ふたたび。。。ですが、やっぱり、時々、茂木さんの書く、連続ツイートに、反応しちゃう、そして、共鳴する自分を発見するんですぅ。。。。またまた、コピー&ペーストで、頂きです。
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(コピー始まり。。。)
連続ツイート セレンディピティ
わあ、冬の朝だ、しゅりんくっ、ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
セレ(1)偶然の幸運に出会うことを、セレンディピティ(serendipity)という。恋人との出会いから、ノーベル賞級の発見まで。セレンディピティがかかわっている。
セレ(2)イギリスの初代首相のロバート・ウォルポールの息子、ホラス・ウォルポールが、手紙の中で『セレンディプの三人の王子』という童話を引き合いに出して、「偶然幸運に出会うことをセレンディピティと呼ぼう」と提案してこの言葉ができた。
セレ(3)ホラス・ウォルポールはゴシック小説の作家だが、同時に手紙の名手。「世界は、感じる者にとっては悲劇だが、考える者にとっては喜劇である」という、しばしば引用される言葉を残している。
セレ(4)セレンディピティに恵まれるには、「3つのa」が大切である。まずは、action(行動)。何もせずに待っているだけでは、偶然の幸運には恵まれない。どんな理由、目的でもいいから、とにかく行動しなければならない。
セレ(5)セレンディピティに欠かせない二番目の要素は、awareness(気付き)。大切なことが起きているのに、それに気付かなければ、せっかくの出会いを逃してしまう。
セレ(6)気付きにおいて特に大切なのは、「周辺視野」である。今自分が注目し、向き合っているもの以外の、視野の端に見えているものにいかに気付くことができるか。
セレ(7)セレンディピティに欠かせない3番目の要素は、acceptance(受容)である。出会ったものが、自分の今までの価値観、世界観と相容れないものであっても、それを拒絶してはならない。受け入れて、自分が変わらなければならない。
セレ(8)ライワル・ワトソンの『未知の贈り物』(Gifts of unknown things)は、偶然の幸運との出会いと、その受容を描いた美しい自伝的小説である。
セレ(9)人間がセレンディピティを必要とするのは、つまりは開放系であり、動的システムだから。誰一人として、自分だけで完結している人などいない。
以上、セレンディピティについての、連続ツイートでした。
(コピー終わり)
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しゅりんくっ、ぷれいりーどっぐくん、おはよう!<<<ってこれは、誰に、何に挨拶してるのか、私には、分かってないです。。(読み逃ししてるんでしょうが。。)
と。に。か。く。。。。本日は、この3つのA。。。 これ、まじ、言い当てていますねぇ。。
Action (行動)
Awareness (気づき)
Acceptance (受容)
感性開いて、動き、気づき、受け入れて、人生というこの限られた時間の旅が、セレンディピティ(Serendipity)に、満たされていったら。。。。。。。。。。。。。。。。。。素敵ですよねぇ。
2010年12月13日月曜日
よっこらしょ。。。
40代も、後半になると、自分が、ふと、こんな音、発しているのに、気付いたりしませんかぁ?
