2013年1月17日木曜日

1月17日の、祈り。


1995年、1月17日。

カナダで、TV (カナダのNews) を、ぼんやりと、(英語がわからないから。。) 見ていた義理の母、(光のお母さん)が、

『なんだか、日本が大変なことになっている。』
『戦争でも、起きたみたい。。』

TVを、見ると、神戸のあちらこちらが、火の海になっている映像だった。

その月の、5日が予定日だった、あかりは、私のおなかの居心地が、良すぎて、いや、彼女が、のんびりしすぎていて、予定日をらくらく過ぎても、ちっとも出てくる気配がなく、バンフの病院で、超音波検査の上、『2週間、予定日を過ぎると、母体の、胎盤が弱り、栄養供給が悪くなるので、このまま、予兆がなかったら、18日に、病院に来てください。誘発します。』って言われてた私。

18キロも太って、パンパンのおなか。 

(カナダの医者は、のんきで、20キロ越えしたら、ちょっと食事とか、考えようか?? 妊婦が、手がむくんだりするのも、少々のことは、『妊婦だから、しょうがない』ってくらいの、指導だったので、後々、日本だと、10キロ太っちゃったら怒られる。。って聞いて、日本の妊婦さんは、かわいそうだな~~。と思いました。。それって、神経質なお母さんを作り出し、神経質な子供を育んだりしないのかなぁ。。とか。。とも思う。)

光には、時に、『それって、もしかしたら、赤ちゃんじゃなくて、太ってるだけぇ!?』って、からかわれ、

予定日前に、お手伝い!って、駆けつけてくれてた、光のお母さんには、毎日、毎日、

『今朝も、何も起こらないの?』

って、聞かれ。。。

お母さんは、毎日、食事作ってくれて、友達まで、招いて、日々宴会して、任天堂のゲームして、たばこすって、ひたすら待機。。。って時間をすごしているとき。。でした。

18日になって、朝、病院に入ってからも、バンフの病院の廊下のTVでも、ずっとずっと、日本からの映像が、流れていました。

海をはさんで、遠くに居たけど、たくさんの、たくさんの、命が、天に召されていった、その光景と、日本を満たした悲しい空気と、その地獄絵の中で、必死に生きようと、助け合う人と。

人の命の重さと、軽さ、大切さと、はかなさ。。

そんなことを、たくさん感じる、強烈なとき。。。でした。

あの日から、18年がたちました。

天に帰っていった、命と魂に祈ります。

そして、今を、生きている私たちは、協力して、理解しあって、力を合わせて、できること、できるだけして、最後のその時まで、生きていかなくてはなりません。

本当に、『ならぬものは、ならぬ。』 です。


 

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