日本の大飯原発問題に、思うこと。
沖縄の基地返還問題と、重なる。
何かって言うと、日本人は、議論と、交渉と、駆け引きが下手だ。ってこと。
沖縄だって、なぜ、敗戦の時に、外務大臣が、『期限』を、付けなかったのかというのが、疑問。
20年経ったら、基地撤退なり、条件の見直しなり、そういう条項を付けるべきだったというか、『Condition』というのが、契約の国のやり方の基本だ。
原発問題にしても、『今』 稼動が必要か、否か、と言うのは、どんな暮らしがして行きたいか、行けるか、という、これからの描きや、それぞれの哲学で、違うのは当たり前。
ただ、原発の問題は、稼動するか、しないか。ではない。ということを考えるべき時。
つまり、作ってしまってある核燃料を、未使用の核燃料として未来永劫、ベビーシッターしていくか、はたまた、使用済み核燃料を未来永劫ベビーシッターしていくか。。という問題だと理解すれば、
原発を動かすか否かではなく、本質で決めなくてはいけないのは、
この先、
核燃料は、これ以上、一つとして、未来永劫、作らない。 輸入しない。
そして、今ある、使用済み、はたまた、未使用の核燃料を、どう、管理していくか。 いかれるか。
そのためには、国民は何を覚悟し、何に準備をしなくてはいけないか。
を、とことん検証、論議して、方向性を決めるべきでは?????
(今までの、夢のように膨らんだ、表面的な、そして、物質的な豊かさと、生活の側面、全ての見直しが要るでしょう。 あの日。。から、世界は、本当に、変わったんですよ。 昔の姿に、どれだけ、固執できるか???は、大きな疑問です。)
日本の国民の方に、一言。
今のままで言ったら、 (夏が来るたび、思い出す~、はるかな原発、綺麗なエネルギ~。。なんて、歌、歌ってたら。)
沖縄の問題が、敗戦後、こんなに時間がたったって、拉致があかない。。のと、同じ、いや、それ以上に悲惨な未来が、原発問題には、残り続けますよ。
(政治家だって、原発問題には、しろうとです。ただの一国民。今こそ、オールジャパンの叡智と、行動力を集結しようよぉぉぉぉ。と、遠く蚊帳の外、カナダから、言わせていただきます。)
本質と、タブーを語ろう。
3 件のコメント:
沖縄・・・きっとあの当時、条件をつけられるような状態じゃなかったと思いますよ~。
無条件降伏が条件(?って言い回しが変ですね・・・笑)だったはずですから、交渉する余地は与えられなかったんじゃないですかね~。
今の日本は、極論をするとアメリカに造られた国ですから、いけいけだったころ(WWII前)に比べると控えめなのは致し方ないのかと・・・。
もちろん、いい意味でも悪い意味でも、日本人の欧米化は進んでいますから、もっと牽引力のある人材が現れてもおかしくはないのですが、牽引力だけでは政治は出来ませんよね、優秀な部下がいないと・・・。
原子力発電所にしても、もともとの発端は核反応の兵器利用ではなく、平和利用を模索して考え出されたもの。
ただ、平和利用を前面に押し出しすぎたあまり、弊害や後処理などの問題を先送りして稼動が始まったので、今の状態になっているわけですよね。結局のところ、当時はきっと核の平和利用を考え付いたことで大騒ぎだったわけで、その後のことに考えが及ばなかった、もしくは目をつぶった。
そんな人は今稼動を反対している人たちの中にもいるわけで、目先の危険を回避するために、将来のことは考えないか無視。
結局のところ、稼動を継続させるにしても停止するにしても、問題は山積みなわけで、どちらを選択するにしても、選択だけでは終わらない。過去の選択の過ちはあまりにも大きかったわけで、これから先も長いこと引きずっていかなければならないんでしょうね・・・。
最後の部分、"選択の過ち"ではなく"選択の代償"のほうが適当ですね。
可能であれば訂正して、このコメントは削除してください。
だねー。だからこそ、今に襟を正して、考え直す、反省する。。我々の無知を思い知る、という、過程が必至だと思うんだよね。知らなかったことで、原発推進、それで儲けた恩恵を受けた人も、そうでない人も、循環させられない、葬る、葬り続けるしかない、使用済み核燃料、漏れたら最後、地球の自浄能力にしか委ねることができないエネルギーを、人が持つこと事態、未だ時期ではないことに、目覚めないと。もはや目覚めても、未だだだ漏れの放射能と共生し続ける運命を走り出してしまった時を、止めることも、巻き戻すことも、できませんが。ごめん、コメントって、こちらでも修正はできないんです。でも、こういう話、間違いながら、正しながら、し続ける。。ってきっと大切。コメント、ありがとー。
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