『よっこらしょ。。』
数年前に、『ほたるのひかり』 見てからは、
『どっこいしょういち。。。。』 なんて、言っちゃったりして。
そうしたら、この前、光が、TV Japanで、なんだか題名は、忘れたけど、日本の映画観てたとき、英語の、テロップが付いてて、 『よっこらしょ。。』だか、『どっこいしょ。。』っていう掛け声のところに、" I am getting OLD!" って訳が付いてたんだって!!!!!!。
確かに、英語には、あんまり、こういう音や、動作を表現する言葉って、無いけど、それにしてもねぇ。。。。。。。。。。。
昨日も、Cool Japanで、日本語をテーマに話しがされてて、、擬音語、擬声語 (Onomatopoeia)を、オノマトペ。。って。 あかりが、そのカタカナの音を聞いて大~~~笑い。 日本語では、オノマトペって言うのぉ~~!?って。
確かに、カタカナ日本語が、日本人の英語の能力の成長、発達の足かせになっている。。ってのは、かなり明確になりつつある時代。。
でもぉ、日本の豊かな 『音』表現を、表す英語が、ない。。。ってのも、悲しいかな。
たしかに、全ての人は、日々、"getting OLD!" ではあるんですがぁ。。。。。。。
『よっこらしょ。。』
数年前に、『ほたるのひかり』 見てからは、
『どっこいしょういち。。。。』 なんて、言っちゃったりして。
そうしたら、この前、光が、TV Japanで、なんだか題名は、忘れたけど、日本の映画観てたとき、英語の、テロップが付いてて、 『よっこらしょ。。』だか、『どっこいしょ。。』っていう掛け声のところに、" I am getting OLD!" って訳が付いてたんだって!!!!!!。
確かに、英語には、あんまり、こういう音や、動作を表現する言葉って、無いけど、それにしてもねぇ。。。。。。。。。。。
昨日も、Cool Japanで、日本語をテーマに話しがされてて、、擬音語、擬声語 (Onomatopoeia)を、オノマトペ。。って。 あかりが、そのカタカナの音を聞いて大~~~笑い。 日本語では、オノマトペって言うのぉ~~!?って。
確かに、カタカナ日本語が、日本人の英語の能力の成長、発達の足かせになっている。。ってのは、かなり明確になりつつある時代。。
でもぉ、日本の豊かな 『音』表現を、表す英語が、ない。。。ってのも、悲しいかな。
たしかに、全ての人は、日々、"getting OLD!" ではあるんですがぁ。。。。。。。
2010年12月12日日曜日
休息の週末。普通~の日曜日。
2010年 12月12日。日曜日。
今週末は、特に予定が入らなかった週末。。
今日は、あかりがバイトに出かけたので、お休みの私と光は、家で、のんびり。
ランチの後、午後、体育館でのスロージョグ。。。。
今日は、何時もより すこ~し早いペースで走ってみました。 5キロジョグの1キロウォーク。 光は、はだしラン、後は、ダッシュ入れたり、後ろ走りしたり、サッカー系のトレーニングのように、走ってた。。。 二人それぞれ自分のペースで、おしゃべりジョグじゃなかったのと、昨日、TV Japanで、『風が強く吹いている』っていう、小出恵介主演の、箱根駅伝テーマの、映画みちゃってたってのも、ペースが上がった理由かな。。(!?)
ま、たまには、しっ~~かり汗かくのも、おばさんの体の毒素抜きには、役立つか。。!?
ジャクジーに浸かって、リラックスして、Safewayで、食料品の買い物して、ご帰宅。。
平和な普通~~の日曜日。。
あかりがバイトから帰ってから、今日は、ナイフを入れた瞬間の、肉汁が、まるで滝(!?)と評判!の美味し~~いハンバーグナイトでした。。。。 (実は大多和亭の定番食卓メニューの一つ。。。居酒屋ナイトでは出てこないけど。。)
今晩も、あかりより、『パパ、これなら、レストランで出せる。。』と、お褒めの言葉。そうそう、レシピおよび秘訣待ちしてる人がいるんだったっけ。。。。。。。。(って、みつるちゃん、もう読んでないかななぁ。このブログ~。)すみませ~ん。次のチャンスに。)
今週末は、特に予定が入らなかった週末。。
今日は、あかりがバイトに出かけたので、お休みの私と光は、家で、のんびり。
ランチの後、午後、体育館でのスロージョグ。。。。
今日は、何時もより すこ~し早いペースで走ってみました。 5キロジョグの1キロウォーク。 光は、はだしラン、後は、ダッシュ入れたり、後ろ走りしたり、サッカー系のトレーニングのように、走ってた。。。 二人それぞれ自分のペースで、おしゃべりジョグじゃなかったのと、昨日、TV Japanで、『風が強く吹いている』っていう、小出恵介主演の、箱根駅伝テーマの、映画みちゃってたってのも、ペースが上がった理由かな。。(!?)
