2009年11月30日月曜日

秘密の亀ビーチ。 オアフ ノースショアの旅。

翌日、日曜日 (11月22日)は、午前中は、Royal Hawaiian Hotel 前の、ビーチで遊ぶ。ここは、遠浅で、砂も、さらさら。West Edmonton Mall の、波のプールが大好きな我が家の面々は、本物の波で、遊べて、大喜び。


午後からは、混雑しそうな、ワイキキビーチを逃れ、北へ。12年前に来たときから、一度は、行ってみたかった方面へのドライブ。現地には、LeaLeaだの、アロハストリートだの、ハワイアイだのという、無料の日本語現地情報誌が、そこらじゅうにあふれていて、情報は、たっぷり。でも、どの雑誌にも、北の ”秘密の亀ビーチ” と、書いてあって、それが、どこだかわからない。どの地図にも、そのポイントが書かれていない。。ビーチに、亀が、良く甲羅干しに上がってくるところらしい。

そこで、前日の夜に、ホテルのアクティビティーセンターのおじさんに、聞いてみた。『日本語情報誌には、全部、秘密の亀ビーチ!って、書いてあるんだけど、North Shoreで、亀があがってくる所はどこ??』 『There is NO secret any more!!』 (秘密なんてないよ~)って、そのビーチの名前と場所を、小さな地図に、『この辺』って感じで、書き込んでくれた。ハレイワタウンから、サンセットビーチ方面に向かい、ワイメアビーチの手前だよ。。『ラッキー!』やっぱり、秘密!と書いてあるのは、日本人観光客を、オプショナルツアーに引き込む”わな”なんだろうなあ。。と、そのときは、思ったわけです。

わが家は、レンタカー(7人乗りの、ミニバン)を借りていたので、にわかに、運転手 光、ガイド私。。という、大多和ガイドサービス(OGSと呼ばれてましたぁ~)が、出来上がり、合計7名のご一行は、一路、北を目指しました。 パイナップル畑、コーヒー農園を越え、North Shoreへ。 まずは、一路、サーファーズパラダイス サンセットビーチを目指しました。 風が強い季節に入っていて、波は、素人が見ても、これは、きっとサーファーは、うはうはだろうな。。と、容易に想像が出来ました。 あれ? あっと言う間に、ワイメアビーチに来てしまいました。 亀ビーチは、これより手前?って、聞いてなかったっけ??と思い、帰りに探そうと、まずは、サンセットビーチに行きました。


この2人も、ハワイに住んでたら、たぶん、サーファーだったでしょう。なんせ、大波に、人一倍、(いや、二倍!?)狂乱していました。 

それにしても、カナダの国立公園内は、ビューポイントには、ちゃんと、看板が出てて、整備された、駐車スペースがあって、だれにでも、ここが、どこか。って、解るようになっているのに、サーフィンの世界大会が、行われるこのビーチすら、大きな駐車場はないし、どこから、どこまでが サンセットビーチエリアなのかの、サインもないし、まあ、のんびりしていること、この上なし。 遊泳は出来ないので、戻りがてら、ワイメアビーチに立ち寄りました。ここも、今日は、高波で、ライフガードが、何分かに一回、『通常より高い波が来るので、小さい子供、経験の無い人は、ビーチに今すぐ、上がって!』という、注意勧告放送が流れるような、高波。 上の2人は、もみくしゃにされるまで、波に向かって行きました。 そのビーチでは、素っ裸で、砂まみれで、超高速ではいはいする、赤ちゃんに会いました。(というか、ごろごろしているところに、はいはいで、突っ込んできて、襲われました。)



このパワフルな、ヨーイという赤ちゃんを連れていたのは、カナダのナイヤガラから、来て、この冬一杯ハワイで過ごす!という超ラッキーなご家族でした。ワイメア滞在の後は、ハワイ島で、農家で、働きながら、ただで、住まわせてもらうという エクスチェンジのプログラムで、来年の、3月一杯まで過ごす予定。。ということでした。お父さんが、ナイヤガラの、ガラス職人だそうで、『好きな時だけ、働けばいいのよね~。』と、また、お気楽な発言。 『彼は、アメリカ生まれで、カナダとの2重国籍だし、気に入ったら、2ヶ月延長して、5月一杯ハワイ島にいるわ~~。』と、話すお母さん。 そうだ!と思って、亀ビーチの場所を尋ねたら、『聞いたことは、あるけど、良くわからないわ~。私達はまだ行って無いし。。そうそう、ライフガードに聞くのが一番良くない??』 『その通り~~。』と思って、ライフガードのおじさんに早速 情報集めのため、突撃。

