私はとある、重度精神薄弱児、者が、入所で生活訓練する24時間 居住型施設の生活指導員をしていたことがあります。
大学で、特殊教育を専攻していた私。そこに講師で来ていた先生が、指導課長を務めていた施設に、どうしても、入りたくて、自ら、希望して、きつい現場に入りました。大学の教授の授業で、心に残った物があまりなかったわりに、この現場の声を熱く語る先生には、心をつかまれてしまったのです。机の上の知識ではない、熱く、厳しい現実の血が流れた言葉だったからだと思います。
就職試験は、実習でした。IQ判定不能、行動障害、自傷、他傷、破壊行動、家族の問題。。考えうる全ての問題を、それぞれ色々と複雑に、抱えた子供達の中で、一緒の、時間をすごし、研修実習をして、(1週間くらいだったでしょうか。。)最後の、試験問題というか、質問は、『あなたは、自分で、やっていけると思いますか?』というものだった。向こうが選ぶのではなく、私の覚悟が問われたのでした。
ここでの時間は、私の人生に締める年数としては、短かったけど、何時間、書き続けても、書ききれないくらいのことを、たくさん、本当にたくさん、教えてくれました。
学んだことを、文字にして、少しづつ、書きためておければ。。。。といつも思うのですが、なんせ、沢山ありすぎて、一回のブログ記事では、おさまらないので、今日は、そのうちの、一つのお話です。。
その年、新入園で入ってきたジュンちゃん。9歳の女の子でした。重い障害で、彼女を、『かわいそう』と、大事に大事に扱ってきた家族。彼女にオムツをつけ、食事を口に運んで食べさせ、部屋に、ありったけ、おもちゃとぬいぐるみを買い与え。。彼女自体が、社会から隔離され、お人形のように、育てられてきていた子でした。
何時も顔の前で、手をひらひらして、まっすぐ歩くこともできず、ふらふらどこかに、風船のように、いってしまい、声かけも入らず、(言葉に反応して、たち止まったり、振り返ったりしない)もちろん、運動機能と、視覚は、統合していませんでした。
学園でのの指導は、すっきり、はっきりしていました。おむつは躊躇なく、すぐにはずし、どれだけ、水分をとったら、何分持つかを、克明に記録。そろそろ時間だ。というタイミングでトイレに連れて行く。座らせて、ばっちり出たら、大げさにほめる。体調と、水分摂取量と、時間の管理と、褒め称えで、オムツは、あっという間に取れました。1年たったころには、私たちの袖を引っ張って、トイレに行きたいと意思表示まで、するようになった。
食事は、大変でした。生まれてこのかた、自分で、食事したことがない子を、グループの中で、(マンツーマンではなく)大勢動かしながら、自分で、食べられるようにするまでの、行程は、長く、地味。毎日、毎日、3食、手添えで、彼女にスプーンを持たせ、離したら、持たせ、声をかけて、手添えで、すくわせて、声をかけて、目の前の食べ物に、注意を引き、動きをつける。。。このとてつもなく、地味な でも、例外のない、アプローチを、とにかく続ける。。。というものでした。
毎日毎日、コツコツ、コツコツ。。コツコツ。コツコツ。途中、色んな失敗もしました。スプーンの柄に、太い電池をビニールテープで、巻いて、握りやすくしたのは良かったのですが、そのスプーンを、手に太いゴムで、固定したら、手を開いても、スプーンが落ちないので、すぐさま、そのスプーンをくっつけたまま、手で、食べはじめた。(実は、賢い!?)でも、そのころには、自分の目が、食べ物に注視するようには、なってたわけです。
やっぱり1年後には、食事の席について、いただきますの挨拶のタイミングまで、待てる。挨拶で、自ら、スプーンを握り、目で追って、食事をすくえ、口に運べる。。ところまで、行きました。
彼女が大事なことを 自らの体をはって(!?)教えてくれました。人は、甘やかされていると、育たない。という事を。 親が、何でも、カンでも、手や口をを出して、代わりにしてあげたり、お金や物を与えまくることを、日本語では、甘やかすと言いますが、英語では、Spoil (スポイル)と言います。
この言葉には、別に ”腐る”という意味もあります。 人は楽に流れやすく、”楽だけ”していると、たぶん、腐るんです。 そして、同時に、全ての人は、人間関係と、やりとりの中で、磨けば、光るんです。 出来ないと決めず、磨こうと思う、思いがあって、身の丈にあった磨き方をすれば。
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