ま、たまには、しっ~~かり汗かくのも、おばさんの体の毒素抜きには、役立つか。。!?
ジャクジーに浸かって、リラックスして、Safewayで、食料品の買い物して、ご帰宅。。
平和な普通~~の日曜日。。
あかりがバイトから帰ってから、今日は、ナイフを入れた瞬間の、肉汁が、まるで滝(!?)と評判!の美味し~~いハンバーグナイトでした。。。。 (実は大多和亭の定番食卓メニューの一つ。。。居酒屋ナイトでは出てこないけど。。)
今晩も、あかりより、『パパ、これなら、レストランで出せる。。』と、お褒めの言葉。そうそう、レシピおよび秘訣待ちしてる人がいるんだったっけ。。。。。。。。(って、みつるちゃん、もう読んでないかななぁ。このブログ~。)すみませ~ん。次のチャンスに。)
2010年12月11日土曜日
子育て考。
世の中、子供の虐待だの、最虐待だの。。と子供をかわいがれない、そして、子供がのびのびと、育っていかれる環境を、はぐくめない大人が増えてきているみたい。。。
でも、これって、ある意味、その大人を育ててきた大人たちの、そして、はぐくんできた社会の責任を無視できない。と、私は思います。
今の20代の人達って、親が引いたレールに乗って、言われたとおり、言われるがまま、詰め込み教育という手法の元、周りを蹴落とし、勝ち負けの尺度の中に、生きてきちゃっているんじゃないでしょうか。(もちろん、皆がみんなじゃないですよ。。)
豊かだった(過去型)日本の中で、高学歴、高収入に、つながるであろう (と、その当時の親、社会の幻想で、そう思われていた)学校や、会社に入れる。。ってのが、親としての教育の目的になっていたような社会だった気がします。
そんな環境にいたら、人は、自分の利ばかりを追い続けていて、自己犠牲や、手をかけ、時間を、そして、心をさき、命を育むなんて、経験のかけらも、もっていなかったり、発想すら出来ない大人になっているんじゃないでしょうか。
『大人になる、子供を作る、子供を、そして人を育てる、親になる、親をする、』ための、知恵を、授けるような時間を、当時の大人が作っていたとは思えないんです。 (これは、決して、学校や、政治の責任ではないんです。人として、大人としての責任の問題。)
敗戦後、核家族化が進み、おじいちゃんの知恵は、敗戦と伴にほおむられ、おばあちゃんの知恵は、それを、つなぐ場を奪われた。
今、また、経済の落ち込みと、人々の発想力の落ち込みと、いろんなことを鑑みると、また、昔みたいな、3世代同居、そして、大家族型の、支えあいと知恵の構築の場の復興が、必要になる時代が来る。。気がするんです。。。
*****************
私は、子供心に、時として、ゆがんだ、衝突、不理解、無関心、悲しみの漂う、家庭環境の中にいたけど、その分、『こんなことはしちゃいけない』とか、『こんな風になっちゃいけない』とか、『こういう悲しいことがあると、子供はこんな風に傷つく。。。』と、身をもって、学んでいた時間が、ちょこちょこっていうか、集中的にある時間があった。 (母親には、めちゃくちゃ、大事にしてもらっていましたが。。)
生い立ちの中で、親と子、嫁姑、夫婦の関係やあり方を沢山考えさせられる時間があったんです。
だから、初めは、親の無い子供の、養護施設で働いてみたいと思っていた時期があった。(家族を生来持たない子供と、悲しいつらい家族を持つ子のどちらが、不幸か、幸せか。。なんて、考えてた時もあったっけ。) それから、子供に関わる仕事の一つとして、YMCAで、健常、及び、障害のある子供達とも関わった。。。
精神発達障害のある子供との、生活と教育を通して、人は、どう育ち、物事を理解したり、できなかったりするのか。。ってことも、沢山学んだ。
1.子供は、親や、社会が育む環境に、大きく左右される。
