2009年12月30日水曜日

行く年、来る年。

毎年の事ながら、いろんな事が、自分レベルで、家族レベルで、コミュニティーレベルで、国レベルで、そして地球レベルで、起こり、新しい歴史のページに 降り積もるように、つづられて、2009年も、一年が、そろそろ、暮れていく。

今、この瞬間を、この星に、根ざし、生きている人は、全ての人が、産み落としてくれた母親が、一番 『痛かった』日に、一つ年を重ね、寝て、起きて、食べて、歩いて、働いて、考えて、困って、笑って、見つめて、走って、転んで、遊んで、洗って、捨てて、片付けて、拭いて、破いて、壊して、買って、作って、使って、感じて、学んで、忘れて、成長して、傷つけて、傷ついて、夢みて、信じて、疑って、落ちこんで、立ち直って、開き直って、それぞれ、色んなレベルで、じたばた生きた一年。。。だったに違いない。

振り返ったり、はたまた、自分や、自分を、取り巻く環境、社会を、見渡すと、自分の勝手な インタープりテーション(解釈)で、ついつい、良かったとか、悪かったとか、色んな事を、『評価』 しがちな人間。

世の中が、短絡的に、勝ち組、負け組みだのと、評価のものさしを、シンプルな言葉にしてしまう、風潮もあるせいか??、どうも、勝ち負けの、ものさしが、大きな顔した世界に、暮らしてしまっている現状が、世の中の、一面にはあるみたい。。。。。。

私は、時々、母から受け継いだ?DNAのせいか、偉人の名言だか、予言みたいな事を、言って、たまにそれが的を得てしまっていたり、後から考えて、大当たり! だったり、すると、自分で、自分を、『サイキックおばさん』かも。と、思っちゃったりして、かなり勘違い女みたいな所もあるのですが、今、人類は、世界的に、(特に精神世界レベルで)大きな、曲がり角に立っているようです。

曲がり角。。。つまり、そのコーナーを回った人には、まだ、後続の人には見えない、新しい風景が見えるようになる。という意味です。。。

2010年は、なんだか、2009年までとは、違う、新しい風景が、人々の想念と、精神世界の中に、見え始めるという”シフト”が、かなり本格的に、始まりそうな予感です。 (いや、実は、小さなスケールでは、世界中で、すでに、何年も前から、始まっているのですが、それが、かなり、表面化してきそうです。)

今までと同じ、物の見方、考え方、判断、では、よう行かなくなる。。(なんで方言?)事、身動きが取れなくなりつつあることは、実は、みんなうすうす気がついているんです。

自分だけ、豊かであれば良く、アフリカのチャドでは子供達が、世の中で、もっとも貧しい食生活をしていても、そういう自分とは遠い世界には、目も向けず、気も留めず、かたや、経済破綻寸前の、(というか、実質は、破綻ずみなのかも) アメリカが、年俸何億、何十億ももらえるスポーツ選手を、あちこちに、たくさん抱えている。。(とにかく、世界のあちこちで、お金という物質文明をつなぐエネルギーの流れ方、滞り方が、不健康すぎる。と思うのは、私だけではないはず。。)

『部下の失態は、自分の責任、私なら、職を辞す。』と、自民党にまくし立てていた、その張本人は、職は辞さないと、その場にしがみつく。結局、日本の政党政治は、同じようなレベルで、回転しているだけで、表面的には、変化しているようには見えるけど、回転軸と、その次元が、変化、向上しているようには、まだ、あまり見えてきていない。(私に、見えてこないだけで、何かが、ホントは、動いてて、皆に、政治の切り口から、光が見えて来たりして欲しいですよね。。。。) 

環境技術は、先進国の特許で、途上国には、まだまだ手の届かないもののままだし、国境、言葉、文化の壁を乗り越える叡智が、人類に、利用可能な状態で、構築されているようには、まだまだ、見えない。(構築はされてきているんだろうが、どう、具現するかの、Know Howが、まだ確立していないし、トライアルのレベルにも達しているようには、まだ見えないし。。)

そろそろ、個人、一国、の富、利益にフォーカスして勝負する、バトルフィールド(戦場)のような、精神世界からは、本気で、卒業したいですね。

母なる地球の声を聞き、今、われらをはぐくむこの星が、何を、人類に、訴えているのかに、ちゃんと、向き合いたい。。。 『人類が、地球を守ろう』 なんていう、おこがましい発想から、人類は、地球にはぐくまれ、守られ、育てられ、そして鍛えられて来た事、その本質の仕組みと、地球自体の持つ、再生、自浄能力を、ちゃんと、理解し、感謝して、産業革命以降、何が、どう、今まで間違っていたのかを、問い、見極め、冷静に、反省して、地球の自然の能力と共鳴できる、質素で、基本的な、人間生活を、根っこから、作り直す、というか、一回、何かを、手放して、ゼロに戻さないといけないような気すらします。

よ~く、自然界を観てみたら、メッセージは一杯ある気がします。。。。弱肉強食と言っても、『ライオンキング』で、出てくるように、命は、『Circle Of Life』で、つながり、循環しています。 ここ、ロッキーの、ヨーホー国立公園で、その昔発見された、バージェスシェールの地層は、ダーウィンの、進化論をひっくりかえす議論を呼んだ、進化は、優れたものだけが残って進んできたのではない。という、強いものだけが、生き延びてきたわけではない、この世界の多様性を、証明した。。。

豊かで、多様で、偉大で、神秘なる自然の、とうとうと循環する生命エネルギーの中で、人類という生き物だけが唯一、まるで、始まりは宇宙人(地球外生物)であったか?と、思ってしまうほど、地球を利用、破棄のみして生きているインベーダー種の、動物に見える。。土の上に産み落とされる事はほぼなく、土に帰ることも、ほぼない。。(このままのペースで行ったら、いったい、何年後に、大地は、全て、人間のお墓に占領されてしまうんだろう!?と思ってしまう。) Circle of Lifeの、ナチュラルなエネルギー循環の輪の中に、きれいに流れていない。 己の懐の中ばっかりに、金銭エネルギーや、物質や、目に見えない必要のない見栄やエゴエネルギーを、とどめようと忙しい人すらいる。 (何だか、さらさら流れて欲しい血管の中の、コレステロールみたいですね。)

地球の再生能力と、自浄能力のスピードを、一気に追い越して進む、生産活動と、ゴミ、廃棄物の排出。 人間のエゴと、豊かさをきりなく求める傲慢なる欲が、母なる地球に、病のきっかけを一つ与えていることは、確かでしょう。 もっと、資源と自然と、命の循環を考えないと。。。。。。

(人間ごときの生活のありようで、地球という星自体が滅びることは、ありません。天空の、アインシュタイン博士を泣かせて、核兵器を、何百も使って、人類がその他のたくさんの種の生命と共に、たとえ、滅亡しても、地球という星は、淡々と、新しいバランスを求めて、回り周り続けるでしょう。でも、人間が生きにくい環境を人間がせっせとこの星の表面に、作り出してしまうということは、間違いなく、あるでしょう。。)

今、世の中で、年間に、何千万台 車が生産されているかは知りませんが、長く見積もっても、そのほぼ全てが、今後50年の間にゴミになる。 ドバイに林立する高層ビル群だって、どんなに長く見積もったって、100年、200年後には、配線、配管を初めとして、大量の、粗大ゴミになる。パーツや、素材をどれだけ、循環させて使っていかれるのでしょうか? (ガイド時代に、タバコの化学繊維が入っている先端の、フィルター部分が、土の上に捨てられて、自然が、分解して、ナチュラルな状態に戻すのに、100年掛かる。。と、聞いた記憶があります。。)

モンスターペアレンツとかっていう、言葉がありましたが、地球と言う名のわれらが母は、今、まさに、人類と言う名の、モンスターキッズが、わがまま放題に成長し、大人になっても、真なる叡智を身につけられずに、暴れまくっている姿をなげいてはいないでしょうか? 

未来を支えるキーワードは、『勝ち負け』 『支配、服従関係』 では、絶対にありません。
(物質および、金銭エネルギーが、人を支配する時代も、様子が少し変わり始めるでしょう。目に見えない、想念エネルギーの存在と、エネルギーとエネルギーの絆が、何かを動かしだしたりするでしょう。)

『共生、共鳴、共存。』 そして、『循環、バランス、適応』 がキーワードになる気がします。そして、それは、地球自身の生命エネルギーとの、対話と、バランスに根ざしていないといけません。 悲しいけど、なんらかの 『自然淘汰』はあるかもしれません。全人類への、大きなチャレンジが、用意されているかもしれません。

そうだとしても、この奇跡の星に抱かれる、全ての命のエネルギーに感謝して、生き続けましょう。。
多分、それ(感謝)が、生きているという意識を今、まさに、自覚できる、私たち人類の、一番基本で、一番高等な精神生活だと思うんです。。
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個人的に、2009年に、お世話になり、時間を共にしてくれた、家族、同僚、友人の皆様へ。

今年は、お仕事が、異常な忙しさから、正常な忙しさになり、自分の時間がたくさん持てました。

ロッキーの雄大さと、魅力を再発見させてくれた、田中ちゃん、和田ちゃん、そして、一緒にたくさん笑ってくれた仲ちゃん。(デビルスサムでは、ひざも、一緒に笑っちゃった!) この4人がセットになった時の、『明るくて、楽しい、めっちゃ不思議なエネルギー』が、爆発的に発生する化学反応には、沢山楽しませていただきました。 (でも、実は学びも多かったですぅ。) 本当にありがとう。来年以降もよろしく。 (来年は、人間関係化学反応説も、さらに研究するで~。) (暴露動画を、ここに全部貼り付けようかな~~~~~とも思ったけど、あれは、秘蔵の作品達。なので、ご縁のあった方のみが見れることにしときますぅ。)

健康で、日々こつこつ働いて、食べたり、遊んだり、のんびりしたり。。。。ぶつかったり、そっぽ向き合ったりする事もあるけど、時間をかけて、あうん。のチームワークが出来つつある、我が家族。
一緒の時間を同じ屋根の下で過ごしてくれる、光と燈にも、感謝。 特に、まだまだ幼い面も残ってて、色々途上のくせに、時には、母の心の支えにすらなって、日々心身ともに、じわじわと、成長を見せる娘には、もう、びっくり。

日本に離れてくらし、今だに、自分の母親(つまり、私のおばあちゃん。)と、夫と、私の妹夫婦と、孫たちの心配と、面倒と、世話に忙しい、『偉人の名言集』の、名の無い著者の母。

あんまり、頻繁に連絡は取り合わないけど、ひさびさに会っても、離れていた気のしない友達。
なかなか会えないけど、サイバーワールド (メールのやりとり)では、なんだかいつもつながっていられる気がする古くからの友人たち。

たまにしか、日本上陸できないけど、そのたびに、快く、受け入れてくれる、親族。(光の家族。)

日本人気質とは一味も、二味も違う、感性や、発想や、チャレンジや、ユーモアを身を呈して??教えてくれる、カナダ人はじめ、色んな国から来た会社の同僚や、ご近所の人たち。。。。。。

