさめ、片付け、使用済み、あるいは、不具となった燃料を、危なくない形で、管理、保管、存在しつづけさせる。。を見守る番人を置き続けなくてはいけない。。そのために、核の知識専門家の数、技術師の数は減らすこともできないし、さらに、教育し続けなくてはいけない。

もし、これから起こる事実、現実が、『これくらいの放射能では、一生の中で、ガンを発生させる率が、あがるのは、せいぜい、50%。 それなら、ならない、50%に、残る努力をする。必要のない、不安やストレスを抱え込まずに、明るく生きること。私たちは、大丈夫。。』の意見が、正しかったとしたら、ストレス、不安、恐怖を、どう、払拭するべきなのか、そして、その方法論は、ちゃんとあるんだろうか。??

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そもそも、スピリチュアルな精神論、そして、心から、深くて、偉大なる神や叡智に対しての信仰心、そして、人間として、どうありどう生きるべきかの哲学を、敗戦以降、失ったのに、再構築してこなかった日本人には、とてつもなく大きな課題と、チャレンジが、このあと、それこそ目に見えない津波のように、襲ってくるだろう。 きっと、放射能問題が、連れてくる、課題、問題、人々に提示しつづけるチャレンジが、この先の日本人の、あり方、信念、そして、人種として持つ固有の文化すら、左右し続けるんだろう。

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先週、とあるカナダ人の同僚と、こんな話になった。
『今、カナダでは、日本の状況が、まったく、公的情報としては、一般市民には、入って来てない。。。日本の状況、わかるの?』

『インターネットや、ケーブルTVで、NEWSや、人々の反応は、私はつかめているけど。。。』

そう言う自分を、客観的に考えてみた。情報はあっても、日本人の今後への信念、誇り、哲学。。。って、見えてきてないし、言っている人によって、てんで、ばらばら。。。だなぁ。。と思った。

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とにかく、アインシュタインが、核廃絶を訴えて悲しみの中、この世を旅立ったという、意味に、立ち返ろう。。人類が、核を持ってしまったという事実は、まだ、現時点の人類の叡智と、物理的、技術的、倫理的レベルにおける、われわれ人類の限界。。から鑑みると、『冒涜』の域での、出来事だった。

全ての人類は、このわれらが奇跡、『母なる地球』への冒涜なる、技術を、便利という快楽さを追うという、言い訳の元、増やし展開してきてしまった。 自民党だの、民主党だの政党のせいではなく、全ての人類の、過ちだったのだ。

それに、本質的に気づいている人と、便利、快楽、経済発展、国際社会での地位。。の今まで - というより、311以前のすでに、幻なる過去の - レベルを固持。。という立場で、本質を見ようとしていない人達との間の、心的葛藤と、その全く対極なる二つの立場と、思いと、発想と、描きの、すり合わせが、日本人のこれからの課題だ。

お互いを、叩き潰して、己の立場こそが正しい、、と、端的な、勝ち負け、善悪を、勝負する発想では、きっと、日本の未来は、明るい方へは、転がらない。 転がりません。 

あえて、断言させていただきます。

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かやの外から、失礼しました。

4 件のコメント:

ジョ~ さんのコメント...

日本はこれからどうなるのか・・・。20年近く前に悶々と考えていたことを思い出します。(笑)
日本人の信念・誇り・哲学・・・。時代により変わるものでしょうが、少なくともこの60年以上はあまり変わっていないように思います。
敗戦後、深層意識に植え付けられた思想 ―国外に意識を向けず、内需拡大を第一とする― は、今も根強く残っているようです。利己的な考えですが、ぼろぼろになって敗戦した当時はそれが必要だったでしょう。
しかしそれからいまだに抜け出せない。

なにをするにも米にお伺いを立てなければならなかったので自分で決められなくなり、国の復興を目指していたのが、いつしか自身の復興に変わり、その保全を目指すようになった。さらに、自分たちが味わった苦労を子孫たちには味あわせたくないという意識が、子孫への強要を避けさせ、金銭的な補助を惜しまなかったためにニートや引きこもりが生まれる・・・。
では、今の若い世代が育てた子供は、どういう風に考えて子孫を残していくんでしょう?
反面教師という言葉があるように、いつか一念発起して方向転換してほしいと、かやの外にいる私は切に願います・・・。
日本に住んでいない日本人が、日本人であることに胸を張って生きていけるように。

小粒 さんのコメント...

個人レベルには、優秀な人も、一念発起している人も、いるんだよね。。それが、どうにも、大きなうねり、動きを生み出すところまで、来ていない。

でも、震災や、放射能で、今までの日本人が、誰も、『どう乗り越えたらいいか。』という、正解も、模範解答も、前例も持っていないことに、向かっていかなくてはいけないんだ。。っていう、腹くくるスタート地点にすら、あ~だ、こ~だ、と、レベルの低い個人批判に忙しく、たどり着いていない風。。。。。に、外から見えてしまう。。って現状が、悲しいかな。

筆武将 さんのコメント...

311。なぜ今まで気がつかなかったのか。結構、特別な数字だったのに。HOMEには元々「ふるさと」の意味もあるらしい。311H(ふるさと)。死ぬまで忘れないでいよう。

小粒 (こつぶ) さんのコメント...

久しぶり。。の筆武将(にしたのね!?)さん。311H。ホントだ。今、その偶然の一致?、数字と文字の響きに気がついた。。。。お元気でしょうね!?