2.コントロールドラマにとらわれた関係の中で、育った子は、ゆがむ。
親、社会、教師の、短絡的思いや、理想の『型はめ』は、子供の本来もった力をゆがめる。
ああしろ、こうしろ、こうするべき、こうしてはいけない。。。<<<って言葉を使うとき、その『言葉の力』を行使しちゃいけないんです。必ず、『なぜか。どうしてか。。』の、背景と、意味、理由を伝える努力をしないといけない。
(数学の問題だって、全部そうです。ドリルで数をこなせばいい。。てのは、短絡的で、なぜ、その公式を使うかの意味と理由と、理屈が、ちゃんと分かったら、数練習する必要はあまりない。)
3.人間の子供には、生まれながらにして、それぞれに、偉大なる叡智の種が、仕込まれている。
親は、その種が、どう育ち、開花するかを、見守り、はぐくみ 応援する。。。
(往々にして、種から、親が”植えてあげないと”いけないと勘違いしている大人が多いように、私には映ります。)
*******************
偉そうなことを書いたけど、私は、あかりを、『精神発達遅滞』の子供を育てるのと同じ要領で、感覚的に、はぐくんで来てしまったかな??って部分が大きいんです。。というか、それまで、自分の中にあった、感覚や、経験が、人を育む哲学みたいな形に、あそこの施設時代に、色々さらに、学び、まとまっていったので。。。
昼、夜の区別をつけるために、昼間は何時も、リビングで、テレビも普通の音、掃除機もがーがー掛けて、うるさい環境で、昼寝はさせて、夜は、暗い静かなベットルームで。夜ないても、夜と知らせるために、電気はつけず、おっぱい終わったら、極力遊ばず、静かに、私が、ライオンの母状態で、横で、『今は、遊んだり、かまわれる時間ではなく、寝る時間』と、背中をそっとさすりながら、必要以上にはかまわず、私が寝る姿を見せ伝えた。。
ミルクは食事で、おっぱいは甘える道具ではない事を伝えるために、食事時間以外に、おとなしくさせる”手段”としての、おっぱいは使わなかった。 (食事としての、おっぱいタイムと、日中の関わりの時間に、十分のスキンシップと、言葉以外のコミュニケーションの時間を ちゃんととることを前提で。)
目で、あやし、遊び、直接抱いたり、ゆすったりしなくても、『いつも見てるよ。。。』っていう安心感を、遠くからも、伝えられるように、何時も見守った。。 だんだん、遠くからも、目 (アイコンタクト)だけで、コミュニケーションが取れるようになった。。
上手く眠れない時は、寝かせる努力ではなく、かまい、遊び、疲れさせ、満足させて、眠くさせる努力をしようと思った。。そして、静かに、安心できる、眠りに落ちいれる状態を、作る努力をした。
赤ちゃん言葉はなるべく使わないように、気をつけた。。小さい時から、一人の人間として、大人に話すのと同じ、言葉で、難しい単語もどんどん使った。 長いセンテンスを沢山聞かせた。(これは、施設で学んだというより、初めてカナダに来た時の、YMCAキャンプから、気づかされた姿勢。大人も子供も目線が、一緒の高さ。。っていう。)
オムツ換えは、スキンシップの時間。 きれいさっぱり感を、一緒に楽しむために、一杯さすったり、笑いかけたり、裸で、足の体操をさせたり、関わりまくった。 トイレトレーニングや、歯磨きの習慣、朝、夜の着替え、食事の時間と食べ方のしつけは、まったく、施設でしてたのと同じように、場面をキチンと決め、だらだらした例外の場面を作らないようにしたり、歯磨きは、歌を歌ったりしながら、一緒に手添えで、楽しくやった。。。