彼らの答え。『ワイメアビーチから、ハレイワ方面に、向かい、3つ目の、Big Opening。(見晴らしが開ける場所) 道の反対側に、牧場があって、白い柵があるよ。それが目安。』 『サインは、何かある?』 『そんなもんは無いね。』 『???そうなんだぁ。見つけにくいはずだ。。。』 そこからは、ドライバー光は、ゆっくり運転。みんなで、きょろきょろ。 Openingと言われても、はっきり、スコンと、視界が 開けるわけでもなく、これかな? これかな?? 『ああ~~。ここだ!』 HISの、パンフレットに出てた、写真と同じ、半島のような、光景が、目に飛び込んできてわかりました。 ここもまた、サインも、駐車場もない。 道端に、車を止めて、そのビーチに近づいていくと。。。なにやら、数人が何かを囲むように集まっているではありませんかぁ~。


い、いたぁ~~~。しかもかなりでかい!




なんだか、作り物の置物のよう。でも、確かにまばたきしてるし、おまけに、大きなゲップまで。



人が、近づき過ぎないように、赤いロープの目印。そばに、現地在住の日本人ボランティアの、解説員の人 (Namiさん)がいて、『この亀は、この沖合いに、生息する24匹の亀のうちの一匹、名前は、スキャロップ。(甲羅に、ホタテのような模様があることより)』 500マイルも離れた、小さな無人島で、産卵するこの海亀の生態を沢山、話して聞かせてくれました。 一回の産卵で、何百も卵を産み、そのうち、大人まで生き延びられるは、100匹に一匹。 小亀は、約25年も、海に浮かんで漂い続け、海面に浮いているものなら、くらげでも、海草でも何でも食べる雑食。 25年くらいかけて、大人になり、そのころになると、ようやく、オスとメスの違いが、シッポの形状から判断できるようになること。大人になると、亀は、草食オンリーになり、海草を求めて、はるばるこの海岸近くに泳いでくるんだとか。 メスは、また、500マイル泳いで、産卵場所に向かい、2年に一回のペースで、そして、一生、産卵を続けること。。

雄大な自然と、海の野生と、生き残りの厳しさと、色んなことに、思いをはせました。 スキャロップとの出会いも、何だか、感慨深いものになりました。

その後は、思いっきり、日本人観光客の乗りで、ミーハーして、ハレイワタウンで、お土産買って、松本商店で、山盛りの、シェイブアイスを食べました。

でも、あのビーチは、現地を知る人に案内してもらわないと、多分、一般観光客では、自力ではたどり着けそうもありません。 なぜ、秘密の亀ビーチ。。。と、あちこちに歌われているのか、よ~く、解りました。

2009年11月29日日曜日

天国の海

11月18日から、7泊8日の、ハワイでの 夢のようなVacation。。。。動画の女王と呼ばれる程、動画やら、写真やらを取りまくりました。 だって、思い出以外に、現地を持って帰れる方法は、これしか無いでしょ~。 コンピューターに取り込もうとしたら、容量が C ドライブには足りず、D ドライブに、色々移したり、メモリーを整理したり、コンピューターのお掃除から、やりました。

今回のツアーは、光の働く、お店(バンフ唯一の回転寿司)の、社員慰安旅行! お店で、最年長の光は、きっとよっぽど良い!?マネージャーなのでしょう、オーナーが、私まで、ご招待くださり、中3の娘は、学校まで休み、先生達に、『It's not fair!』と、うらやましがられつつも、笑顔で送り出され。。(宿題付き)

オーナー家族、光の仲間のスシシェフたち、フロアー回しの女王、と、それぞれの配偶者とか、子供とか。。総勢16人のご一行様でした。 でも、現地では、一度だけ、16人での、夕食会があった以外は、全て自由行動! みんなそれぞれ、好きなことを好きなように、自由に過ごす、極上の日々でした。

あれこれ書きたいことは、てんこ盛り!状態ですが、全てを文字にするのは不可能なので、特に、心に残った所のエピソードを今日は一つご紹介します。

それは、天国の海と呼ばれるラニカイビーチに出かけた時のことです。連日のお天気。土曜日だから、人の多い、ワイキキビーチから、車で、東海岸に出かけることにしました。 前日の金曜日には、ハナウマベイで、シュノーケリング。きれいな海にも、海の中で出会う、熱帯魚たちにも、なれて来ていたはずなのに、それでも、東海岸を北上する途中、びっくりするほど、青い海に、ど肝を抜かれ、車を道端に寄せて、写真を一枚。



