この私の連休中に、横浜の父が、10年の闘病生活にピリオドを打ち、静かに旅立ちました。
いくつもの、病気に見舞われ、乗り越え、沢山の闘病体験をして、でも、綺麗な穏やかな顔での最後だったそうです。
水曜日に葬儀ですが、間に合うフライトを見つけられなかったため、私は、納骨、49日、寂しくなるであろう喪中の年末年始を母と、そして、妹家族との時間を過ごせたら。。。と決め、12月から1月にかけての約一月、バンフ大多和家から、一人、日本に一時帰国する運びとなりました。
このブログの愛読者の人たちは、母を筆頭に近しい友人、知人がほとんどで、お囃子、、で読んでいる人っていうのは、かなり少数なので、こんな個人的なお話も、あえて、書かせて頂きます。
読んでくださる皆様に感謝。
ちょうど、偶然にも、昨日、妹分の仲ちゃんと、大先輩のFusakoさんと、お昼して、お茶をして、2011年は、本当に 『生きる』『命』を、思い、考える一年だったよね。。。。って、沢山、沢山色んな切り口で、人生。。を話し込みましたが、引き続き、今日も命、魂を思う、深く考える一日を過しています。
こうやって、日本から遠く離れて暮らすことを決めたときに、色んな覚悟を決めていたし、そして、いつかは迎えなくてはならないその日のことも、遠くは無いことを、日本の母とともに、覚悟はしていました。
YMCA時代の友人、職場の仲間からも、次々とお悔やみのメールに、メッセージを頂きました。お休みも、私の意向どおり、進めて良い由、すぐさま、後押ししてくれました。みんな、ありがとう。
光も、瞬く間に、フライトスケジュールを調べ、希望日に予約を入れてくれました。
カナダを出発するのは、12月10日になりました。
それまでは、カナダでの仕事、暮らし、しっかりこなして、充実の時間を過して、49日までは、自由に世界旅行しているであろう、父の魂に、ちゃんと生きている私の姿を見せたいと思っています。
多分、今週あたりは、ロッキーを満喫してくれるのではないでしょうか。。
父の幼少時代も、青春時代も、社会人時代も、老後の生活も、逐一全て知っているわけではないし、心にちゃんと寄り添えなかった時間も沢山ありましたが、77年弱の彼の人生を祝い、敬い、尊敬の念を持って、魂が神の元に静かに帰れることを祈ります。
私に命をつないでくれて、ありがとうございました。
ゆっくり休んでください。。。
10 件のコメント:
お父様のご冥福お祈り申し上げます。
ありがとうさん。何時も、心にかけてくれていて、見守ってくれていて、ありがとう。
お悔やみ申し上げます。本日勝手乍ら、合掌させて頂きました。
人生出会いがあれば別れあり。
出会いには恐らくは何らかの必然あり。
然るに別れにも必然があって不思議なし。
孔子は50にして天命を知ると諭す。
しかし我50に至るも天命未だ見えず。
「天命って何だろう」と考えてしまうことそのものが邪念かも。
今回の別れもきっと何かを明子にもたらす為のもの。
そんな想いに包まれました
東京で何か対応のご所望あれば遠慮なくご一報を
//求
筆不精さんへ。
祈りのエネルギーは大きいです。魂には、きっと通じると信じられます。。。本当にありがとう。合掌。
求兄さんへ。
メッセージ、ありがとうございます。私も、旅立った父の魂が、私に何かを伝えてくれている『気』感じています。人はPhysicalに向き合っていなくても、伝えたり、支えあったり、関わりあったり、していますね。。。。
日本滞在中に板橋大多和家には、必ず顔出させてもらいます。。せっちゃん、愛ちゃん、将君にもよろしくお伝えくださいmせ。
なぜか涙が止まりません。
お父様は今頃自由に羽を伸ばし離れている娘家族に会いにきていることでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
キーコさん。コメント、ありがとうございます。
遅ればせながら・・・
お父様のご冥福をお祈り致します。
5年前に私の父が亡くなった時のことを思い出しました。
あの頃、流行っていた♪千の風にのって♪もね。
いろんな覚悟ができていた筈なのに、切なかったです。
これからは、あなたのことを広い空の上からきっと見守っていてくれることでしょう。
Fumiちゃん。メッセージありがとう。父の魂も、千の風になって。。多分、広い空から、色々眺め、見渡してくれていると良いなぁ。。。と、願っています。
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