振り返ると、早カナダでの生活を始めて、23年目に入ろうとしている。
そのうち、お仕事から、離れていたのは、出産とそれに続く子育て期間中の、2年間だけ。
よく働いて来たなぁ。。。 (老後の楽チン生活を目指して、もうちょっと頑張りますが。。)
英語で戦う職場でも、10年腕を磨いてきました。。
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私が生まれて初めて海外に出たのは、大学2年の時。 (この話も、書き綴ったら、ドラマ級!?だって、ポールニューマンと一緒にインスタントコーヒー(Blendy)の、テレビコマーシャルに出演して、そのニューヨークロケ。。でしたからねぇ。。。。。。
でも、今さらになったら、過去の栄光???以外の何者でもなく。。。 とはいえ、思いっきりの珍道中、及び、カルチャーショックの旅。。だったから、それはそれで かなり面白かったけど。。輝く思い出。。であることは確かですが。。ま、その話は、置いといて。。いつか、気が向く事があったら、書きますぅ。。)
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その、ニューヨークでの、数日間に、私は、(当時の)日本の英語教育程度じゃ、本場の英語圏では何にも、ホントに、な~~~んにも、通用しない!と、心底、ガツンとやられました。 なんせ、レストランで、『アイスティー 』も、『オレンジジュース』も、通じなかったんですよぉ。。
カタカナで、しゃべっている限りは、こりゃ、拉致が開かないな。。と、肝に銘じたのがこの時です。
なんせ、ホントに、ひと言(ひと単語)も、まともに通じなかったし、本場のニューヨーカーの英語が、マシンガンのようで、単語が、そして、本当に超短い単語の羅列も、ちゃんとは、聞き取れなかったのですから。 (ここでも、日々、連想ゲーム状態でした。) 見るからに、東洋人で、英語が不自由な私たちに 『ゆっくり話してあげよう。。』とする、心使いを表してくれる人すら、人っ子一人いなかった。 (ちょっとでも、ゆっくりしゃべったら、この子にも聞き取れるかも。。っていう、発想、気づきすらない風。。。分からない顔すると、おんなじことを、同じ速さで、何度も聞いてきて、挙句には、あきれた顔されて。。何この子、英語も分からないおばか?って、顔された。)
英語、日本語、中国語の3カ国語を、操る、フィルムクルーに張り付きのWaiという、中国人通訳さんが、いて、私は彼女の立ち振る舞いの姿に感動!。(オーラでまくってた。) 裏方の仕事、セットアップ、撮影と、クルーの過ごし、移動その他の手配。。いろんな事が、眼の前で、英語で繰り広げられていく世界に、圧倒され、毎日、毎日、かなりうっとり、見ていました。。。
日本に戻ってからは、カナダのキャンプに来るまでの、2年間、日本で、英語のFMラジオ放送を聴いたり、英語の歌を聴いたり、音まねを心がけてはいたものの、別に、英語がしゃべれなくても、日本じゃなんの苦労もないので、本気では学んでいませんでした。
カナダのキャンプの時には、ニューヨークの時ほど、ショックは無いはず。。と、実はタカをくくってたら、今度は、巻き込まれて、そこにいれば良い。。ってだけの立場じゃなくて、子供達を動かしたり、大事な事を伝えたり、ゲームや、歌や、キャンプ場でのルール、心得、いろんなことの通訳を余儀なくされたり。。。現場で、意味のあるやりとりをしなくてはいけなかったので、それはそれは、私の英語じゃ不十分極まりなかった。
『どれだけ、自分ができないかを知る。強く、肝に銘じる。』
『どんな風になりたいかの、描きを持つ。』
『あとは、実践で、じたばたする覚悟をする。』
『このくらいで、良し。と、決め付けない。常に工夫する。』
『あきらめない。思い上がらない。そして謙虚に。でも、力強く常に、前を見て。。』
カナダに、1988年にワーキングホリデーで初めて来たときに、友達(先日、調布のお友達宅で、15年ぶり以上の再会を果たした、Tomoちゃん。。)が誘ってくれて、一緒に通った、小さな英語学校。(最初は、アパートでの個人レッスン。。そのうち、先生が、教室を借りた。。)
一切、容赦をしない先生で、何十回、彼女の発音の真似を、必死、ほんとうに必死にして、繰り返しても、『NO』と 言われた。 発音の一つ一つに 簡単に 『YES』を、出してくれない先生に出会ったのも、振り返ると、とても良かった。 発音上達の第一歩は、とにかく、マネする。です。 (R と、L。 B と V などの、基本的な日本人には難しい音の、舌、及び、唇の使い方を覚えて、音にするのは必死。これを、アールと、エル。 ビーと、ブイと読んでたら、出発しませんよぉ。。)
(そして、『できなかったら、はずかしい。。』という恥の観念から、卒業して、『すべては、出来ないから、始まる。』と、そこから、ちゃんと出発することです。)
一時滞在や、ワーキングホリデーのように、お遊び半分で、生活するのと、本気で、英語社会に、根を下ろし、台頭するのは、別次元の話。 その生活へといずれはつながるであろう、出発点。 基礎の基礎を、厳しく教えてくれた、Beverly先生。。
今も、Vancouverにいるんだろうか。。。 88年に、彼女と、彼女の知人のカナダ人男性の先生の、2人で始めた、小さな英語教室(VAN WEST)は、今では、立派な、英語学校に成長、君臨しているようですが。。。。
とにかく、1988年、ゼロから、積み上げる実用英語の道。が、始まりました。。。(きまぐれに、つづく。。。予定。)
2 件のコメント:
いや~、一番最初にカナダに来た時のこと思い出しますね~。
私は結局英語教室には行きませんでしたが、その代り映画館に毎日通っていました。相手の言っていることが分からないことには会話にはならない…と思いましたので。
その当時見た映画は、今でも題名を覚えています(よっぽど一所懸命見てたんでしょうね~、それとも若かったからか?!)が、中でも、周りは10歳以下の子供かその親だけという映画(対象年齢がそんなだったもんで…)を見てて、映画を見て子供が大声で笑っているのに、自分には何がおかしいんだかさっぱり分からない。それがきっかけでまじめに(独学ですが…)勉強を始めました。
でも、あの映画を見なかったら今の自分は無いだろうな~って思いますね。
映画は、ものによっては、今でも、難しいです。すべての、映画に、Closed Captionがついてくれれば良いのになぁ。。 日本に来る、飛行機内で、ついに、アバター見ました!。 かなり良かったです。。感動。(めっちゃ、スピリチュアルだし。)DVDゲットは、必至!ですぅ。
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