空の青、海の青、海の色が何色にも輝いて、今日も素敵な一日が待っている予感!。

ラニカイビーチには、専用駐車場とか、トイレとか、シャワーとかの設備がないので、(お隣の、カイルアビーチパークにはあります。) あまり観光客が、押し寄せては来ないようで、人も少なく、ローカルさんが、犬のお散歩やら、日焼けやら、のんびりピクニックランチやらしていて、静か。 海は、本当に、天国の海。でした。(毎年全米ベスト10ビーチに、なっているそうです。)




日差しは最高に気持ちよく、海の水は、最高に、さわやかで、極上の時間を過ごしました。

そして、本ブログ、初動画は、天国の海!からとなりましたぁ~~~~。


ランチも終え、午後の海と、日焼けを楽しんでいました。 3時前頃でしょうか、にわかに掻き曇り、今回の滞在で、唯一のスコール!。 急いで、荷物をまとめ、車に駆け戻り、車を走らせ始めた時です。 急に、私の携帯が、ビープし始めました。 何???? 見ると、なぜか、携帯が、『Charging』 を表示しています。 なんでぇ?? 濡れたのかと思いましたが、防水のバックのジッパーつきの、ポケットに入っていたので、そのはずはなく。。。 一度、電源を切り、しばらくまって、またオンにしたら、まだ、充電中のマーク。 (あとで、考えると、ラニカイと、カイルアの間には、ハワイのパワースポットが存在してて、それに、反応した。。としか思えませんでした。。) 
不思議なことがあるもので、私のぼろ携帯は、その後、ハワイを出発する前の日まで、電池の充電のバーが減りませんでした!!

不思議な力に、携帯だけでなく、私の体も、充電されたようで、毎日、毎日、日焼けとともに、パワーアップする感じでした。

太平洋の、おへそ、常夏のハワイ。 まさに、地球の丹田!と、思ってしまうほど、海と、大地と太陽のエネルギーが、素晴らしいところでした。

2009年11月27日金曜日

ちびたの旅立ち。。。

ハワイから戻り、日常生活に戻りました。
ハワイの狂乱は、おいおい、写真と動画つきで、アップする予定。
その前に、実は、大事なご報告がありました。。。 (かわいがって頂いた皆様に。。。)

11月16日。私達が、2日後には、Vacation に、出てしまうことを察知していたかのように、我が家に10年以上、生活していた、たれ耳ウサギの、ちびたが、旅立ちました。
家ウサギで、この年齢は、かなりの長生きらしく、3年も前に、すでに、獣医さんには、『He is living his extra life!』と、いわれていたので、長寿をまっとうしたウサギでした。
初めて、このウサギに、出会ったのは、友達の誕生会が行われた家。ぴょこぴょこはねて、キッチンを走り回る姿に、『何? この動物!?』と、思った。 すぐさま、ウサギとは、わからなかったのです。。 それまで、私は、たれ耳ウサギを実際に見たことがなかったもので。。

そこの家の娘たちが、町の裏通りで、箱に入れて、捨てられていた子ウサギ数匹を見つけ、一番とろくさかったので、彼女たちに、確保された一匹だったのが、ちびたです。

なぜか、心を奪われて、かわいい~~と、思ってしまい、『連れてく?? うちは犬もいるし。。』と、言われたものの、最近新築の家に、引越したばかりだし、光(夫)が、許すかな??? 相談しないと。。

でも、ちびたは、翌日には、我が家のリビングを跳ねていました。

はじめは、あかり(娘。当時4歳)の後を追いかけ、くっついて動き回っていて、彼女は、怖がっていました。そのうち、ちびたは、私を追いかけ始め、私が、キッチンに行くと、追いかけてきて、リビングに行くと、追いかけてきて。。いつも、いつも、私の足元にまつわるようにいました。

カウチで、ごろごろしていると、その胸の上に、飛び乗ってきて、遊んだりしていた。フローリングのつるつるのフロアーを、たたたたた。。。と、カーブを切って走る姿は、おかしかった。

小学生になったあかりの所に ある日遊びに来た、Sarah。ちびたを捕まえて、プラスチックのボックスに入れて、2階のあかりの部屋に連れて行って、ぬいぐるみの代わりのようにして遊んだ。。