感謝の思いをはせたい人たちが、一杯生きているこの世の中。 みんなの命を乗せて、一時も休まず、自転公転しながら、宇宙を旅する母なる地球号。。。。 

こんな私の、ブログの文字を、何の縁だか、読んでしまった、皆様に、2010年が、心 温かい時間の積み重ねに、なりますように。  今年最後のご挨拶でした。 

”ケミカル3+陸” で、デビルスサムに登る前に、アグネス湖畔にて。。 
しばらく、このブログの表紙に貼りました。なんか、心和む、写真です。

2009年12月28日月曜日

遠方より、友きたり。。て。。。

Yちゃんの、1年3ヶ月ぶりの、バンフ里帰り。

毎日が晴天で、風もなく、たぶん、西の島の住人になった Yちゃんには、ちょっと、寒かったかも?だけど、気温は、普通に、バンフの例年並の、最高のコンディション。
話して、食べて、飲んで、笑って、遊んで。。素敵な時間が過ごせました。 

楽しい時は、いつも夢のように、あっという間に過ぎてしまうもので、Yちゃんは、今日(月曜日)、西の島に向けて、帰路につきました。。。。

夕べは、Yちゃんを囲んで、長年の友がわが家に集まり、宴。 わが家には、優秀なシェフがいて、いつも、宴会は、彼の美味しい手料理に、ワイワイ。 (わが家での、宴が、”大多和亭” での、集まりと、言われるゆえんです。) 大多和シェフ。いつもありがとうございますぅ。

(本当は、食事も、一つづつ写真にとって、とうとう、このブログに、『大多和亭より。食いしん坊バンザイ!』シリーズを、始めようか!!??とも、思っていたんだけど、またまた、私のカメラが電池ぎれ~!!でした。ま、このシリーズは、また、おいおい多分、自然に始まるでしょうが。。。)

この宴の前に、今日は、Yちゃんと、今滞在中、2度目のバンブラ。 (バンフをぶらぶら。銀ブラ。から、パロッって、ここでは、そう呼ばれています。) 我が屋から、ぷらぷらと出発。振り返ったら、飛行機雲が、まるで、わが家の煙突から、伸びているように見えました。



今日も青空。空気が美味しい。


橋の上から、望む、ノーケイ山が、本当に美しかったです。 Yちゃんは、ブログには、後姿だけにして~~。ってことで。 (本当は、超!美人さんです。。今滞在中、光のすし屋の同僚が 2人も、彼女を、カナダ人と間違えたくらい。 一人なんて、Yちゃんに、英語で話しかけちゃった!?!!(ちょっと酔っ払ってたけど。。))



 セントラルパークから、ボー川に沿って、お散歩。 バンフの駅まで、色んな思い出話をしながら、ゆっくり歩きました。



その後、プラザで、光と待ち合わせ。アルバイトが終わった燈とも待ち合わせて、4人で、Chayaで、ランチしました。 お店は、韓国人やら、中国人?やら、東洋人で、一杯。カウンターで、おしゃべりしながら、ちょっと遅いお昼。


茶屋さんの、フロアー回しの女王! みほさん。 

いつも、私がランチの友と、『Soup』しに来ると、いつも、笑顔で、『いつもの!ですか?』って、言ってくれる、てきぱき働く、素敵な人!。 今日は、『いつもの方たちと、いらっしゃるのは、たいてい、火曜か水曜ですよね!?』って、そこまで覚えてくれてて、改めて考えたら、月曜は、あけみさんが、お休みで、木曜は、私が、いつも、全体会議やら、ミーティングがあるから、おっしゃる通り、いつも、火曜か、水曜なんだぁ!!!。って、私が、感心してしまうほど。 何時も、本当に、気持ちよいサービスを、ありがとう!!!! 来年も、お世話になりますです。 
現地ツアーガイドを経て、このお店で、頑張る みほさん。
このページを借りて、『祖国を離れて頑張る人、紹介 シリーズ』 ミニ。でした。。。

Yちゃんも、祖国を離れて、頑張る人。 お仕事に、ホッケーに、なんでも、まじめに、全力投球。責任感の、塊だから、時に、その重みで、つぶれないように、上手に、息抜きしてね。

今日は、ラベル付けに、悩みます。
祖国を離れて、頑張る人、紹介シリーズでも、あり、お友達紹介シリーズでもあり、素敵な人、時、場所、紹介シリーズでもあり、Yちゃんに、とっては、バケーションだし、私にとっては、バンフレポートの部分もあり。。。 なやむぅ。。。一番欲張りなラベルにしておきます。

Yちゃん、訪ねてくれてありがとう。 また、会える日まで、お互いに、元気に、生きようね。
(ブログ、いつも読んでてくれて、ありがとう。。)

2009年12月26日土曜日

Merry Ho Ho!

クリスマスホリデーに突入中です。

今年は、我が職場のコンファレンスオフィスで働く面々は、ただいま、全員、クリスマス休暇中。 
私は、24日で、お仕事収めをし、1月3日まで、お休みですぅ。

わが家には、カナダ暮らしを始めてから、一番長い年月(ほぼ20年来)に渡ってお友達関係 続く~の、Yちゃんが、カナダの西の島から、遊びに来ています。 バンフに里帰り!?は、1年3ヶ月ぶりなのに、ぜんぜん、久しぶりの感じがしなくて、不思議なくらいです。

思いっきり晴れ女!?のYちゃん。 天気は良いし、寒波は、去ったし、いい時に来たね~。

Merry Ho Ho!

この期間は、遊びと、集まりの予定が、(企画) たっぷり。
ブログの、アップは、スローダウンしますぅ。

皆様も、楽しい年末年始を、お迎え下さい。

2009年12月23日水曜日

小雪舞う、バンフより。Summer の話し。

世の中には、素敵な、心に響く、名前を授かっている人が結構いる。
最近の、日本人の、むりやり、外人の名前を、漢字に当てはめている?かのような名前。。っていうのには、興味もないし、そそられないけど、私の職場には、私が今まで生きてきた中で、(って、またまた大げさ!?)一番、インパクトの強い、と、言っても過言ではない、素敵な名前の、カナダ人がいます。

彼女の名前は、Summer。(サマー)

そんなこと、言われたって~。なんで~?日本人にだって、夏とか、秋とか、春ちゃん、冬ちゃん。(あ、てるてる家族。。って、NHKの朝の連ドラありましたね。)って、いるじゃん~!って、声が聞こえてきそうですね。

でも、彼女は、本当に素敵な名前。

カリフォルニア在住の、ご両親が、サンサンと降り注ぐ太陽のような、明るい、暖かい、娘にしたかったんだろうなあああああ。。。。とは、容易に想像がつくのですが。。。

彼女の、パートナーの名前も、ちょっとユニークで、彼の名前は、メモ。(スペルわかりません。)彼は、メキシコからの移民です。。。彼も、太陽サンサンの町から、やってきた、あっかるい人です。今は、町のとあるレストランの、バーテンダーですが、この町では、指折りにサービス精神あふれる人。世界中からの、お客さんを、接待しようと、色んな国の、言葉に、興味深々。日本語も、かたことしゃべります。(ちなみに、この2人も、光の働く回転寿司の超~常連。なんていったって、外食は、ここ以外では、ほとんどしないという、ポリシーのカップル。。なんでも、メモが、料理好きで、ほかのレストランで食べるものだったら、自分で作った方が、おいしい。。って。)

話しは、飛びましたが、サマーにも、『サマーくらい素敵な名前の人はいないから、私の日本語ブログに書いていい??』って聞いたら、『OK~。私日本で、有名人になれる??』って、明るく笑って。。。。


本当の、名前です。彼女の、オフィスキュービクルの前で。

彼女は、われらがバンフセンターの、リザベーションで、主に、アーティストの、宿泊の予約を、まとめて担当しています。電話で、お客さんと、話していたり、向こうが、予約確認なんかで、担当者の名前を聞こうと、『May I ask your name?』という問いに、『My name is Summer. Summer Day.』と、言うと、向こうの人が、固まって 『?????え??冗談?まじ???』って、感じになることも、多々あったりするらしい。

寒いのが嫌いで、冬は、良く風邪引く(??)けど、明るくて、お茶目な、Summerです。

クリスマスランチ @ マリアン宅

先週の土曜日に、友達のマリアン宅にて、クリスマスランチの、集まり。

カナダの人は、日本人の言うところの忘年会の乗りで、12月の声を聞くと、友人が集まる Christmas Get Together! (ようは、パーティー)を、あちこちで、何度もする。

クリスマスイブは、どちらかと言うと、恋人たちの夜!っていう日本とは違い、家族のもとに、帰省して、25日に、家族で、クリスマスの朝を祝い、子供たちは、プレゼントをあけ、教会に足を運ぶ。。。ので、"クリスマス”が名目の、友人の集まりは、クリスマス前になることが、多い。。。

今日のメンツは、もともとは、バンフセンターで一緒に仕事をしていた職場の同僚。。から成長して、個人的、家族ぐるみのつきあいになり、今は、2人供、センターを離れて、年月はたったけど、それでも、細く、長く、暖かく、楽しい関係が、積み重なっている数少ない、大事な友達の、マリアンと、エレーナ。そして、彼女らの家族。


向かって左が、マリアン。右、エレーナ。

この日は、マリアンのだんな様の、アイデンが、先月生まれて初めての、ライフルを使っての猟で、しとめてきた。。という、鹿のお肉 (もちろん、ライセンスとって、合法的な猟)の、シチューのランチと、チョコレートフォンデューを囲んでの、ワイワイ!!

アイデンは、仕事で、地元の、リゾートTVの、レポーターなどもしていて、プロのビデオカメラマンでもあり、、そうだ!ってことで、彼に、今回は、私のカメラで、動画を採ってもらいました。



残念ながら、我が家は、光はお仕事、燈も、キャンディーショップのアルバイトだったので、私は一人参加だったけど、いつものように、楽しいおしゃべり、おいしく食べて、昼から、ワインも、ちょっと飲んじゃって、アイデンの猟の話し、子供達のこと、来年以降の、バケーション計画、やらやら。。みんなおしゃべりなので、話題は尽きない。

このメンツは、国際色豊かで、楽しい。 マリアンは、昔、日本の秋田で、3年英語教師をしていて、当時の秋田に、英語を話せる人がまるでいなかったおかげで、3年で得たとは、思えないほどの、日本語がわかる。(それも、超~~敬語)フランス語も、話せて、3ヶ国語が操れる。 アイデンは、トルコ系のカナディアン。英語、フランス語と、トルコ語を使える。彼らの娘の、セナは、フレンチスクールに行っていて、家では英語、学校ではフランス語。。の、すでに、バイリンガルの道、まっしぐら。もちろん、トルコ語も、少々使える。

エレーナは、ロシアからの移民。だんな様の、フレンチカナディアンの、クリスチャンが、もともとは、バンフセンターにいた。ところが、”友達の、仕事を手伝に行く”と、何年も前のことだけど、とづぜん、ロシアに渡った。マリアンと、『クリスチャンは、大丈夫なんだろうか。。。』と心配してたんだけど、戻ってきたときは、なんとも、素敵な、奥様を連れて帰ってきた。その後、エレーナも、センターに入ったので、職場の同僚、そして、昼休みの水泳の友!を、一緒にしていた。 

彼らの家では、エレーナは、二人の娘に、ロシア語で、しつけしてて、クリスチャンは、フランス語で、話しかけ、夫婦2人の会話は、英語で。。子供達は、フランス語も、ロシア語も、英語も、すでに、区別して理解しはじめている。 音にできる言葉は、英語が多いけど。(やっぱり、周りにいる人が、みんな使っている、そして、テレビから、いつも流れる言葉が、一番入るみたい。)

