2016年2月3日。水曜日に書いています。
2015年11月の日本一時帰国の際に、考えさせられたことです。
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京都も、広島も、宮島も、エレーナの希望で選んだ観光先でした。
広島では、Peace Memorial (原爆ドーム)と、
Atomic Bomb Museum (原爆資料館)は、
悲しい場所だって知っているけど、ぜひ、行きたい。と、彼女は言っていました。
私も、全地球上で、原爆を、事実として落とされたことのある
唯一の国の国民として、
一度は、訪れなくてはならない場所なんだろうな。。と、思ってはいました。
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広島、厳島神社 一日 観光。
の記事は、去年も書いたのですが、
加えて、書き残しておきたい大切な学びがあったので、
今日は、それを記事にします。
資料館の内部展示は、視覚的にも、とても、おどろおどろしいものがあり、
足早に、逃げ出したくなる気分の人も、中には、きっと、いるのでは、と
思いますが、
館内を訪れていた、日本人、外国観光客のたくさんの人が、
じっくりと、いろんな思いをはせて、展示を見学していました。
中でも、エレーナは、入り口から、出口まで、すべての英語の
解説を、丁寧に、読んでいました。
私は、日本語の解説を、ざ!っと、眺めている程度で、
深く、全てを、真剣には読み込んでなかったのですが、
途中で、エレーナが、
「Meiko 広島の人たちが、Demolish Workをしている最中に
原爆が落ちた。。Demolish Work、Demolish Workって、
何度も、出てくるんだけど、
原爆が落とされる前に、一体、何を人は壊していたわけ?」
って、質問してきた。
え?って思って、日本語解説板を読み直して見ても、
すぐに、答えがわからなかった。
(京都でも、何度もありましたが、日本語のパンフレットと英語のパンフレットの
中身が、必ずしも、一致してないし、説明つくされてない。。ってケースたくさん
発見しました。)
そこで、ボランティアで解説員をしていらっしゃる、地元のおばさん、おじさんの
方が、館内に、何人もいらしたので、
その一人の女性の方に、
「実は、カナダから、友人と来ています。彼女が、Demolish Workって、何度も
英語解説に書いてあるけど、原爆が落とされる前に、いったい、
市民は、何を壊していたのか、って質問してきたのですが、
どういう意味でしょうか?
”Demolish"というのは、取り壊すという意味なんですけど。。」
と、質問させてもらいました。
すると、その女性の方が、
「あら、そうですか。それは、キチンとした説明になっていませんね。」
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この人の話と、解説を聞く前に、
実は、私は、原爆ドームの外で、別のボランティア解説員の人が、
観光客の、若い女性のグループに、
なぜ、広島に原爆が落とされたか。。という話をしているのを、
資料館に入る前に聞いていました。
一つには、アメリカは、時間をかけて、この計画を練っていて、
原爆の威力を図る、いわば実験のために、広島を、選んだ。
そして、原爆の威力を正しく計測できるように、広島には、それまで、
一度も、空襲をしかけていなかった。
(空襲の傷があると、原爆の威力を正確に測れないため)
広島は、その地形が、山に囲まれるようになっており、
原爆の風圧、山にあたって、戻ってくる力の計測もできると踏まれた。
さらに、上空からみると、川が、交差する場所にあり、
目測で、上空から、場所の特定がしやすかった。。。。
そんな話を聞きかじっていたわけです。
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資料館の中のおばさんは、その外の解説につながるような説明をしはじめました。
実は、広島は、戦争中、それまで、一度も空襲を受けておらず、
広島の市民は、この静けさは、おかしい。
と、感じ始めていたのだそうです。
きっと、近い将来に、広島も、大空襲に見舞われるに違いない。
と、予測した、市民は、万が一、空襲警報が、発令されたとき、
市民が、大勢で、どどっと、一気に避難できるように、
大通りの周囲の、家を、どかして、道幅を広げるための、
「建物疎開」 と呼ばれる家の解体作業をしていた最中だったのだそうです。
その「建物疎開」が、英語では、Demolish Work と、展示されていたのでした。
そして、資料館内部には、原爆で、焼けただれ、亡くなっていった、たくさんの人の、