それから、子供を恐れるようになり、子供の足跡が近づいてくると、カウチの後ろ、壁の角に、隠れて、いなくなるまで、出てこなくなりました。。

年を重ねるうちに、温厚な性格は、さらに、のんびりしたものとなり、人が来ても、平気で、リビングのじゅうたんに、べろ~~と、伸びて、座っていました。。 暑い夏は、暖炉の前の、タイルのところが冷たくて気持ちよいらしく、そこで、おなかをタイルに貼り付けて、べろ~っと伸びていたので、いつも、べろのびちびた!と、呼んだりしていました。

ブルーベリーが大好きで、季節になると、大喜びで、食べ、犬が、たっち!をするような格好で、くれくれ~~。って、人のひざの上にまで、上ってきました。

何ヶ月か前から、前足が踏ん張らなくなって、横に滑ってしまい、上手に動き回ることができなくなったものの、良く飲み、良く食べ、毛並みの色艶にも、問題はありませんでしたが、先月の中盤くらいから、横になって、休んでいる時間が増えて来ていました。

このくらいのサイズの小さい動物は、飲んだり食べたり出来なくなると、数日で、旅立つ。。と、インターネットのうさぎサイトで、読んでいたのと、寿命は、まっとうしているので、時間の問題なのは、わかっていました。

11月14日の土曜日ころから、食事と水の摂取量が減り始め、15日(日)は、ほとんど起き上がれず、飲み食いできないで、寝ていました。 静かに、でも、安定した呼吸だったので、このまま、呼吸が少しづつ、弱まっていくのだろうか。。と見守って、体をさすって、霊気を送る時間を過ごしました。

月曜日も、静かに、横たわっていましたが、光が帰り、ちびたの様子を見ていた時、びくん!と、体が突っ張るように、小さな発作に見舞われました。 あれ?! まだ呼吸をしていたので、私が胸に抱きかかえました。 小さな体は、温かく、私の心臓に、ちびたの、鼓動と、ぬくもりが、じんわり伝わってきました。

その少し後、私の腕の中で、また、かすかな足の硬直があり、(たぶん、2回めの小さな発作のようなもの)その後、静かに、本当に、静かに、安らかな顔で、永遠の眠りにつきました。

しばらく、ずっと抱いていました。ぬくもりは、長く続いて、呼吸が止まった後も、私に伝わり続けました。 私達3人の、目と鼻から、ありったけの、水分が、彼の上に、降り注ぎました。

その夜は、やわらかい敷物の上に、横たわり、たくさんの小さな縫いぐるみに、見守られて、ちびたはリビングで、一昼夜を過ごし、17日の火曜日の夕刻に、裏庭に埋葬しました。 (クーガーとかに、掘り起こされないよう、深く。 そして、沢山の石を積みました。)

埋葬の時、なぜか(といっても、かなりの確立で、霊気のおかげだと思われる) 死後硬直が来ていなくて、ちびたの肩、首が、やわらかく、まだ、ただ眠っているかのようでした。 3人で、かわりばんこ抱いて、お別れをしました。 かわいく、お茶目なウサギでした。 家具をかじったりする悪さも、いっさいせず、困った事が一つもない、子でした。 外に出たのは、小さいころ近所の公園に連れ出したものの、なれない所で、どうしていいか解らず、固まってしまったので、後は、デッキで、ブラッシングをするくらいで、完全なる家ウサギでした。

ウサギが、こんなにかわいくて、人の心と共鳴する。。って、教えてくれたのは、ちびたでした。 かわいかったよ。ありがとう。ゆっくりお休みよ~~。

これは、私の個人的解釈ですが、私が18歳の時、実家で、祖父が旅立つのに立ち会いました。その時、生まれて初めて、祖父の頭から、白い人間のような形のもの(魂のエネルギー!?)が、天にすうっと上がって行くような影を見ました。 でも、今回、ちびたの魂は、大地に帰るように、足から抜けて行きました。 これが、動物と人間の違いなのでしょうか?

不思議な体験でも、ありました。


初めて、わが家にきたころ。。


いつも、リラックスしていました。



足組んで、ストレッチするウサギ、みたことあります??