エレーナに聞く、ロシアの暮らしの話しは、興味深い。大陸の人で、思いっきりの白人だけど、アジアの人に通ずる感性がある。日本と同様、貧しい時代が、長かった (長い)国の人のせいか?、北米大陸人のおおらかな? 悪い言葉でいうと、いい加減で、大雑把な 感性や、贅沢な感覚とは、ちょっと異なる、繊細で、質素な人柄。そして、めっちゃ賢い頭脳をもっている。

何時も集まると、必ず、3人で、(というと、アイデンも、クリスチャンもおれも!おれも!!っていうけど)いつかは、日本を旅したいよね~。という話しになる。マリアンも、アイデンも、日本には何度も行っているし、昔の、教え子もいる場所もある。エレーナは、私に会うまで、お寿司を食べたことも、日本食を食べたこともなかったけど、生来、興味の塊のような人で、私が、日本の桜の写真を、見せてあげてから、いつかは、満開の桜を見に行きたいと、夢を膨らませている。(余談ですが、エレーナは、無類の、マヨネーズ好きで、なんと、キューピーマヨネーズが、ロシアのマヨネーズの味に、一番近い!と、絶賛しています。北米のマヨネーズって、日本のとは、かなり味がちがうんです。。。。)

夢のようなことばかり言ってても、しょうがないから、20XX年を、目標に、貯金を始めると、言い出す2人。と、いうのも、来年には、マリアンと、アイデンは、フランスに旅行、エレーナ達家族は、ロシアに一時帰国が、決定している。その大きなイベントがそれぞれ終わったら、日本行きを、真剣に考える。。って言い始めた。

きっと、こうやって、心向きを、自分で、設定するところから、夢は、現実に向かって、歩き出すんだろうな。。。と、思う私。(本当に、実現したら、どんだけ楽しいことか!)

元気に、ちゃんと、働いて、人に、自然に、地球に感謝して、今日の夢が、現実の日につながるように、日々 前に、進もう。 進みたい~~~。

2009年12月20日日曜日

小粒のブログ。。の、始まりに。。

今日も、このページに、立ち寄って、私のつづる文字を追ってくださるみなさまへ。

ありがとうございます。
今日は、この小粒のブログの、マイブログリストに、新しいリンクを張ったお知らせです。
"Baby Roy-Fell" ブログです。(Roy-Fell 家の、子供たちの記録)

このブログは、以前に、一緒の職場で働いていた、Irene (アイリーン)が、母になり、出産と、子育ての時間の中で、(現在2人の子供のお母さん)彼女の目に映る、子供達の日常の姿と、成長を、深い愛情あふれる、彼女の感性と、写真で、つづっているブログです。

実は、3年前から、このブログには、思いっきり心惹かれていました。彼女の心の声と、母親として、人としての大きなふところ、愛。。のエネルギー振動が、びんびん響いてくるブログだからです。

見たら、一目瞭然ですが、小粒のブログは 彼女のブログの、フォーマットを、(おんなじ テンプレートの色と構成。)使わせてもらっています。

真っ黒な、ブログは、暗いなあ。。と思われた人もいたと思いますが、実は、私は、このなんだか、宇宙空間から、静かな声が、響いてくるように、感じられる、この黒のテンプレートに惹かれたのも、彼女のブログの影響です。

2006年の、アーカイブから、時間の流れに準じて、覗いていただいたら、妊婦時代の彼女。アクティブなカナダ人の生活、出産、明るくて、愛情に満ちた子育て。。。。お茶目で、いたずらで、きらきらした、子供らしい2人の成長。。英語の読みきれない人にも、十分、何かを感じてもらえるブログです。

ひさしぶりに、Ireneに、連絡をとって、私のブログのことを伝え、この日本語ブログに、彼女のブログリンクを、貼り付けても良い?ってお伺い。 返事は、OKでした。彼女も、仕事で、関わっている日本人の人がいるから、私のブログに、何が書かれているか、訳してもらって、見ようかな。。って。

とにかく、めっちゃ素敵な、ブログです。英語に興味がある方には、英語の勉強の場にも、なるかもしれません。
今は、彼女は、ちょっと忙しく、子供の成長にのみ、にフォーカスしたブログから、子育てを通じ学んだことなどを含め、もう少し、広く展開したことを書きたいと、思い始めているそうで、アップは、それほど頻繁ではありませんが、細く、長く、暖かい、ブログになって行くことは、間違いなし。

本日の小粒の一押し!でした。

余談ですが、このご一家は、光の働く 回転寿司の常連さんでもあります。子供達も、かなりの寿司好きに、ちゃくちゃくと成長中。

始まりから、ブログリストに載っている、ロッキーのねーちゃー紀行、と、カナダの森で。。は、言わずもがな、私のブログの出発に際して、多大なる、影響を与えてくれていますが、彼らのお話は、また機を改めて。。。 

2009年12月18日金曜日

ゲストブック。。。。。

指先から、はじきだされて、文字になる、言葉。

最近、以外な人からも、ブログ読んでいますよ~。って、メールが来たり、娘が、『お母さんのブログ見てるから、知っているわよ~。』って、言われてきたり。

なんとなく、日本に遠く在る、古くからの友人や、親族家族や、はたまた、世間一般の人々に、向けて、書いている文章なんだけど、コミュニケーションは、同じ高さの目線で、双方向。。を、歌う私としては、何かの縁で、この場所に、羅列する文字を、目で、追ってしまった全ての方の、反応を受けてみたい。

コメントは、恥ずかしいから、メールで。。って、反応してくれる人が多いので、このサイトから、飛べる、ゲストブック代わりの、メールアドレスを作成しました。

読んだよ~。だけでも良いし、そちらの、近況を入れてくれても良いし、私に面識の無い方は、心地よい範囲でいいので、自己紹介を。。。お願いします。

ご来場の足跡を、一言メッセージで、OKです。ぜひ、お残しくださいませ。
kotsubunoheya@live.jp

コメントの書き込みでも、もちろん、OKですよ~~~。 (恥ずかしがらずに、一回、匿名でも出てしまうと、新しい世界、開けますよ~~。)

小粒よりお知らせ あんど、お願い。

2009年12月17日木曜日

正義の味方 VS 自分勝手。

自分の中に、小粒(勝手に私が名付けた)というエネルギーの粒がいて、こいつが、とてもおしゃべり。最近、こいつのおしゃべりと、種々多様なる、感性に、時々、つぶれそうに、なっています。

こいつは、妙に、正義感が強く、勉強好きで、(というか、知らないこと、知らなかった事が、わかるようになること、できなかった事が できるようになること、行ったことのないところに、行かれること。。っていう体験感覚が、大好きなんです。)常に、前に、前に、上へ、上へ。大きく、広く、深く、暖かく。。。と、スピリチュアルなる魂、生命エネルギーの存在全てに、(自分を含め、全ての生きとし生ける命に。)にエールの声を、うるさく上げ続ける。(どこから、くるパワーなのかな。何に、育てられてこうなったのか? 不思議は一杯あるんですが。。)

でも、世の中や、社会には、スピリチュアルなる成長や、研鑽にはお構いなしか、意識せずして (本人は気付いていない)、心に、ピノキオのジムニークリケット(Conscience -良心、分別、善悪の判断力、誠実さ)のいない、大人がちらほら、そしてあちこち。。にいることに、時として、気付いてしまったりする。

平気で、うそをついたり、隠し事をしたり、見栄を意味なく張ったり、自分の言動が、つじつまが合わないことに気付かなかったり。。。

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小粒の信念。というか、小粒の思う、真実。
1.うそは、自分と天にはつけない。(なぜなら、うそ、いつわりをついているのを、一番知っているのは、自分)
2.隠し事も、自分と天にはできない。(だれかに、何かを隠して、こそこそ行う行動、言葉を変えたら、つまり己のやましい気持ちが付随している行為に、もし、何らかの快感を感じている人がいたら、自分は、ちょっと、病原菌に、犯されていると気付いた方がよいですよ。天には、ふたがなく、天からは、丸見えです。)ー 最終的には、人にも、ほぼ丸見えになるんです。(タイガーウッズみたいに。。)
3.見栄を意味なく張ると、周りの人は、潮をひくように、離れていく。
(見る人が見れば、真実は、おのずと、明らか。)
4.自分の行動と、言動のつじつまが、合わない人は、実は、同じことを、他人にされている。
(世間では、たらいの法則とか、言うんだそうです。他人にされていやな気持ちになることを、自分が、他人に、無意識にしていないかを、考察できますか?)

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またまた、母の教え。
『人にされて、いやな気持ちがすることは、人にはしない。』 
目には目を、歯には歯を。の世の中を、覆すべく、心に刻みたい言葉です。
自分が、日々、生きている中で、本当は、自分がされたくないことを、人にしちゃったりしていないかと。。。

多分、全ての人の心の中に、正義の味方と、自分勝手と、両方が、いるんです。
意識していないと、さまざまな周囲の状況に流されて、双方が、好き勝手に、現れる。自分を、主体的に、そして、同時に、客観的に、意識できるか。。ってのが、大きな鍵なんだろうと思います。(これ、すごく、むずかしい。小粒のおしゃべりのおかげで、主観、客観を、考えるように今さらながら、なって来ました。)最終的に、意識で、コントロールできるのは、自分だけですからね。 

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アインシュタインの言葉。
常識とは、18歳までの、偏見のコレクションである。

実は、小粒も、偏見の塊なのかも。 (それを、うっすら知っているから、いつもやさしい気持ちでいたい。。って、思うんだろうな。だって、本当にやさしい人だったら、やさしくありたい。。なんて、思う必要ないもんね。)

小粒を、考察してみました。

2009年12月14日月曜日

祖国を離れて、頑張る人々。。 

私は、バンフにある、バンフセンターという所で働いています。発祥は、1933年 (世界大恐慌の真っ只中)に、アルバータの北、エドモントンにある、アルバータ大学の、夏季演劇スクーリングのブログラムが、バンフで始まったのに、由来しています。 当時のこの、スクーリングは、バンフのダウンタウン (現在のインフォメーションセンターの場所)で、行われていました。 こんな美しい山々に囲まれた、景観の中で、学ぶ事を通して、それぞれの、想像力、演技力が、開花する!と言う 理念に、基づいていました。 現在の、バンフセンターの、モットーも、”Inspire Creativity"  (創造性を開花する)を、謳っています。。

スクーリングの理念に、賛同し、音楽、バレエ、その他の、芸術プログラムが、この場で、行われるようになり、『Banff School of Fine Arts』 に成長しました。 初期の、社長であった、Donald Cameron氏が、国(パークスカナダ)と交渉し、このバンフ国立公園の中に、47ヘクタールの土地を、誘致してもらう事に、成功。 現在の場所に、移転してきました。

その後、1950年代に、企業マネージメントに携わる人達に対応する、リーダーシップデベロップメントのプログラム、コンファレンス部門などが、加わり、今の姿へと、成長してきている 教育機関です。 

