2012年11月21日水曜日

哀れみ、慈悲の心と羞恥心。


その昔、メンタルハンディキャップの人たちとの暮らしに、指導員として関わっていたころ、今思い出しても、貴重でレアな経験やら、学びやら。。の多い毎日だった。

いろんなことを学んだり、覚えたり、身に着けたりして、その後、全部忘れても、それでも自分の中に残っていることが、その人の実力だ。。って、どこかで書いたことがありました。

年齢を重ねるうちに、

感謝や、謝罪、、がなかなか素直に出せなくなる傾向が、人にはあるように思う。

でも、それよりも、今の、この世知辛い生き残り競争、共食い競争、の中で、もっともっと難しくなっているのが、

哀れみや、慈悲の心や、その精神に乗っ取った生活マナーのような気がする。

そういえば、メンタルチャレンジの子らの指導員だったとき、

『彼らには、もっとも理解し難く、そして、教えたり、しつけたりするのが、もっとも困難なことは、羞恥心を学ばせることだ。。』 と、知らされた。

羞恥心がないが故に、見知らぬ男に付いていってしまい、婦女暴行事件がおきてしまう。(起こさせてしまう。) 辱められたという、心持ちにならないがために、知識のないまま、妊娠してしまう。 

そんな事態が発生することだって、あるわけです。

五体満足に生まれ、普通に教育を受け、衛生的な環境で、暮らせ、先進国に生き、日々の日銭に、困窮しない暮らしが営めている、ありがたい地位を享受している大人(世界全人口の上位20%だそうですよ。。)として、

感謝、

謝罪、

慈悲、

羞恥心。。

ちゃんと、己に、はぐくめているだろうか。。

次世代を担う若者に、継承できているんだろうか。


本日も、静かに、内観。




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