一番の、好物は、ブルーベリーでした。

2009年11月20日金曜日

アロハ~~。

今週は、1週間の非日常生活 イン ハワイです。

シアトルまでの、飛行機は、(アラスカエアライン)は、小さいプロペラがついている飛行機で、こんな機材で、ロッキー超え、および、国境越え!!?と、不安でしたが、無事に乗り継ぎ、シアトルから、6時間7分のフライトで、南国ハワイに、到着しました。

連日お天気予報も、晴れ。。で、今朝は、朝から、24度もあって、空と海の青さと、水のさわやかさ(冷たくない~!)。。。最低気温が、22度くらいで、一日中、あたたかい。。。

海の中には、小さな魚。ニモのような魚も発見。。 ホテルの目の前が、ビーチで、今朝は、たったの3時間の時差なのに、6時半におきてしまい、(バンフは、9時半)朝のビーチでは、7時ころから、フラダンスの早朝レッスン。 どうも、新婚旅行で、むりやり奥さんに参加させられた~~!!って 感じの日本人男性が、いやいや女性に混じって踊っていた姿が、痛々しかった!??

ホノルルという町は、ハワイのもともとの文化と、白人の文化と、幅を利かす日本人の文化が、拮抗するように、交じり合っている、不思議な町です。

カナダから行ったら、妙に日本のよう。でも、南国風たっぷり。ポリネシア系?の、地元の人たちの、親切なこと!。 

今日は、買い物、ビーチ。。と楽しんだ後の、夕方、ホテルのプールサイドのジャグジーで、オーストラリアから、新婚旅行に来ているというカップルと、話が弾みました。 彼らは、6泊マウイ、6泊ホノルルで、明日の朝、オーストラリアに、9時間飛行機に乗って帰るとか。。 

オーストラリアは、チョコレートの種類が、めちゃくちゃに多いんだそうです。(知らなかった!)だから、彼らには、ハワイのチョコレートの種類の少なさが、驚きだったそうです。
食事のバラエティーは、オーストラリアのほうが、すごいよ~~と、自慢されました。

彼らが、牛角だの、居酒屋だの、餃子の王将だの、元気寿司だの、が、あふれるホノルルの横顔を知らないのは、火を見るより、明らか!でしたが。。

写真は、バンフに帰ってから、一挙公開します。。。

2009年11月15日日曜日

カナディアンロッキーより、初冬を、お届け。

すっかり、山々は、雪化粧を終え、近場のスキー場も、(Norquay, Lake Lousie と、Sunshine Ski Area) 3箇所、今月頭から、オープンを始め、ロッキー本場の冬に突入しつつあります。

この土曜日は、風もなく、日差しが美しかったので、近くの川のほとりから、森の中への、遊歩道を、友達と、おしゃべり散歩しました。

川には、薄氷が張り始め、お散歩に来ていた2匹の犬が、連れ立って、おそるおそる、つるつるの川の上をわたる姿に、笑ってしまいました。

11月は、今までの通例だと、一番、人の少ない時期ですが、なぜか、今年は週末になると、町は人で、賑わっています。 バスで、入ってくる観光客は、激減したのですが、近場の町から、車で、日帰りで、この町をぶらぶらしにくる人が、増えているからの様です。 

このご時世で、お土産を買う人は、少ないものの、町のマクドナルドは、連日の超満員です。。。


木漏れ日が、凍った水面にきらきら光って、それは美しかったのですが、写真には、上手く、納まりませんでした~。 遊歩道でも、子供連れ、犬連れの人達と、すれ違いました。 空気は冷たくても、さわやかな、午後でした。 

今年は、ポプラの黄葉が、途中で、冬に突入してしまい、黄金色に、なりきれなかった葉がそのまままだ残っています。 我が家のデッキから、見上げた青空。


我が家の玄関先から、遠くに望める、ノーケイスキー場。地元の子供達に、無料 (発券手数料20ドル)で、シーズンパスを提供してくれる、太っ腹!のスキー場です。 


玄関先の、風景。遠くにどかんと座っている大きな岩山は、マウントランドル。大昔に、この地域の先住民にキリスト教を布教しにきた、ロバート ランドル宣教師の名前を頂いています。。

2009年11月14日土曜日

インカの伝説。。

私に、伝統のヒーリングの世界を教えてくれて、今でも、スピリチュアルな事を伝え続けてくれる私の魂の師匠。 彼女、Trish が、今年の秋分を、マチュピチュで迎えるため、9月に、約一ヶ月、ペルーを旅していた。

戻ってから、しばらくは、その地で起こったこと、感じたこと、スピリチュアルなシフトを、消化するのに、時間が掛かったらしく、最近になってから、『コ、コンピューター壊れちゃう~~!!』と、文句を言いたくなるほど、たくさんのメールと、添付ファイルの写真が、それこそ、洪水の用に、何日にも渡って、送られてきた。

