町のため、困っている人のため、親の無い子らのため、何か役に立つ仕事をしたり、役立つ建物や場所を作ったり。。
そんなことできたら良いな。 と、子供心に思っていました。
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カナダに来たら、沢山のカナダ人が、色んな場所や、コミュニティーに、寄付をしたり、血の繋がっていない子供を育てていたり。
そんなことが、さら~っと、行われていたりするのが、日本と比べて、スマートだなぁ。。先進国ってきっと、本来こうなんだろうなぁ。。って思ってた。
ガイド時代に、ドライバーをしていたカナダ人独身男性が、World Vision を通して、アフリカや、アフガニスタンの、貧しい地域の子供達をサポートするための募金活動に参加してて、何枚も、スポンサーチャイルドの写真を持っていて、びっくりしたことがあったっけ。
別に、お金持ちにならなくても、月々私たちには、大した金額では無い額で、世界のまだまだ、インフラストラクチャーに、教育に、医療が、行き届いてない地域の人たちのために、小さな役に立つ寄付をすることだって、出来るんだ。。。そんな気づきが、その時あったと思います。
縁があって、何年か前から、World Vision や、Plan Canadaという、組織を通じて、私も、月々、本当に、ささやかな、寄付をさせてもらっています。
どちらも、お金を運用する先の国の、子供一人を、寄付する私たちと、マッチングさせてくれて、スポンサーチャイルド。。っていうことで、紙面上、お見合いさせてくれて、実際に、現場で、その子や家族が、どんな暮らしを送ったかを、年次レポートにしてくれたり、直筆の、お手紙を送ってくれたり。
私の寄付金が、そのまま、スポンサーチャイルドに、そして、その家族に、ダイレクトに行くわけではなく、全体の寄付金が集められた後、30パーセント弱は、組織の運営費用に、残りが、その地域の広域サポートの事業に、プロジェクト一つ一つに、あてがわれている。行く。。という形態だ。
子供達への恩恵は、個人的ではなく、彼ら、彼女らの、仲間、家族を全て対象とする、社会事業を通しての還元になるわけです。。学校が建てられたり、先生の教育費用に当てられたり、文具や、本の寄付だったり、上下水道の設置だったり、社会事業の姿も色々のようです。
今、Plan Canadaを通じて、
私と、ささいな寄付の先で、つながっているのは、
Benin (ベナン)というアフリカの、小さな国の、一角に住んでいる、
Rosaline...という13歳の女の子。
お父さんと二人暮し。でも、2011年は、二人とも、健康に
すごせていたそうです。
私には、Beninという国や、彼女の住む地域の
様子も、状況も、手に取るようには理解できていません。
でも、日本や、カナダと比べたら、もう、比較にならないくらい、
不便で、未開な暮らしに違いなさそうだ。
去年、初めて、彼女の直筆のお手紙をもらいました。
でも、フランス語圏なので、フランス語でかかれてて、
通訳さんが、英語に直してくれた文章が、添付されてた。
私も、カードを、英語で、書いて、送りました。
通訳さんが、フランス語にして、彼女の元に届くのに、
何ヶ月かかるのかなぁ。。
なんせ、郵便が定期的に行っていない地域っていうのが、ざらだとかで。
職員や、ボランティアさんが、任務交替の時に、持参する。。
ってのが、一般的だったりするみたいだ。
カナダの、ロッキーの山の中に住んでいる、日本人が、スポンサー。
って、彼女には、不思議だったりしちゃうかなぁ。。。
血も繋がっていない、縁もゆかりもない、沢山の人と、
実は同じ地球の上で、同じように、一日24時間、
一年、365日という、時間を共有して、私たちは生きて居ます。。
私が、いろんな意味で、進んでいたり、便利だったり。。。
という、肩書き先進国の日本に、偶然にも、生まれ、育ち、
己の自由意志で、今、カナダで、ある程度、恵まれた
生活が、できていること。
多分、当たり前ではありません。
今に、感謝し、共に生き、共存する全ての命に感謝して、
やっぱり、自分に、与えられている環境と、己のリミテーションの中で、
できることを、できるだけ、前向いて、やっていこう。。
って、思います。