(良く、うろちょろする子供を、親が追いかけて、スプーンで、食事を口に運んでいる場面を見ますが、あれは、子供にとっては、『遊んでいても食べさせてもらえる。親は、自分のしもべ。』と学んでしまう場面です。食事は、テーブルに付き、ちゃんと静かに座っている時にしか、食べられない。。一度でもテーブルを立ったら、すぐそこで、『ご馳走様』のあいさつをし、次の食事で、『頂きます』をするまでは、本当に何も食べられない。と、体感させる (気づかせる)と、すぐしつけられます。IQ判定不能の子供でも。 下手したら、4-5日、栄養不足になろうとも、親には、例外を作らないという覚悟は必要です。人間、そんなに簡単には、死なないので、キチンと、描きと愛を持ってする『しつけ』の覚悟の上だったら、必ず大丈夫ですよ。そして、些細なことでも、出来たら、ほめる。一緒に喜ぶ。そういう、場面場面で、親のしつけと声かけが、ちゃんと響き、できるようになった喜びを分かち合える子供は、後々も、親子間の、コミュニケーション構築が、必ず、楽にできるようになるはずです。)
人と関わることは、暖かく楽しい。。だれかが、自分を思って接してくれる。しつけてくれる。何時も誰かが、見守ってくれる。そんな中で、一人で『出来る』、『ほめてもられる』ことが、増えていく。。。。。こういう言葉にならない感覚を、小さいうちに、母子間で、沢山、体感し合えると、(母子関係が、人が、この世で、最初に構築する人間関係ですからねぇ。。)それが、次に、父子、兄弟間、友達間、親戚、同僚、社会の人達とつながっていく時の礎になる。。と、私は、思っています。 (私は、濃厚には、職場復帰前の2年しか 時間を費やすことが出来なかったですが。。。) 世の中の、お母さん、みんな一緒に、がんばれ~~~~がんばろ~~。
言葉で、コミュニケーションが、とれるようになった後は、親が、日々、じたばたと、生身の人として、まだ、未完成ながら、働き、学び生きている。。という姿を自然体で、見せることが大切。。と思います。。
親が、決して、出来上がった、完璧な、人としてのモデルではない。親も、まだまだ、知らないことも、分からない事も、あって、個性的、個人的にもがいている。。。って、子供は知ったほうが、ワイルドに、そして、ナチュラルに、人間本来の道を歩けるんじゃないかと、私は、思っています。
*******************
ある意味、どこか施設の子のように????育てられちゃった、我家の娘。でも、じわじわと成長を見せ続けてくれています。。。。
今週は生まれて初めて、バイト先のスタッフクリスマスパーティーにお呼ばれして、50人もの大人のスタッフに囲まれて食事してきて、『あんなに、沢山の酔っ払いを一遍に観たのは初めて~。。』って。。。。
ちょっとづつ、大人社会にも、進出しつつ、高校卒業後の自分の時間をどうするか。。を、考えなくてはいけないステージに近づきつつあることにも、気づき始めている。。。。
私が、そうやって、親元を、旅立った日があったのと同じように、時代はめぐり、あかりの巣立ちの日へと、世界は巡っていくようです。
でも、これって、ある意味、その大人を育ててきた大人たちの、そして、はぐくんできた社会の責任を無視できない。と、私は思います。
今の20代の人達って、親が引いたレールに乗って、言われたとおり、言われるがまま、詰め込み教育という手法の元、周りを蹴落とし、勝ち負けの尺度の中に、生きてきちゃっているんじゃないでしょうか。(もちろん、皆がみんなじゃないですよ。。)
豊かだった(過去型)日本の中で、高学歴、高収入に、つながるであろう (と、その当時の親、社会の幻想で、そう思われていた)学校や、会社に入れる。。ってのが、親としての教育の目的になっていたような社会だった気がします。
そんな環境にいたら、人は、自分の利ばかりを追い続けていて、自己犠牲や、手をかけ、時間を、そして、心をさき、命を育むなんて、経験のかけらも、もっていなかったり、発想すら出来ない大人になっているんじゃないでしょうか。