先月、日本から、雑誌の取材が来て、『バンフセンターを、一言で説明していただくと?』という質問には、うまく答えられませんでした。 なぜなら、『生涯教育センター』でもあり、『芸術学校』でもあり、カナダで、2番目に大きな、『コンファレンスセンター』でもあり、『企業マネージメント育成スクール』でもあり、運営資金の、30%弱は、公費。残りは、自前で、稼いでいて、日本で言うところの、第3セクターのようでもあり、でも、収支の上では、Non-Profit Organization (NPO)であり。。。。最終的には、『長くなりますが。。』と、80年弱の歴史を、急いでお話しました。 ここと、同じようなことをしている、同じような姿の機関や、施設が、世界にも、ほとんど類を見ない。。ってところが、ユニークでもあり、説明困難な理由でもあります。

宿泊設備があり、(現在は、一般のホテルと同等クラスの部屋を、400弱所有 -いまだに、センターの部屋は、あちこちの人に、ドミトリー(寮)と、思われていますが、実際、見たら、びっくりしますよ~。) 食事が出来る設備が、充実していて、教室および、会議場があり、そして、学んだことを発表できる、コンサートホール、劇場があり。。。ここで、暮らす、Residential Artist (短くて、3週間、長いと3ヶ月のプログラムとかに、参加して暮らすアーティスト)の人にとっては、部屋は、ハウスキーパーが、食事は、Food and Beverageが、してくれるので、己の、作品、作業に、一日中没頭、邁進できる (せざるを得ない!?)という、環境を提供しています。

私は、ここの、コンファレンスで、働いて、もうすぐ10年です。初めて、フルタイムの社員になったとき、会社の既定が、つらつらと、書き並べられている書類を、読んで、ちょっと感動しました。

ここの人事課の正式書類に、『働く人を、その人の言語、人種で、差別してはいけない。』と、明記されていたからです。 その文字が、私の脳裏には、ぴかぴかと、光って、見えるくらいでした。

本当に、いろんなルーツの人が、一緒に仕事をしています。今では、私には、普通の日常ですが、たぶん、日本のような、単一民族国家の歴史が長かった国の人には、ちょっと特殊なことかもしれません。 

カナダ人という、人種に、特定の”血”は、存在しません。この国に、生まれた人、移民から、市民権を得るにいたった人が、全て、カナダ人です。

私の周りのカナダ人は、ルーツをたどると、オランダ、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス。。。と、ヨーロッパ系、および、カナダの、アボリジニ (先住民族)の血が、混血したり、いわゆる、雑種。。という血の人も多い。(昔、バンクーバーに住んでいた事、知り合いだった、カナダ人の男の子が、自分は、7つ、違う血が入っていて、雑種だから、病気に強い!と、自慢してたっけ。)

もともとを、たどったら、みんな、『祖国を離れて、頑張る人』っていう、DNA持ち、が集まる国なんだろうなぁ。と思う。

私は、市民権は持っていないので、永住権を所有する日本人。でも、仕事の上での差別も、区別も全くありません。肩書きは、マネージャー級のタイトル付きの職種のため、私の指示に従って、動いたり、働いてくれるチームを引っ張って、担当コンファレンスや、海外学生教育プログラムなど、進めていくにあたっても、たくさんの、スタッフが、とっても、気持ちよく働いてくれます。

近年は、ワーキングホリデー制度とか、ワークビザの制度で、カナダに在住する、韓国人、日本人、オーストラリア人、ニュージーランド人。
インド系の移民、ロシア系移民、ベトナム系移民、ペルー系の移民。。。こんな小さな町なのに、とっても、国際色豊かな、人々に、彩られる職場に恵まれています。

去年からは、フィリピンからの、労働ビザの、スタッフが、十数人、ハウスキーピングで、働いています。彼らは、本当に、働き者で、お仕事も、キチンと丁寧にやり、回りからも、感謝される存在。
でも、今日、同僚に、聞いたら、中には、何人も、祖国に、家族を残してきていて、仕送りしている人が、いる。。って。

今日、聞いた話。。とあるスタッフは、祖国に、旦那様と、7歳の男の子と、3歳の女の子を残して来てて、子供は、その旦那様と、彼女のお母さんが、面倒を見ている。。んだそうだ。 私に、そのことを彼女から、聞いて、びっくりして、報告に来た同僚が、『なんで、そんな暮らしするんだろう。残された子供達が、不憫だ~。』って。私が、半分は、憶測で、『きっと、カナダで、稼いだお金を、ほんのちょっと送るだけで、フィリピンでは、たくさん暮らせるくらいのお金に、換金できるんじゃい!?』。。。。。

家に、戻って、光とその話になって、フィリピンの、生活事情や、物価、換金レートなど、調べてみた。やっぱりそうみたい。。。 カナダで稼いだお給料を、もし、ひと月、300-400ドル、(3-4万円) 祖国に送ることができたら、フィリピンで、大人二人分の、平均月給くらいにあたるらしい。。。

そんなそぶりは、全く見せず、てきぱき、毎日、明るく働く姿。。。心から、応援したい気持ちになります。

祖国を離れて、頑張る人々。。。。(一応、私も、この仲間に入っています!!)
今日も、元気に。 明日も明るく、前向いて、歩こう~~!!。

彼女は、ファイナンシャルオフィスで働く、韓国人の、Sol (ソル)ちゃん。ワーキングホリデーで、経理に入った、つわもの~。今は、労働ビザ。来年に、ビザの、更新が、できるかどうか、近々の、事情で、定かじゃないけど、一緒に働いていて、気持ちの良い、女の子です。(私の、娘でも、おかしくない年~~!) 先週、縁あって、一緒にランチした時に、写真は、めっちゃ恥ずかしい~~!!。って、いやがったけど、上手く撮れちゃいました~。

2009年12月13日日曜日

ていちゃんが、教えてくれたこと。 (またまた、長いですぅ。。)

久しぶりに、昔話です。メンタルに、ハンディキャップのある子たちと、関わっていた時に、またまた、子供の生きざまから、教わった、お話しです。

その子は、目が見えず、重度精神薄弱で、さらに、自傷(自らを傷つける行為)の激しい子でした。家で、面倒を見切れるはずもなく、ご家族は、出かけるにも、一人家に残しておくことができず、でも、出かけなくてはならず、残さざるを得ない時は、動きまわれないように、拘束せざるを得なかった。。。。。。

学園に、初めてきたときは、顔、頭が自傷行為で、傷だらけ。。近づく人には、頭突きをし、物投げも、ひどく、上履きや、歯ブラシを、とんでもないスピードで、電灯やら、窓ガラスやらに、たたきつけるように投げ、破壊行動と、判断される行為も、持っている子でした。

外作業とかの時に、地面に、石とか、板切れとかが落ちていて、それがたまたま 手に触れると、すかさず拾い、それで、自分の頭を、がんがんたたいたりして、血を流す場面が、学園でもはじめの頃は、多々あったそうです。

こういう子供達には、普通(何が普通か??という問題もありますが。。)というか、一般的な言語指導は入りません。なんせ、言葉の”意味”での、指導は、できないわけですから。

でも、自傷や、他傷、破壊行動や、強烈に強いパターン行動は、なんとか、生活とかかわりの中で、軽減したい。

一つ一つの行為が、どういう場面で、出るかの、決め細やかな観察。そして、それを、どうとらえ、どう反応するか。を、関わる人間の間で、どう統一していくか。。が、大切なポイントとされていました。

(アプローチ、タッチを統一しないと、子供達が、混乱するのです。この先生の時は、この行為が、許された、でも、こっちの先生は怒った。。とかでは、こちらが求めていることが、伝わらず、ただ人を見るだけ。。になってしまうからです。)

まずは、マイナス行為が出た際、一切騒がず、声を上げず、静かに、状況だけに対応するようにしました。(傷を作ったら、それは手当てするものの、声かけは一切しない。ほぼ、マンツーマンディフェンス状態で、他の子に、危害が及ばないように、注意し。。。。この、状況をさりげなく作りださない。。ってのは、ものすごく難しかったりします。) 

そして、同時に、外作業で、ていちゃんが、なんの気なしに、草むしりをした瞬間、『お~~えらいぞ~。すごいな~。草が、むしれたのかぁ~~~!!』と、大げさにほめて見たんだそうです。そうしたら、その日以来、外作業に出たら、一生懸命、草をむしり始めた。 お皿や、食器を、静かに、こっちから、あっちに、動かせたとか、歯磨きの後に、コップを、所定の位置にしまえたとか、そういう、些細な日常生活の中での、動きを、いちいち、全部、ていねいに、ほめていったのです。ていちゃんは、そういう些細な行為に、すこしづつ、意識が向くようになりました。一つ一つの動きを、一つ一つ確認され、認められ、ほめられる。一日が、そんな風に、回るように、すこしづつ、変化していったのです。(詳しくは書ききれません。24時間対応の施設で、何ヶ月も、何ヶ月も、長い時間の中での、試行錯誤の結果です。) 

ていちゃんにとっては、一般に、大人が、『この子は悪いことしかしない!』と、意味づけて解釈されて、怒られ続けていたその行為は、”悪いことをするため”、にしていたわけではなく、かかわりと、反応が欲しかった上での、行動だったのです。だから、親や、周りが、一番大きな声で、一番、大きく反応してくれる (さわぎたててくれる)ことを、一生懸命、し続けていたのです。(それが、驚きの叫びでも、怒りの声でも、何でも。)でも、同じような行為を繰り返すうちに、それが、本人の 人を図り、人と関わる、そして、人を楽しむ?方法のパターンになってしまっていたのでした。。。。己の行動を、喜ばれたり、ほめられたり、認められたり。。という、心地よいパターンでの、人との関わりを、それまで、意識できるような生活を、送ってきた体験が限りなく少なかったのでしょう。

自分の頭を、勝ち割るように、殴り続ける行為も、痛みや、悪さを望んでのことではなく、ふとしたきっかけで、身につけた、もっとも効果的な、(そして捨て身の)呼びかけだったのだと思います。 人との関わり方のバラエティーを知って、別な方法でも、人と交流できる時間が増えて、頭や顔の傷は、薄れて行きました。 (そういう子は、他にも、少なからずいました。)

この学園で、働いていたとき、どうして、この子達を、精神薄弱と呼ぶのか、とても疑問でした。

なぜなら、彼らの、感性は、一般的に、”普通”とくくられる人たちより、何倍も、繊細で、深く、そして、時に、生い立ちのなかで、よじれ、複雑になっていました。ぜんぜん、薄くも、弱くもないのです。。。

このていちゃんは、目は見えなかったけど、耳がとてつもなく良く、周りの人を、ちゃんと、声や、足音で、判別していました。私も、新人のとき、そばを通りかかっただけで、『新しい、ちょろい先生が来た!? ちょいと、こいつの反応をうかがってやろう!』と、試され、上履きを、天井に向かって、思いっきり、投げつけられました。その行為をきっかけに、私は、ちょっと、話しかけてしまい、(しかりの声かけではなく、やわらかくですが。。)これは、すぐ後に、大失敗だと、気付きました。なぜなら、またまた 反応を求めて、私が、通りかかったら、100発、100中、上履きが、空を飛ぶことになってしまったからです。私が、かかわり方を、改め、その行為はさりげなく、無視し、別の場面で、ちがった、声かけするようにして、しばらくしてから、上履きは、飛ばなくなりました。

人は、人との関わりの中に、はぐくまれ、生きている。。そばにいる人に、反応して欲しい。関わってほしい。声をかけられたい。関わりたい。てい君の、そんな心の叫びが、私に、大きく響きました。。