血と汚れと、傷で、ぼろぼろの服、爪、髪の毛。身に着けていたもの。。。
が、たくさん、そして、ひとつづつ丁寧に、ケース内に展示されていて、
多くの遺族の方々が、これは、資料館で、後世に残してほしい、と、
提供されたという、遺品には、
みな、名前と年齢が小さく、表示されたラベルがついていて、
名前の後ろの年齢表示が、圧倒的に、13歳。14歳。と。。。
エレーナ 「どうして、13歳、14歳ばっかりなの?」
そのおばさんは、
そのとき、労働力として、市内に残っていたのは、兵役にいっていなかった人、
老人と、そして、その建物疎開の業務に駆り出されていたのが、
13歳、14歳の中学生達だった。と、おっしゃった。
15歳以上は、みんな、軍需工場に呼ばれていて、いなかったと。
そうだったんだ。
その説明をエレーナに話した。。
お互い、心の中で、涙が、たくさんあふれてきたのを、感じていました。
最初から、勝ち目なんてないよな。
実験に、戦略に、ゲーム感覚で、遊ばれていたんじゃないんだろうか。
なぜ、そんなおろかな戦争をしなくちゃならなかったんだろうか。
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その時、旅立った、13歳、14歳の数多くの若者の魂は、
天から、私たちに、何を伝えたいと思っていた、思っているんだろう。
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日本滞在中は、会う人、会う人、みんなに、
上の話を持ち出して、おしゃべりしました。
私の周囲の関東の人たちには、だれも、この建物疎開なる
市民の動きのことを聞いたことある。知っている。って人が
いませんでした。
世界が不安定になりつつある今、
日本人だから、日本からだからこそ、
世界に訴えられる、言葉が、
きっとある。って、私は、強く思います。
悲惨さを提示、訴えるだけじゃなく、戦争に国家として参加する愚かさを、
もっと、もっと、考えましょう。
同じことを繰り返さない、強い叡智を、人の間に、構築しよう。
2 件のコメント:
ここ、小学生のときに行ったきりですが、結構衝撃だった(と言っても、どちらかというとグロテスクで生々しいというのが当時の私の実感ですが・・・)のを覚えています。
人の集団同士が争う・・・、太古の昔から、そして現在も、とめどなく繰り返されてきている、人の歴史からは切っても切れない出来事ですが・・・、さてこれまで云千年同じこと、破壊・悲劇を繰り返してきているにもかかわらずいまだに止められないのは、少なくともこの数千年種を保存してきている人間の、能力の限界のせいではないだろうかと思っています。
もっと具体的には伝達能力の限界。
読む・書く・聞く・話す、これ以外の伝達方法を開発(どっちかというと覚醒ですかね?)しない限り、もしくは身に着けない限り、争いのない世界は考えにくい・・・。
一は多であり、多は一である。これから先、人間の伝達能力がもし進化して、言語や空間を飛び越えて、そして余計な装飾のない意志の疎通が出来るようになれば(かなりSFチックですが念話のような概念です)、争いはなくなるかもしれません。
ただし、その弊害として技術の進歩はなくなるかもしれません。それとも、全ての人類がどんな開発にも参加できると考えれば、逆に飛躍的に進歩するかもしれません。特許や著作権という概念もなくなりますから・・・。
私は、今までの世界の外交は、ちゃんと相手の言い分を聞いたことがないんじゃないかと、思うんだよね。敵とみなす、国では、こんな戦略が練られているに違いない。っていう、想定と、想定の戦いだったのでは。
どちらの、国も、どのグループの言い分も、ずっとずっと、層に分けて、掘り下げていったら、自分たちの国、領土、安全、そして、繁栄を、守りたい。っていう、ラインに、それぞれ、落ちて行くんでしょ。
それが、間違った、攻撃と、ダメージと、殺し合いが生む、悲しみが、憎しみになって、同じことを、相手にも、味合わせてやろうという、目には目を、歯には歯を。の精神が、恕の心 (だれかにされていやなことは、誰にもしない。)という、精神を、ずっとずっと上回ってきた壮年エネルギーの構築が、ここまでの、相容れない溝を掘り続けてきた刃だと思うんだよなぁ。
ただ、ジョ~さんが言われるような、覚醒に向けた、声のない、形のない声が、たぶん世界中で、たくさんの人の脳の中に、響き始めている。。っていうのも、事実の気がする。
ここ2~3年の間に、人類の感性が、今までにはありえなかった形で、開花する。。。
ってのを、期待、描いちゃっています。
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