『大人になる、子供を作る、子供を、そして人を育てる、親になる、親をする、』ための、知恵を、授けるような時間を、当時の大人が作っていたとは思えないんです。 (これは、決して、学校や、政治の責任ではないんです。人として、大人としての責任の問題。)
敗戦後、核家族化が進み、おじいちゃんの知恵は、敗戦と伴にほおむられ、おばあちゃんの知恵は、それを、つなぐ場を奪われた。
今、また、経済の落ち込みと、人々の発想力の落ち込みと、いろんなことを鑑みると、また、昔みたいな、3世代同居、そして、大家族型の、支えあいと知恵の構築の場の復興が、必要になる時代が来る。。気がするんです。。。
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私は、子供心に、時として、ゆがんだ、衝突、不理解、無関心、悲しみの漂う、家庭環境の中にいたけど、その分、『こんなことはしちゃいけない』とか、『こんな風になっちゃいけない』とか、『こういう悲しいことがあると、子供はこんな風に傷つく。。。』と、身をもって、学んでいた時間が、ちょこちょこっていうか、集中的にある時間があった。 (母親には、めちゃくちゃ、大事にしてもらっていましたが。。)
生い立ちの中で、親と子、嫁姑、夫婦の関係やあり方を沢山考えさせられる時間があったんです。
だから、初めは、親の無い子供の、養護施設で働いてみたいと思っていた時期があった。(家族を生来持たない子供と、悲しいつらい家族を持つ子のどちらが、不幸か、幸せか。。なんて、考えてた時もあったっけ。) それから、子供に関わる仕事の一つとして、YMCAで、健常、及び、障害のある子供達とも関わった。。。
精神発達障害のある子供との、生活と教育を通して、人は、どう育ち、物事を理解したり、できなかったりするのか。。ってことも、沢山学んだ。
1.子供は、親や、社会が育む環境に、大きく左右される。
2.コントロールドラマにとらわれた関係の中で、育った子は、ゆがむ。
親、社会、教師の、短絡的思いや、理想の『型はめ』は、子供の本来もった力をゆがめる。
ああしろ、こうしろ、こうするべき、こうしてはいけない。。。<<<って言葉を使うとき、その『言葉の力』を行使しちゃいけないんです。必ず、『なぜか。どうしてか。。』の、背景と、意味、理由を伝える努力をしないといけない。
(数学の問題だって、全部そうです。ドリルで数をこなせばいい。。てのは、短絡的で、なぜ、その公式を使うかの意味と理由と、理屈が、ちゃんと分かったら、数練習する必要はあまりない。)
3.人間の子供には、生まれながらにして、それぞれに、偉大なる叡智の種が、仕込まれている。
親は、その種が、どう育ち、開花するかを、見守り、はぐくみ 応援する。。。
(往々にして、種から、親が”植えてあげないと”いけないと勘違いしている大人が多いように、私には映ります。)
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偉そうなことを書いたけど、私は、あかりを、『精神発達遅滞』の子供を育てるのと同じ要領で、感覚的に、はぐくんで来てしまったかな??って部分が大きいんです。。というか、それまで、自分の中にあった、感覚や、経験が、人を育む哲学みたいな形に、あそこの施設時代に、色々さらに、学び、まとまっていったので。。。
昼、夜の区別をつけるために、昼間は何時も、リビングで、テレビも普通の音、掃除機もがーがー掛けて、うるさい環境で、昼寝はさせて、夜は、暗い静かなベットルームで。夜ないても、夜と知らせるために、電気はつけず、おっぱい終わったら、極力遊ばず、静かに、私が、ライオンの母状態で、横で、『今は、遊んだり、かまわれる時間ではなく、寝る時間』と、背中をそっとさすりながら、必要以上にはかまわず、私が寝る姿を見せ伝えた。。