今だに、うまく言葉には、できませんが、何か、大きな大切なことを、教えられた、気づかされた、再認識させられた、体験談です。
 
もう、20年以上、前の話です。短い時間しか関わっていなかったけど、多くを学びました。彼ら、彼女らが、沢山の周りの大人を、ある意味、深く育てる人生を送っていたことは、間違いなしです。方法は、ちょっと、一般的ではありませんが。

******** ちょっと、話の方向は変わります。。****** 

良く、母が言っていました。 人は、人の間に生きて、初めて人間になる。。。。。 

全ての、 子供達が、はぐくまれ、自らの生命力を開花して、育ち、パワフルに生き抜いていかれる ”人間環境” を、大人は、ちゃんと作りだして、行きたいですよね。 そして、私達も、きちんと、楽しい大人、していきたいですね。 (私 個人の大きな希望でもあります。) 

たぶん、『普通』と、大人がくくる子供の育ち方にも、同じようなことが言えます。子供は、叱られているだけでは、良いことをする子にはならないのです。 何が、どう、良い事で、良い事や、心地よい関わりが出来たときの、『快』の感覚を知って、初めて、良いことをすると、気持ちがよい。と、学ぶんだと思います。 『叱る』行為をなくす必要はありません。どうしたって、叱らなくてはいけないことだってあります。でも、なぜ、どうして叱られたかが、子供に分かるように叱り、その行為が改まったり、良い行動が出た時に、叱った以上に、認めることで、良い事に意識が向くのです。叱られて、反省して、行動を改めたのに、その変化や、行為に、だれも、気づかず、認めてくれず、流されちゃったとしたら。。。子供の気持ちになったら、分かりますよね。。

アプローチ、タッチの統一にも、同様なことが言えます。 同じ行為をしたのに、お母さんは怒ったけど、お父さんは、笑ったとか、A先生は、カッカと怒り狂ったのに、B先生は、許してくれた。。とか、同じ行為をしたのに、今日のお母さんは、機嫌が良くて、見逃してくれたのに、明日になったら、怒り狂った。。とか。 こういう環境の中では、子供に、良し悪しの基準は育ちません。ただ、人の顔色や、状況を見る天才にはなりますが。。。

余談ですが、『叱り』と、『いかり、おこり』は、根本的に、違います。子供をしつけたかったら、ちゃんと、『叱れる』大人にならないと。 叱りには、”教育的人間愛”が、必ず付随します。 なぜいけないのか、なぜ、叱るのか、どうなって欲しいから、叱っているのか、理由と、描きがある上での、行為です。

いかりと、おこりは、いかっている、おこっているその大人当人の、”不快感” しか付随していません。不快感を、直球でくらうことが、心地よい、人間はいないし、他人の不快感で、善が育つとは思えません。人間には、己を守ろうとする本能がありますから、無意識レベルでの反応は、そこから、『逃げる』。ですよね。(現実行動として逃げるか、精神的逃避かは、事と次第ですが。。) 逃げるマインドセットの子供を、不快感の塊のエネルギーが追いかけても、そこに、教育や、人間愛や、プラスのエネルギーは、生まれませんよね。。。。。

親になる。親をする。。。って、実は、世界で一番難しくて、大変で、貴重な ”人”を、育てる。というお仕事。 核家族化が進み、おばあちゃんの知恵なんて、継承されなくなった現在、親教育。。っていうのが、実は、学校教育より、幼児教育より、手前で、さらに、大事なんじゃないかなああああああ。。と、思う今日このごろ。  (偉そうですみません。 私も、まだ、親は、15年弱しかしていません。 結構、良い娘に、恵まれていて、彼女に、助けられたり、なだめすかされたり、気づかされたりして、日々、心、感性は、じたばたしていますです。。) 

そんな じたばたの私ですが、人と関わり、育て、育てられる時、たぶん大切な事は、ちゃんと目を見て、向き合うこと。心の目と、耳、五感、六感全て開いて、使って、関わること。 コミュニケーションは、キャッチボールで。(同じ目線で、双方向。) 一方的に、型はめ (自分のお人形状態にして、自分の思い通りの人に仕立てるために、コントロールを入れること) したり、決め付けたり、短絡的な評価をしないこと。。 一緒に生きて、一緒に成長すること。じゃないのかな。 と、個人的には、思っています。

2009年12月11日金曜日

一人、静かな夜。

今日は、金曜日。 TGIF! (Thanks God It's Friday!) と、こちらの人は、日本人の言う所の、”花金~!”っていう意味で、言います。

今日は、一人静かな夜。町の小さな回転寿司で、働く光は、金曜日は、ほとんどが、夜番。娘の、燈は、お友達の、Kate の、お誕生会にお呼ばれで、お泊りです。 Tea Party と、Sleep Over だそうで、お友達は、みんなおしゃれをして、(ドレスとかで) Party するんだとか!? 

今日は、お仕事の最後に、気圧が、急に下がって来た?せいか、それとも、この寒波で、風邪を引きそう?なのか、はたまた、お歳で、お疲れか、ちょっと頭が痛くなり、コンピューターの画面を見てるのが、いや~~な感じになったので、一人を良い事に、かえってきてから、”爆眠!”
(何か、夜中の、睡眠より、こうゆう昼寝とか、夕方寝とか、夕食の後に、カウチで、口開けて、気が遠くなる時の方が、眠りが深かったりするのって、不思議。。)

ケミカルな薬は、好きじゃないけど、子供の頃から、『寝る子は育つ!』で、大きくなってきたので、寝ると、たいていは、元気になります。

一人静かな夜。この後は、何しようかなぁ。。。。。。。。。。
こんな時は、何をするのが、一番好きですかぁ????


ハワイで、感じた、暖かく、やわらかい日差しと、青い空でも、心に思い浮かべて、(って、ぬくぬくブランケットに包まれて。。って意味かも。)心静かに、本でも、読んでみようかな。

2009年12月10日木曜日

カナディアンロッキーより、真冬をお届け。

12月に入って、本格的な冬に突入しています。このところ、最低気温が、マイナス30℃に、限りなく近い日が、ちらほら。 ハワイから考えると、60℃近い、温度差に、人間の体が、ちゃんと、順応するのだから、脅威です。まあ、人類の200万年を越える歴史を考えたら、冷房だの、暖房だのに、甘やかされずに、生き延びてきている時間の方が、よっぽど長いし、この『人類』という、哺乳類は、以外と、まだまだ、秘められたパワー(人間力)を保持しているんでしょう~~。 (って、話しが大げさで私は有名ですぅ。こんなブログを、読んでくださる皆様、ありがとう。そして、どうぞ、お許しを~~~。)

先週は、お仕事で、日本から、スキー研修に訪れていた学生さんのグループを、お手伝いしていました。大阪のこの高校は、毎年12月に、カナダに、学生を送ってきていて、今年で14回の、訪加。私が、このプログラムを手がけて、今年が、9回目。体育を専攻している学生なので、言葉の壁があっても、スキーの上達が、めまぐるしく、現地の、スキーインストラクターにも、大好評!の、グループです。

私は、宿泊、食事、スキースクール、スキーレンタル、開校式、スキーのためのESLのクラス、スキー検定、および、表彰式、閉校式。。。全ての、手配と、現場のフォロー、そして、現地スタッフとか、スキーインストラクターとか、English Speaking の人と、学生、先生達の間での、必要な時の、通訳業務。(基本的には、学生には、自分で、聞いたり、話したりする努力を求めますが、大事な、場面や、取り決め事項など、憶測で、物事が進んだら、やぱい!って時だけの、通訳。) 開校式やら、閉校式やらの司会進行。。。時に表、主に、裏方の、何でも屋です。

スキースクールも、レンタル担当のスタッフも、スキー場の、ケータリングや、グループセールスのスタッフも、この上なく、協力的で、長年かけて、つちかってきた、双方の信頼関係の上に、楽しく、充実の時間を、学生に、提供できるのが、こちらにとっても、楽しみでもあり、醍醐味でもあり。。。

今年のカナディアンロッキーは、過去20年で最高のコンディション!という鳴り物入りで、各スキー場がオープン。うわさにたがわず、スキー場の雪質、および、ゲレンデの、状態は、だれに聞いても、”Great!" という答えが返ってくる。 

それでも、気温は。。。。。彼らは、12月の、2、3、4の3日間、フルデーで、スキースクールに入る予定。。朝の、天気予報では、最低気温が、連日、マイナス24℃と、報道されていて、ちょっと、心配しながら、スキー場へ向かう、毎日でした。。。

と、こ、ろ、が。。水曜、木曜は、スキー場は、無風快晴で、インバージョンの状態。(谷が寒く、標高が高いところが、気温も高い状態になっていること。)天気予報の最低気温が一番低い予想だった、木曜日。リフト一本上った上は、マイナス5度のぽかぽか陽気。。半日のレッスンが終わると、汗をかいている学生もいるような状態でした。 (ここは、湿気がないので、無風で、太陽が当たると、マイナス5度でも、暖かいのです。)

金曜日は、すこし、雪が舞い始めましたが、視界が悪くなるほどではなく、検定も、終了式も、大盛況!?のうちに、時は過ぎて行きました。

だれの行いがよいのか、(日本人らしい発想だぁ) だれが、晴れ女、晴れ男で、いったい何人の、晴れ女、男がいたのか、お天気、条件に恵まれました。




それにしても、何が、きれいだったかって、この町に、21年住んでいて、6年は、ガイドで、頻繁に出回っていたのに、その中でも、指折りに、美しい、朝の、キャッスルマウンテンを見ました。




それに、ハイウェイを横断する、大きなメスのムース。 このあたりのハイウェイで遭遇したのも、私の歴史上初めて。 それに、動物よけの、柵の内側だし。。(ドライバーが、『Moose!』と叫んだ声に、びっくりして、あわてて、カメラを構えたものの、時、かなり遅し!でした。)




ピンと、張りつめた、冷たい空気の中で、サンサンと、朝の太陽を浴びた、山々が、これでもかぁ~~~~。って、美しかったのです。写真じゃ、本物の臨場感は、表せませんが。。。。(私が、乗せていただいたバスに乗ってた、現地ガイドさんも、『本当~にきれいです!』を、連発していた。)


バスの窓が、凍りつきぎみなのと、気温が低く、川から、蒸気が上がっているように見えるのが、わかりますか??

木曜日には、スキーの講習の後、レイクルイーズにグループ写真を撮りに行きました。今年の夏に初めて、登った、アグネス湖を見下ろせる、Devils Thumb (デビルスサム-悪魔の親指)も、遠く、高く、凍っているようでした。 冬の張りつめた空気の中に、リンとそびえる山々と、シャトーレイクルイーズ。。。。。冬の夕方 (4時過ぎ)の時間帯に、ここに来るのは、このグループと一緒の時だけです。





週末は、カルガリー地区は、大雪だったようです。月曜日に、カルガリーに出かける用事がありました。ハイウェイを走りながら、またまた美しい山並みに、見ほれてしまいました。。。


ここは、寒波が居座ると、真っ青な空。抜けるように、美しい空。。で、激!寒い。という状態になります。 写真の空の色だけだと、暖かそうでしょ? 


外気温は、マイナス23度!

今朝(12月8日)のテレビでは、レスブリッジ(カルガリーより南の町)は、さらに寒く、体感気温マイナス50度台まで下がる。とか、言ってた。。。ここは、まだまだ、ちょろいもん!?

