2016年5月19日木曜日

ミュールディアに、思ったこと。

2016年5月18日。 水曜日。

朝、ちょっぴり早めの出勤で、車を走らせていたときのお話です。

センターに、上がっていく裏道?の、バンフ墓地脇を通りかかった時のこと。 一匹のかわいいミュールディア(ロバシカ)が、朝のお食事、草を食(は)んでおりました。

最初に、この町に住み始めた、四半世紀以上昔には、この鹿は、臆病で、警戒心が大きいので、人里、人目に触れるところで、見かけることは、ほとんどなく、道端で見かけても、すぐさま、森奥深くへと、逃げ込んでしまう。 

これが、常なる光景だった。 (何回か、この話題は、このブログ上でも、書いてますよね。)

ところが、ここ国立公園内の、ミュールたちは、公園内で、長年暮らすうちに、人が危険な存在である。という、認識を忘れて、(年々、目にする人間の数が、増え続けていく中) 彼らの脳には、人を見ても、逃げる必要なし。と、情報が上書きされてて、今朝も、この例に漏れず、ちら~っと、こっちを見て、私が減速して通りすぎるのを、平然と見送った。

今日、そしたら、私の脳裏には、4つの言葉が、連動して、浮かんだわけです。

『経験』 『想定』 『思いやり』 『マナー』 

1.経験することが、 そして、どんな経験をするかが、
2.個、はたまた種の、解釈と想定を脳に刻む。

そうだとしたならば、そう、想定しているミュールちゃんたちには、

3.思いやりをもって接しなければ、彼らの命を見守ることにならなくなっちゃう。
4.思いやりを持つため、いや、持った人間として生きる。 大切なのは、マナーだな。って。


そしたら、やっぱり、人間界でも、事は、一緒だろ。と、思ったわけです。

1.それぞれに、生まれ、おかれ、選び、選ばれ、恵まれた、はたまた流れ着いた場で、どんな経験をしているか。

2.その経験が、個の、はたまた人種の、解釈と想定を脳に刻む。(その解釈の具現が、文化ですもんね。)

3.だとしたら、それぞれに、解釈、想定している個、そして、種、(自分という、主体から、したら、異種だとしても) に、思いやりをもって、接しなければ、それぞれの、命と、その尊厳は、守られなくなってしまう。

4.ならば、そのために、人間は、個や、種を超えて、マナーを、構築することが、この先の未来を保全することに、本質的につながっていく。


ルールや、立法、ノウハウ、戦略、はたまた、権力での、牛耳り、戦争、じゃないんですよ。

これからは、人類を、豊かに、健康に保全するために、本質的に、必要なのは、いや、見直され、構築されなおされるべく、は、大人の、マナーです。

そして、未来に生きる、子供、若者たちには、出来たら、プラス思考で、いつかは、死という最後に向かっていく、この限られた人生の時間の中に、ず~っと、前見て、生きていかれる、『経験』の、場という、環境を、つむいで行きたい。。行けたら。。って、思うよね。 

そして、プラス思考で、生きていかれる最初の一歩は、人は、温かく、自分を見守ってくれている存在だと、経験すること。

まずは、国立公園内の、ミュールのように、人を疑わない、言い換えれば、人は、敵ではない。と、認識できる環境で、人間の人生の初期を、彩ることです。

そのためには、新生児、いや、遡って、妊娠期間から、いや、さらに遡れば、親として生きるべく人の、人としての、各種さまざまな、認識が、本質的に暖かいか。いなか。に起因していく。

循環している生命エネルギーの、生まれ出ずる、最初の瞬間から、暖かく、そして、うそや、偽りや、見てくれや、奪い合いや、肩書きや、表面的なことや、金銭的なことではなく、本質で、それぞれの、生命エネルギーの、炎が、安定して、豊かに燃え、燃え続けられるいろんな環境が、どうすれば、安定的に、多くの人間間で、共有できるのか。

ものすごく、深く、複雑で、解明困難な課題なんだけど、生命エネルギーの多様性と、その、保全、共生、共存、共栄のための、叡智を解く。 

これが、私が、これからも、学び、深め、そして、声を上げて、意識を向けて、そして、光を当てて、行きたいこと。 なんです。 

ミュールディア見て、ちょっぴりほくそ笑んでたのと、同時に、そんなことが、一気に脳裏に、噴出した、私。でした。



2 件のコメント:

ジョ~ さんのコメント...

うまいこと言葉をつなぎましたね~、そして鹿から世界平和への飛躍が め。さんらしい (^_^)b

私は・・・どれだけ「欲」を制御できるかが、これからの先行きを決めるのではと思ってます。
マズローの自己実現理論によると、人間は、低次元の欲求が満たされて初めて次の次元の欲求を欲するのだそうです(もちろん前提となる仮定はありますが)。最も低次元の生理的欲求を含めて下から4次元の欲求を「欠乏欲求」と呼ぶそうですが、これらを満たして次の次元の欲求、「存在欲求」の最初の次元、自己実現の欲求を求める人が増えないと(世界的には少数)、もしくは大半が生理的欲求を満たされない状態に陥らないと、現状を打破することは難しいのではないかと・・・。
め。さんを含む、「存在欲求」の次元に到達する人が増えれば、個人的にはおのずと争いは減っていくと思います。問題はどうやったら短期間で増やせるか・・・。
もう片方は、人災であれ天災であれ、ことが大きければ大きいほど実現確率は高くなりますが、どっちかというと避けたいですね・・・(;^_^A

小粒 (こつぶ) さんのコメント...

そうですね。

最近は、本能と、欲の、境界や、その生まれ方、その具現の仕方に、何が寄与しているのか、考えています。

食欲も、性欲も、自己の命を守りつなぐために、生まれついてというか、DNAに、長年刻まれつながれている本能。

でも、何かを境に、何かが、トリガーポイントを刺激して、必要以上にその欲望が、増殖、暴発する。

その、違いは、どこから、どんな解釈と、想定で、はじまるのか。 思いを巡らせています。

実際問題としては、短期間で、増やす。は、不可能でしょう。 でも、いつか、100年後か、200年後かに、大木になる、木の種づくりは、できるんじゃないかな。って、思っています。