ミルクは食事で、おっぱいは甘える道具ではない事を伝えるために、食事時間以外に、おとなしくさせる”手段”としての、おっぱいは使わなかった。 (食事としての、おっぱいタイムと、日中の関わりの時間に、十分のスキンシップと、言葉以外のコミュニケーションの時間を ちゃんととることを前提で。)
目で、あやし、遊び、直接抱いたり、ゆすったりしなくても、『いつも見てるよ。。。』っていう安心感を、遠くからも、伝えられるように、何時も見守った。。 だんだん、遠くからも、目 (アイコンタクト)だけで、コミュニケーションが取れるようになった。。
上手く眠れない時は、寝かせる努力ではなく、かまい、遊び、疲れさせ、満足させて、眠くさせる努力をしようと思った。。そして、静かに、安心できる、眠りに落ちいれる状態を、作る努力をした。
赤ちゃん言葉はなるべく使わないように、気をつけた。。小さい時から、一人の人間として、大人に話すのと同じ、言葉で、難しい単語もどんどん使った。 長いセンテンスを沢山聞かせた。(これは、施設で学んだというより、初めてカナダに来た時の、YMCAキャンプから、気づかされた姿勢。大人も子供も目線が、一緒の高さ。。っていう。)
オムツ換えは、スキンシップの時間。 きれいさっぱり感を、一緒に楽しむために、一杯さすったり、笑いかけたり、裸で、足の体操をさせたり、関わりまくった。 トイレトレーニングや、歯磨きの習慣、朝、夜の着替え、食事の時間と食べ方のしつけは、まったく、施設でしてたのと同じように、場面をキチンと決め、だらだらした例外の場面を作らないようにしたり、歯磨きは、歌を歌ったりしながら、一緒に手添えで、楽しくやった。。。
(良く、うろちょろする子供を、親が追いかけて、スプーンで、食事を口に運んでいる場面を見ますが、あれは、子供にとっては、『遊んでいても食べさせてもらえる。親は、自分のしもべ。』と学んでしまう場面です。食事は、テーブルに付き、ちゃんと静かに座っている時にしか、食べられない。。一度でもテーブルを立ったら、すぐそこで、『ご馳走様』のあいさつをし、次の食事で、『頂きます』をするまでは、本当に何も食べられない。と、体感させる (気づかせる)と、すぐしつけられます。IQ判定不能の子供でも。 下手したら、4-5日、栄養不足になろうとも、親には、例外を作らないという覚悟は必要です。人間、そんなに簡単には、死なないので、キチンと、描きと愛を持ってする『しつけ』の覚悟の上だったら、必ず大丈夫ですよ。そして、些細なことでも、出来たら、ほめる。一緒に喜ぶ。そういう、場面場面で、親のしつけと声かけが、ちゃんと響き、できるようになった喜びを分かち合える子供は、後々も、親子間の、コミュニケーション構築が、必ず、楽にできるようになるはずです。)
人と関わることは、暖かく楽しい。。だれかが、自分を思って接してくれる。しつけてくれる。何時も誰かが、見守ってくれる。そんな中で、一人で『出来る』、『ほめてもられる』ことが、増えていく。。。。。こういう言葉にならない感覚を、小さいうちに、母子間で、沢山、体感し合えると、(母子関係が、人が、この世で、最初に構築する人間関係ですからねぇ。。)それが、次に、父子、兄弟間、友達間、親戚、同僚、社会の人達とつながっていく時の礎になる。。と、私は、思っています。 (私は、濃厚には、職場復帰前の2年しか 時間を費やすことが出来なかったですが。。。) 世の中の、お母さん、みんな一緒に、がんばれ~~~~がんばろ~~。
言葉で、コミュニケーションが、とれるようになった後は、親が、日々、じたばたと、生身の人として、まだ、未完成ながら、働き、学び生きている。。という姿を自然体で、見せることが大切。。と思います。。
親が、決して、出来上がった、完璧な、人としてのモデルではない。親も、まだまだ、知らないことも、分からない事も、あって、個性的、個人的にもがいている。。。って、子供は知ったほうが、ワイルドに、そして、ナチュラルに、人間本来の道を歩けるんじゃないかと、私は、思っています。