ちなみに、日本で、読んでくれている、親族、お友達のみなさまへ。- 家中、暖房が入っていて、トイレとか、お風呂が寒い、という状態が、ここではないので、家や、建物の中は、日本の冬より、実は、過ごしやすいんですよ。。。現代人の、持つ、住宅、電気、ガス、水道の設備に、本当に、感謝です。 ありがたや。ありがたや。。寒い冬も、人間は、甘やかされて暮らせています。野生の動物達は、そういうわけにはいかないよなあああああああ。

この週末から、週明けも、寒い予報。おうちで、土日は、ぬくぬく、冬眠モードで、過ごします。
 

2009年12月7日月曜日

極上のお誕生日。。(ハワイのお土産話の続き~。)

今年は、生まれて初めて、Vacation 先で、お誕生日を迎える!という、ラッキーに恵まれました。

この日は、朝、早起きをして、(といっても、カナダと3時間差のハワイ。時差で、毎日自然に早起きでしたが) 光と2人で、日の出を見に、ダイアモンドヘッドの頂上を目指しました。(時差ぼけの影響をまったく受けない、ねぼすけの娘は、ホテルのベットに置き去り~。) 

ハワイの現地の人は、超~のん気で、ホテルのフロントの人も、ベルマンも、日の出の詳しい時間を知らなかったので、テレビの天気予報で、時間をチェック。日の出は、6時45分らしい。。。

6時過ぎに、ホテルを出て、トレイルヘッドの駐車場へ。 そこからは、軽いハイキングというより、お散歩の乗りで、20分で歩けるという情報を ホテルのセキュリティーのおじさんから、ゲットしてた。(彼は、昔は、毎日トレーニングで、走っていたと言ってた。)日本人観光客の方々には、この朝のお散歩と、朝食がセットになったオプショナルツアーがはやっているようで、駐車場には、お客さんを送ったあとの、バスやらバンが、数台、停まっていた。駐車場は、すでに、し~んとしていて、どうも、私達は、ちょっと出遅れている様子。

ま、いいか。薄暗い中で、歩き始める。。。2人で、ちょっと驚いたのは、標高の低いこの場所は、酸素が多く (濃く?)、歩くのが楽チンなこと。。早足で、さかさか歩くうちに、たくさんの日本人観光客を追い抜きはじめる。 20代らしい、若い子が、歩くのがつらそうで、ぶつぶつ言いつつ歩いている。

自分たちが、日頃、どれだけ高地トレーニング状態なのかが、実感できて、面白い。 毎日、お仕事にも歩いて通っていることで、この年でも、健脚??なのかも。。

98%?くらい登りきったところで、日の出を迎えた。(登頂100パーセントにならなかったのは、時間の問題ではなく、人が、登山道にびっしり詰まってて、それ以上、上にいけなかったため。)



いったい何十??人いたんであろう日本人の軍団は、その後の予定が詰まっている(??)らしく、みんな日の出の証拠写真をとったら、半分は、この日本人の多さに、げんなりした顔をして、一揆に、下山していった。トップのトップまで、行かない人の方が、ほとんどだった。 



この人の波が引いてから、私達は、急ぐ予定もないので、トップで、景色と朝の太陽と、空気と、ヒューストンから来たという、昔ハワイ駐在もしていた。。というアメリカ海軍にお勤めの男性の家族との、おしゃべりを楽しんだ。実は、光が、『Banff Mountain Film Festival』の、ロゴ入りT-Shirtsを着てたら、俺達も、Banffに行ったことがある。。と、向こうから話しかけて来た。私達は、Banffから来た。。って言ったら、一揆におしゃべりは、盛り上がり。。

3人娘がいるこのご夫婦。奥さんったら、『一番上の子は、バンフで出来た子なのよね~』だって。ここから見える景色の話、バンフの話、Navyで、彼らがホノルルにいた時代の話、最後は、今日は私の誕生日。。って会話に、奥さんが、『23歳のお誕生日、おめでと~。あなたのラッキーもらっていこう~。』と、腕をすりすり、なでてきた。(<--若く見える!?とほめて-冗談かも。- くれているだけ。) 今回の旅行は、たくさんの人たちとの、おしゃべりがあっちこっちで楽しめたのも、嬉しい出来事。



たっぷり、お山とお日様のエネルギーを頂き、下山。ホテルに帰って、娘と3人で、プールサイドバー&レストランで、朝ごはん。。。

ここからは、光と燈は、私とは別行動で、モールへショッピングへ。 ここから、私のマジカル?バースデープレゼントの時間が、さらにパワーアップしました。

この日は、ちょうど月曜日。これも、現地の無料情報誌で、毎週月曜日は、Hawaiian Shopping Centreで、Lomilomi マッサージの無料講習が、ある。。と書かれていて、伝統のヒーリングや、エネルギーが大好きな私は、即刻、これに行こうと心を決めていた。午前11時からの1時間。

時間をちょっと過ぎてから、登場した先生。彼女は、Piilani Wrightという、おばあさんの代から、このLomilomiの、伝統の手法を継ぐ、代々の家系の方。たまたま、9人が参加者で、私以外は、日本人のおじさん2人組み、カナダの、BC州から来た、白人の50代?のご夫婦。と、日本人女性一人参加の人が4名。 セッションが始まる前に、Piilani先生と、私は、ちょっと会話をしていて、Canada在住で、Reiki Masterで、エネルギーや、ヒーリングを学んでいて、大きな興味を持っていて、、、なんて、自己紹介したり、話をしていたので、イントロダクションの後、彼女がデモンストレーションをはじめにみんなに見せる時、私を、ペアに選んでくれた。 (やった~~~。) なんて、ラッキー。彼女の、タッチを、たくさん、受けられました。 それを見ながら、他の参加者の方も、ペアになり、実技講習。

一通りのデモンストレーションが終わり、今度は、役割をスイッチ。この時、Piilani先生は、みんなを回って、アドバイス、指導する関係で、今度は、彼女が連れてきていた、近くで待っていた、ジェダ という娘(4歳)を、私のペアにと、連れてきてくれました。 Piilani先生には、15歳の娘と、この4歳の娘と2人いるんだそうですが、Piilani先生の、Lomilomiを、継ぐのは、この4歳の娘なんだそうです。 生まれながらに、その感性がすでに開いており、才能をすでに、発揮している子だと、先生は言いました。 『でも、へたにさわると、口うるさいから、色々言われるわよ!!』 

でも、ジェダは、微笑みを浮かべ、私のタッチを、心地よさそうに受け入れてくれました。彼女の、ピュアなエネルギーが、私に、じんじん伝わってきて、こっちが触っているだけで、癒されるような、感覚でした。

なんて、マジカルな時間!これは、記念撮影を!と、セッションの後に思い、バックを覗いて、思い出した。 これに出てくる前、私のデジカメは電池切れで、ホテルに充電差し込んでおいてきてしまい、カメラが無い! 『あ~、カメラ持ってなかったぁ。。』と、言ったら、すぐ横にいた、カナダの、 BC州から参加の、マリリンというおばさんが、『私が写真とってあげるわよ。。』と、私と、Piilani先生のファミリー(ジェダと一緒に来ていた、旦那さまも、入ってくれました。)を一緒に ぱちり。

『ありがとう。E-mailのアドレス教えるから、送ってくれる?』と私。 マリリンさん曰く、『ごめんなさい、私、コンピューターも持ってないのよ』 『あなた、どこのホテルに停まっているの? いつ出発? 出発前に、プリントして、届けてあげるわ~!』

『うっそ~~。』と、ちょっとビックリ。でもその親切な言葉に、ホテルの名前と部屋番号を伝え、カナダの住所を交換。。。

その後は、一緒にこのツアーにバンフから来ていた、あすかちゃんと待ち合わせ。 2人で、軽くお茶してから、彼女が見つけてきた、Spa Pureという、マリオットホテルのスパの、2時間のスペシャルへ。 (前日まで、情報集めて、相談して、計画たてて、予約取ってました。)

これが、ペア = 2人で、(カップルでも、友達同士でもOK) 参加すれば、オーシャンマッサージ(海水プールに浮かんで、受けるマッサージ)、ゲルマバス、 Lomilomi マッサージ、そして、カプセル岩盤浴 (ハーブのスティームつき)の 4つを、2時間かけて体験できて、US $140ドルという超、お得コース。

旅行に行くと、必ず、スパ体験する!というあすかちゃん。私は、こんなゴージャスな時間は過ごしたことがない。 彼女が、私が誕生日に、スパを自分のプレゼントにする!と、言っていたので、予定をあわせてくれたのです。 

このコースは、予想以上に、気持ちの良い、そして、またまた不思議体験。。でも、ありました。
オーシャンマッサージの後、デニスという、マッサージを担当してくれた人が、私を、プールの中で、起こしてくれたら、両手が、びりびり、しびれるような、電気が走っているような感じになりました。

彼にそれを言ったら、私の首から、肩にかけて、あった、何かのエネルギーが、手から、抜けようとして、内側から、たたいているんじゃないか? 『もしかしたら、前世からの、何かかも。。』と、言ったのです。

昔から、首から、背中の上の方に、重さを感じることの多かった私。前世からの、カルマでも、現世の、肩こりでも、なんでも、抜けてくれるんだったら、この上なくうれしい~。 デニスも、こんな風になった、お客さんはいない。と、不思議な顔。

そのびりびりは、ゲルマバスで、解けてなくなるように、消えました。 2時間の、スパの後、(といっても、先を急がない私達は、一つ一つを、のんびりやってもらったので、最終的には、スパに、3時間いましたが。。) デニスが、『君の不思議体験を、ゲストブックに書いていって~。』と頼んでくるくらいでした。

なんだか、毒素抜きになったのか、全身の細胞が、全部一回、緩んで、そして改めて、引き締まって、生き返ったかのように、リフレッシュした午後でした。

ホテルに帰ったら、部屋にメッセージが入っていて、なんと、マリリンからの写真が、もう、フロントに届いていた!!! なんだか、心が幸せで満たされました。

その後、光と燈が帰るまで、プールサイドのベットで、青空を見上げながら、リラックス。。。
こんなにのんびり自分のために、時間を過ごすのは、初めて。。。というくらい、極上。


ちょうど、日の入りの時間に、ホテルのセールスの回し者??ような、動画を撮ってしまいましたぁ。。後で、考えたら、こんなオープンコンセプトのメインフロアーは、常夏の島ならでは。だし、セキュリティーも、しっかりしてないと、できませんよね。。

夕方は、家族3人で、『世界一、生ビールの種類が多い!』と、歌う、Yard Houseというレストランに、食事に行きました。 (冗談抜きで、すごい数の種類!!でした。)

部屋に、戻ったら、あすかちゃんファミリーからも、お誕生日カードとプレゼントが、フロント預かりで、届けられていました。。。。

みんな、ありがとう。すてきな一日でした。

2009年12月6日日曜日

ランチの友。

地球上に、今現在、67億人くらいの人間が生息しているらしい。でも、人ひとりの一生に出会える人の数は、限りなく少ない。 何十年あるかわからないこの現世に、出会え、知り合い、そして、損得なしの、楽しい時間や、共通の経験、会話を楽しめる間柄になり、その貴重な時間を積み重ねられる人を、私は、友と呼ぶ。。と、かなり、偉そ~~うに思っている。

あちらこちら、せちがらい世の中になりつつある今、楽しい時間を共にすごせる大好きな、楽しい人が、少人数でも、近くにいることが、この上なく、幸せだったりする。

だから、時間をかけて、私のこのプライベートブログでも、少しづつ、私の”お友達”を紹介して、書きためて行こう。。。と思っているわけです。 (私に、何を書かれるか、恐れ??ている方は、早めにご連絡を~~。)

シリーズ(って、すでに、シリーズ化決定!?)第一弾は、私の職場のランチの友です。

基本形4人。3人になることもしばしば。(だれかが、忙しいとか、お休みとか。。の理由で。)このメンツの時は、ランチの時は、なるべく、仕事の話しはせず、冗談と、笑いと、異文化情報交換(日本での体験やら、日本文化やら、今の日本や、世界のゴシップやら、とにかく話題は、超~~色々)やらで、いつも盛り上がる。共通点は、全員が、”いて座”ということ。

そして、よく一緒に、町のレストランまで、歩いて行って、全員で、掻き揚げうどんを食べます。
(Sylviaと、Lynne は、これを、"Soup" と呼び、『今日スープする??』が、誘い言葉です。)

先日12月1日は、Lynne の、誕生日で、これを口実??に、サジテリアス(いて座)ランチを 職場のダイニングルームでしました。(年中、口実は一杯あるんですが。。)今回は、私のハワイからのお土産話と、翌日から、メキシコに、2週間、Vacation で出かける Sylviaの、話しで、盛り上がりました。(私の土産話が、一番の比率を占め、しゃべり続けていた私が食べるのが一番遅かった。。)

Lynne は、ここの IT Department で働くおばさん。写真は、若く見えると思いますが、すでに、お孫さんもちの、おばあちゃまです。性格は、男のように、さばさばしてて、賢く、やさしくて、色んなことに興味があって、どんな話題でも、食いついてきます。なぜか、私ととっても馬が合い、大好きな人の一人です。お誕生日、おめでとう~。



Sylviaは、ここの、Reservation Department (客室予約課)の母。あと、2年で、定年です。彼女は、長いローカル(地元民)で、息子家族も、この町に住んでいます。二人の孫の話が大好きです。息子の Kevinは、この町の、Physiotherapist (運動療法士) 。我が家の娘が、バレーボールのせいだか、成長痛だかで、足腰が痛んだとき、お世話になりました。Kevinの奥さん、Sherriは、これも、我が家の娘の、中学の LA (Language Art:英語、英文学)の先生です。三者面談より前に、娘が、授業中に、おしゃべりがはげしいらしい!とかの情報が、私に、Sylvia 経由で入ってきます。先月、Sherriと、初めて、面談で会ったら、最初のひと言が、『私の義母を良く知っているんでしょ~~!??良くあなたの話になるわよ~。』だって。小さい町は、こういうことが沢山あって、みんなどこかでつながっている。まじ、悪いことはできませんよ~。




そして、Akemiさん。彼女は、Sylviaと同じく、Reservation Department で働く、星!。数年前に入ったときは、期待の新星。見事に、今は、立派な星になりました。私とは、大きな会議を一緒に担当することが、年に数回あったりして、彼女とのチームの時は、彼女の仕事は、パーフェクトに限りなく近いので、超、安心です。のんびりした外観と、おしゃべりも、のんびりですが、実は芯が強く、負けず嫌いで、ささいなミスでも、自分で自分を許さず、前につき進む姿勢が大好きです。私とは、スピリチュアルな話しをよくします。彼女のだんなさまも、スピリチュアルなエネルギーに敏感で、色々と学んでいる方です。




ここは、現在、この町で、一番景色のよいダイニングです。



う~っ。。やっぱり、私が一番黒い。。これからも、楽しいランチ、沢山しましょうね。
私のブログが日本語だけなのを知っていて、写真に写るのを許してくれました。    ありがと~~。


今日は、快晴! ダイニングからの、景色も、最高でした。

2009年12月5日土曜日

ちびたの写真集。

ちびたが、旅立って、もうすぐ3週間。 沢山の人から、たくさんの、メッセージを頂戴いたしました。
小さな、家うさぎだったけど、とっても幸せな一生のうさぎだったね!!と、沢山の声を寄せてもらいました。 みなさん、ありがとう。 そこで、今日は、ちびたの写真展を、このブログのスペースをお借りして、開かせていただきます。 (あらためて、見たら、山盛り!写真がありました。その中から、えりすぐり?をごらん下さい。)


いつも、あかりと一緒でした。


みんな、若い!? (2000年撮影)


ど、あっぷ!ちびた。


大好きだった、カウチの影。大また開きで、リラックス!?



人呼んで、肩乗りちびた。



ちょっと、おすまし。



夏は、この場所がお気に入りでした。



この格好で抱かれると、固まってました。



ハンモックみたい。結構、良い気持ち!?



なにやら、のん気?に休憩中。



あかりのお友達の ともちゃんの犬。ジンジャーと、初対面。
ちびたは、平常心。ジンジャーはなぜか、大興奮!!


手の自由が、あんまりきかなくなってからは、ママがおひざで、毛づくろいと、体のお掃除のお手伝い。



この家、何がいるの??ひと目で、うさぎとは、わからない、風貌のやつが、いつもリビングにいて、沢山の、お客様を、驚かせました。



夕方は、この格好で、家族と一緒?に、テレビの方を向いて、リラックスしていました。



家族が、ダイニングの食卓を囲むと、なぜか、ちびたは、ケージに走っていって、自分も、食事モードに入りました。 



やっぱり、この写真の縫いぐるみ感!が、たまりません~。

ちびたの写真展に、ご来場、ありがとうございました!


2009年11月30日月曜日

秘密の亀ビーチ。 オアフ ノースショアの旅。

翌日、日曜日 (11月22日)は、午前中は、Royal Hawaiian Hotel 前の、ビーチで遊ぶ。ここは、遠浅で、砂も、さらさら。West Edmonton Mall の、波のプールが大好きな我が家の面々は、本物の波で、遊べて、大喜び。


午後からは、混雑しそうな、ワイキキビーチを逃れ、北へ。12年前に来たときから、一度は、行ってみたかった方面へのドライブ。現地には、LeaLeaだの、アロハストリートだの、ハワイアイだのという、無料の日本語現地情報誌が、そこらじゅうにあふれていて、情報は、たっぷり。でも、どの雑誌にも、北の ”秘密の亀ビーチ” と、書いてあって、それが、どこだかわからない。どの地図にも、そのポイントが書かれていない。。ビーチに、亀が、良く甲羅干しに上がってくるところらしい。

そこで、前日の夜に、ホテルのアクティビティーセンターのおじさんに、聞いてみた。『日本語情報誌には、全部、秘密の亀ビーチ!って、書いてあるんだけど、North Shoreで、亀があがってくる所はどこ??』 『There is NO secret any more!!』 (秘密なんてないよ~)って、そのビーチの名前と場所を、小さな地図に、『この辺』って感じで、書き込んでくれた。ハレイワタウンから、サンセットビーチ方面に向かい、ワイメアビーチの手前だよ。。『ラッキー!』やっぱり、秘密!と書いてあるのは、日本人観光客を、オプショナルツアーに引き込む”わな”なんだろうなあ。。と、そのときは、思ったわけです。

わが家は、レンタカー(7人乗りの、ミニバン)を借りていたので、にわかに、運転手 光、ガイド私。。という、大多和ガイドサービス(OGSと呼ばれてましたぁ~)が、出来上がり、合計7名のご一行は、一路、北を目指しました。 パイナップル畑、コーヒー農園を越え、North Shoreへ。 まずは、一路、サーファーズパラダイス サンセットビーチを目指しました。 風が強い季節に入っていて、波は、素人が見ても、これは、きっとサーファーは、うはうはだろうな。。と、容易に想像が出来ました。 あれ? あっと言う間に、ワイメアビーチに来てしまいました。 亀ビーチは、これより手前?って、聞いてなかったっけ??と思い、帰りに探そうと、まずは、サンセットビーチに行きました。


この2人も、ハワイに住んでたら、たぶん、サーファーだったでしょう。なんせ、大波に、人一倍、(いや、二倍!?)狂乱していました。 

それにしても、カナダの国立公園内は、ビューポイントには、ちゃんと、看板が出てて、整備された、駐車スペースがあって、だれにでも、ここが、どこか。って、解るようになっているのに、サーフィンの世界大会が、行われるこのビーチすら、大きな駐車場はないし、どこから、どこまでが サンセットビーチエリアなのかの、サインもないし、まあ、のんびりしていること、この上なし。 遊泳は出来ないので、戻りがてら、ワイメアビーチに立ち寄りました。ここも、今日は、高波で、ライフガードが、何分かに一回、『通常より高い波が来るので、小さい子供、経験の無い人は、ビーチに今すぐ、上がって!』という、注意勧告放送が流れるような、高波。 上の2人は、もみくしゃにされるまで、波に向かって行きました。 そのビーチでは、素っ裸で、砂まみれで、超高速ではいはいする、赤ちゃんに会いました。(というか、ごろごろしているところに、はいはいで、突っ込んできて、襲われました。)



このパワフルな、ヨーイという赤ちゃんを連れていたのは、カナダのナイヤガラから、来て、この冬一杯ハワイで過ごす!という超ラッキーなご家族でした。ワイメア滞在の後は、ハワイ島で、農家で、働きながら、ただで、住まわせてもらうという エクスチェンジのプログラムで、来年の、3月一杯まで過ごす予定。。ということでした。お父さんが、ナイヤガラの、ガラス職人だそうで、『好きな時だけ、働けばいいのよね~。』と、また、お気楽な発言。 『彼は、アメリカ生まれで、カナダとの2重国籍だし、気に入ったら、2ヶ月延長して、5月一杯ハワイ島にいるわ~~。』と、話すお母さん。 そうだ!と思って、亀ビーチの場所を尋ねたら、『聞いたことは、あるけど、良くわからないわ~。私達はまだ行って無いし。。そうそう、ライフガードに聞くのが一番良くない??』 『その通り~~。』と思って、ライフガードのおじさんに早速 情報集めのため、突撃。

彼らの答え。『ワイメアビーチから、ハレイワ方面に、向かい、3つ目の、Big Opening。(見晴らしが開ける場所) 道の反対側に、牧場があって、白い柵があるよ。それが目安。』 『サインは、何かある?』 『そんなもんは無いね。』 『???そうなんだぁ。見つけにくいはずだ。。。』 そこからは、ドライバー光は、ゆっくり運転。みんなで、きょろきょろ。 Openingと言われても、はっきり、スコンと、視界が 開けるわけでもなく、これかな? これかな?? 『ああ~~。ここだ!』 HISの、パンフレットに出てた、写真と同じ、半島のような、光景が、目に飛び込んできてわかりました。 ここもまた、サインも、駐車場もない。 道端に、車を止めて、そのビーチに近づいていくと。。。なにやら、数人が何かを囲むように集まっているではありませんかぁ~。


い、いたぁ~~~。しかもかなりでかい!