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ある意味、どこか施設の子のように????育てられちゃった、我家の娘。でも、じわじわと成長を見せ続けてくれています。。。。
今週は生まれて初めて、バイト先のスタッフクリスマスパーティーにお呼ばれして、50人もの大人のスタッフに囲まれて食事してきて、『あんなに、沢山の酔っ払いを一遍に観たのは初めて~。。』って。。。。
ちょっとづつ、大人社会にも、進出しつつ、高校卒業後の自分の時間をどうするか。。を、考えなくてはいけないステージに近づきつつあることにも、気づき始めている。。。。
私が、そうやって、親元を、旅立った日があったのと同じように、時代はめぐり、あかりの巣立ちの日へと、世界は巡っていくようです。
バレーボールに、今は、バスケットに、チームメイト、同級生との時間を楽しみ、勉学はそこそこだけど、週一回のアルバイトで、自分のお小遣いも稼ぎ、たくましい娘。
今年の夏休みで、Candy Shopのバイトは、終え、今は、町のスーパーのレジ娘をしています。。。
小さな町なので、『あかりちゃん、ネスタースのレジで、見た~~。』って、声を、しばしば聞くようになりつつあります。。。地元の皆様。まだ、経験が浅いので、大きな粗相の無い限り、暖かく見守ってあげてくださいませ~。 (もちろん、何か、ミスがあったら、ちゃんと指摘、教育的指導してあげてくださいね。。。”怒り”をぶつけちゃう前にぃ。。。。)
本日も、なが~~い、記事に、お付き合いくださって、ありがとうございましたぁ。
2010年12月10日金曜日
Imagine (イマジン) John Lennon 没30年に。
今週水曜日、12月8日。 30年前の、1980年のこの日が、John Lennonが、凶弾に倒れた日です。
私は、特別なビートルズファンでもなかったし、この日の事件は、テレビで、『なんで、ミュージシャンが、殺されないといけないんだろ??』と、思った記憶はあっても、ファンの様に、悲しみにくれる時間におぼれることもなかった。。。。
でも、未だに、世界中で、歌われ、そして、多分ほぼ全ての、ヒーラーと呼ばれる人やら、スピリチュアルワーカーや、そしてもちろんファンの人々に愛され続けている、Imagine (イマジン)<<これ、キーボード変換で、今人。。と出て、笑っちゃったぁ。>>という歌と、その歌詞は、心から素晴らしいと思う。。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
私も彼と一緒に、Dreamerに、なりたいです。地球は一つ。違いも、区別も、争いも超えて、世界を分かち合いたい。。。。
私は、特別なビートルズファンでもなかったし、この日の事件は、テレビで、『なんで、ミュージシャンが、殺されないといけないんだろ??』と、思った記憶はあっても、ファンの様に、悲しみにくれる時間におぼれることもなかった。。。。
でも、未だに、世界中で、歌われ、そして、多分ほぼ全ての、ヒーラーと呼ばれる人やら、スピリチュアルワーカーや、そしてもちろんファンの人々に愛され続けている、Imagine (イマジン)<<これ、キーボード変換で、今人。。と出て、笑っちゃったぁ。>>という歌と、その歌詞は、心から素晴らしいと思う。。
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
私も彼と一緒に、Dreamerに、なりたいです。地球は一つ。違いも、区別も、争いも超えて、世界を分かち合いたい。。。。
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