なんだか、作り物の置物のよう。でも、確かにまばたきしてるし、おまけに、大きなゲップまで。



人が、近づき過ぎないように、赤いロープの目印。そばに、現地在住の日本人ボランティアの、解説員の人 (Namiさん)がいて、『この亀は、この沖合いに、生息する24匹の亀のうちの一匹、名前は、スキャロップ。(甲羅に、ホタテのような模様があることより)』 500マイルも離れた、小さな無人島で、産卵するこの海亀の生態を沢山、話して聞かせてくれました。 一回の産卵で、何百も卵を産み、そのうち、大人まで生き延びられるは、100匹に一匹。 小亀は、約25年も、海に浮かんで漂い続け、海面に浮いているものなら、くらげでも、海草でも何でも食べる雑食。 25年くらいかけて、大人になり、そのころになると、ようやく、オスとメスの違いが、シッポの形状から判断できるようになること。大人になると、亀は、草食オンリーになり、海草を求めて、はるばるこの海岸近くに泳いでくるんだとか。 メスは、また、500マイル泳いで、産卵場所に向かい、2年に一回のペースで、そして、一生、産卵を続けること。。

雄大な自然と、海の野生と、生き残りの厳しさと、色んなことに、思いをはせました。 スキャロップとの出会いも、何だか、感慨深いものになりました。

その後は、思いっきり、日本人観光客の乗りで、ミーハーして、ハレイワタウンで、お土産買って、松本商店で、山盛りの、シェイブアイスを食べました。

でも、あのビーチは、現地を知る人に案内してもらわないと、多分、一般観光客では、自力ではたどり着けそうもありません。 なぜ、秘密の亀ビーチ。。。と、あちこちに歌われているのか、よ~く、解りました。

2009年11月29日日曜日

天国の海

11月18日から、7泊8日の、ハワイでの 夢のようなVacation。。。。動画の女王と呼ばれる程、動画やら、写真やらを取りまくりました。 だって、思い出以外に、現地を持って帰れる方法は、これしか無いでしょ~。 コンピューターに取り込もうとしたら、容量が C ドライブには足りず、D ドライブに、色々移したり、メモリーを整理したり、コンピューターのお掃除から、やりました。

今回のツアーは、光の働く、お店(バンフ唯一の回転寿司)の、社員慰安旅行! お店で、最年長の光は、きっとよっぽど良い!?マネージャーなのでしょう、オーナーが、私まで、ご招待くださり、中3の娘は、学校まで休み、先生達に、『It's not fair!』と、うらやましがられつつも、笑顔で送り出され。。(宿題付き)

オーナー家族、光の仲間のスシシェフたち、フロアー回しの女王、と、それぞれの配偶者とか、子供とか。。総勢16人のご一行様でした。 でも、現地では、一度だけ、16人での、夕食会があった以外は、全て自由行動! みんなそれぞれ、好きなことを好きなように、自由に過ごす、極上の日々でした。

あれこれ書きたいことは、てんこ盛り!状態ですが、全てを文字にするのは不可能なので、特に、心に残った所のエピソードを今日は一つご紹介します。

それは、天国の海と呼ばれるラニカイビーチに出かけた時のことです。連日のお天気。土曜日だから、人の多い、ワイキキビーチから、車で、東海岸に出かけることにしました。 前日の金曜日には、ハナウマベイで、シュノーケリング。きれいな海にも、海の中で出会う、熱帯魚たちにも、なれて来ていたはずなのに、それでも、東海岸を北上する途中、びっくりするほど、青い海に、ど肝を抜かれ、車を道端に寄せて、写真を一枚。



空の青、海の青、海の色が何色にも輝いて、今日も素敵な一日が待っている予感!。

ラニカイビーチには、専用駐車場とか、トイレとか、シャワーとかの設備がないので、(お隣の、カイルアビーチパークにはあります。) あまり観光客が、押し寄せては来ないようで、人も少なく、ローカルさんが、犬のお散歩やら、日焼けやら、のんびりピクニックランチやらしていて、静か。 海は、本当に、天国の海。でした。(毎年全米ベスト10ビーチに、なっているそうです。)




日差しは最高に気持ちよく、海の水は、最高に、さわやかで、極上の時間を過ごしました。

そして、本ブログ、初動画は、天国の海!からとなりましたぁ~~~~。


ランチも終え、午後の海と、日焼けを楽しんでいました。 3時前頃でしょうか、にわかに掻き曇り、今回の滞在で、唯一のスコール!。 急いで、荷物をまとめ、車に駆け戻り、車を走らせ始めた時です。 急に、私の携帯が、ビープし始めました。 何???? 見ると、なぜか、携帯が、『Charging』 を表示しています。 なんでぇ?? 濡れたのかと思いましたが、防水のバックのジッパーつきの、ポケットに入っていたので、そのはずはなく。。。 一度、電源を切り、しばらくまって、またオンにしたら、まだ、充電中のマーク。 (あとで、考えると、ラニカイと、カイルアの間には、ハワイのパワースポットが存在してて、それに、反応した。。としか思えませんでした。。) 
不思議なことがあるもので、私のぼろ携帯は、その後、ハワイを出発する前の日まで、電池の充電のバーが減りませんでした!!

不思議な力に、携帯だけでなく、私の体も、充電されたようで、毎日、毎日、日焼けとともに、パワーアップする感じでした。

太平洋の、おへそ、常夏のハワイ。 まさに、地球の丹田!と、思ってしまうほど、海と、大地と太陽のエネルギーが、素晴らしいところでした。

2009年11月27日金曜日

ちびたの旅立ち。。。

ハワイから戻り、日常生活に戻りました。
ハワイの狂乱は、おいおい、写真と動画つきで、アップする予定。
その前に、実は、大事なご報告がありました。。。 (かわいがって頂いた皆様に。。。)

11月16日。私達が、2日後には、Vacation に、出てしまうことを察知していたかのように、我が家に10年以上、生活していた、たれ耳ウサギの、ちびたが、旅立ちました。
家ウサギで、この年齢は、かなりの長生きらしく、3年も前に、すでに、獣医さんには、『He is living his extra life!』と、いわれていたので、長寿をまっとうしたウサギでした。
初めて、このウサギに、出会ったのは、友達の誕生会が行われた家。ぴょこぴょこはねて、キッチンを走り回る姿に、『何? この動物!?』と、思った。 すぐさま、ウサギとは、わからなかったのです。。 それまで、私は、たれ耳ウサギを実際に見たことがなかったもので。。

そこの家の娘たちが、町の裏通りで、箱に入れて、捨てられていた子ウサギ数匹を見つけ、一番とろくさかったので、彼女たちに、確保された一匹だったのが、ちびたです。

なぜか、心を奪われて、かわいい~~と、思ってしまい、『連れてく?? うちは犬もいるし。。』と、言われたものの、最近新築の家に、引越したばかりだし、光(夫)が、許すかな??? 相談しないと。。

でも、ちびたは、翌日には、我が家のリビングを跳ねていました。

はじめは、あかり(娘。当時4歳)の後を追いかけ、くっついて動き回っていて、彼女は、怖がっていました。そのうち、ちびたは、私を追いかけ始め、私が、キッチンに行くと、追いかけてきて、リビングに行くと、追いかけてきて。。いつも、いつも、私の足元にまつわるようにいました。

カウチで、ごろごろしていると、その胸の上に、飛び乗ってきて、遊んだりしていた。フローリングのつるつるのフロアーを、たたたたた。。。と、カーブを切って走る姿は、おかしかった。

小学生になったあかりの所に ある日遊びに来た、Sarah。ちびたを捕まえて、プラスチックのボックスに入れて、2階のあかりの部屋に連れて行って、ぬいぐるみの代わりのようにして遊んだ。。

それから、子供を恐れるようになり、子供の足跡が近づいてくると、カウチの後ろ、壁の角に、隠れて、いなくなるまで、出てこなくなりました。。

年を重ねるうちに、温厚な性格は、さらに、のんびりしたものとなり、人が来ても、平気で、リビングのじゅうたんに、べろ~~と、伸びて、座っていました。。 暑い夏は、暖炉の前の、タイルのところが冷たくて気持ちよいらしく、そこで、おなかをタイルに貼り付けて、べろ~っと伸びていたので、いつも、べろのびちびた!と、呼んだりしていました。

ブルーベリーが大好きで、季節になると、大喜びで、食べ、犬が、たっち!をするような格好で、くれくれ~~。って、人のひざの上にまで、上ってきました。

何ヶ月か前から、前足が踏ん張らなくなって、横に滑ってしまい、上手に動き回ることができなくなったものの、良く飲み、良く食べ、毛並みの色艶にも、問題はありませんでしたが、先月の中盤くらいから、横になって、休んでいる時間が増えて来ていました。

このくらいのサイズの小さい動物は、飲んだり食べたり出来なくなると、数日で、旅立つ。。と、インターネットのうさぎサイトで、読んでいたのと、寿命は、まっとうしているので、時間の問題なのは、わかっていました。

11月14日の土曜日ころから、食事と水の摂取量が減り始め、15日(日)は、ほとんど起き上がれず、飲み食いできないで、寝ていました。 静かに、でも、安定した呼吸だったので、このまま、呼吸が少しづつ、弱まっていくのだろうか。。と見守って、体をさすって、霊気を送る時間を過ごしました。

月曜日も、静かに、横たわっていましたが、光が帰り、ちびたの様子を見ていた時、びくん!と、体が突っ張るように、小さな発作に見舞われました。 あれ?! まだ呼吸をしていたので、私が胸に抱きかかえました。 小さな体は、温かく、私の心臓に、ちびたの、鼓動と、ぬくもりが、じんわり伝わってきました。

その少し後、私の腕の中で、また、かすかな足の硬直があり、(たぶん、2回めの小さな発作のようなもの)その後、静かに、本当に、静かに、安らかな顔で、永遠の眠りにつきました。

しばらく、ずっと抱いていました。ぬくもりは、長く続いて、呼吸が止まった後も、私に伝わり続けました。 私達3人の、目と鼻から、ありったけの、水分が、彼の上に、降り注ぎました。

その夜は、やわらかい敷物の上に、横たわり、たくさんの小さな縫いぐるみに、見守られて、ちびたはリビングで、一昼夜を過ごし、17日の火曜日の夕刻に、裏庭に埋葬しました。 (クーガーとかに、掘り起こされないよう、深く。 そして、沢山の石を積みました。)

埋葬の時、なぜか(といっても、かなりの確立で、霊気のおかげだと思われる) 死後硬直が来ていなくて、ちびたの肩、首が、やわらかく、まだ、ただ眠っているかのようでした。 3人で、かわりばんこ抱いて、お別れをしました。 かわいく、お茶目なウサギでした。 家具をかじったりする悪さも、いっさいせず、困った事が一つもない、子でした。 外に出たのは、小さいころ近所の公園に連れ出したものの、なれない所で、どうしていいか解らず、固まってしまったので、後は、デッキで、ブラッシングをするくらいで、完全なる家ウサギでした。

ウサギが、こんなにかわいくて、人の心と共鳴する。。って、教えてくれたのは、ちびたでした。 かわいかったよ。ありがとう。ゆっくりお休みよ~~。

これは、私の個人的解釈ですが、私が18歳の時、実家で、祖父が旅立つのに立ち会いました。その時、生まれて初めて、祖父の頭から、白い人間のような形のもの(魂のエネルギー!?)が、天にすうっと上がって行くような影を見ました。 でも、今回、ちびたの魂は、大地に帰るように、足から抜けて行きました。 これが、動物と人間の違いなのでしょうか?

不思議な体験でも、ありました。


初めて、わが家にきたころ。。


いつも、リラックスしていました。



足組んで、ストレッチするウサギ、みたことあります??



一番の、好物は、ブルーベリーでした。