世界中から、30人のスピリチュアルワーカーが集まり、みんな、あっというまに、打ち解け、中に、なんと(?)3人も、Roseという名前の女性がいて、みんなで、フロリダの、Yellow Rose,  ボストンの、Red Rose,  オーストラリアの、Blue Roseと、あだ名をつけて、呼び合い、400年の歴史のある、ホテルにとまり、Americoという名前の、バスドライバーが、街の、くねくねした、ほっそ~~い道で、バスを、90度へし曲げて、通り抜けた!としか言いようの無い運転をあちこちでした。。などなど、読んでいるこっちに、まるで、アニメーションで、おかしな珍道中が浮かんできてしまうくらいの、大量の、お土産話と、写真だった。

インカの人は、『山ヤギーMountain Goat だ!!』って、標高の高い町を、どんどん歩いて、引っ張られていった彼女は、普段は、あまり動き回る人ではないので、『生涯、いまだかつて味わったことのない、最大の身体的チャレンジだ~!』って、旅の途中で、悲鳴のようなメールが一回来ていたが、そのチャレンジと引き換えに、日常生活では味わえない、貴重な時間を過ごしてきたようだ。

彼女が送ってくれた写真に、古代人が築いた、岩の壁の写真が何枚も、あった。一つ一つは、重いものになると、130~150トンもあるとか。。。。いう岩が、不規則な形で、ひとつひとつ、ばらばらの大きさ、形で、切り出され、考えられないくらい、ぴったりと、上下、左右の岩と、パズルのように、くみ上げられている。 その岩たちの壁を、現地ガイドは、こう説明した。。というのです。。

『昔のインカの人には、岩を、チーズのように柔らかく、空気のように軽くする能力があり、岩を自由自在に、形づくれたのです。軽いやわらかい岩たちを、組上げたあと、また、元の、密度に戻したのです。』

昔、カナディアンロッキーで、6年、ガイドをしていたけど、地球の成り立ち、氷河の出来方、動物の話、気候変動。。沢山の、偉大なる自然現象の話はしたし、勉強もしたし、インディアンの伝説。。の話もあったけど、岩がチーズ?の能力の話のような、まさに、『人類宇宙人説!?』を、思わせるような話は無かった~~。


でも、写真を見たら、なんとなく、うなずけるような。。。古代人の、なぞの能力。すてき~~。

(写真のモデルは、彼女のツアーの仲間、Tim。 影が、Trish。 犬は、なぜか、道すがら、ついてきて、離れなかったそうです。。)

2009年11月13日金曜日

じゅんちゃんが、教えてくれた事。。。(今日も長くなってしまいましたぁ。。)

私はとある、重度精神薄弱児、者が、入所で生活訓練する24時間 居住型施設の生活指導員をしていたことがあります。

大学で、特殊教育を専攻していた私。そこに講師で来ていた先生が、指導課長を務めていた施設に、どうしても、入りたくて、自ら、希望して、きつい現場に入りました。大学の教授の授業で、心に残った物があまりなかったわりに、この現場の声を熱く語る先生には、心をつかまれてしまったのです。机の上の知識ではない、熱く、厳しい現実の血が流れた言葉だったからだと思います。

就職試験は、実習でした。IQ判定不能、行動障害、自傷、他傷、破壊行動、家族の問題。。考えうる全ての問題を、それぞれ色々と複雑に、抱えた子供達の中で、一緒の、時間をすごし、研修実習をして、(1週間くらいだったでしょうか。。)最後の、試験問題というか、質問は、『あなたは、自分で、やっていけると思いますか?』というものだった。向こうが選ぶのではなく、私の覚悟が問われたのでした。

ここでの時間は、私の人生に締める年数としては、短かったけど、何時間、書き続けても、書ききれないくらいのことを、たくさん、本当にたくさん、教えてくれました。
学んだことを、文字にして、少しづつ、書きためておければ。。。。といつも思うのですが、なんせ、沢山ありすぎて、一回のブログ記事では、おさまらないので、今日は、そのうちの、一つのお話です。。

その年、新入園で入ってきたジュンちゃん。9歳の女の子でした。重い障害で、彼女を、『かわいそう』と、大事に大事に扱ってきた家族。彼女にオムツをつけ、食事を口に運んで食べさせ、部屋に、ありったけ、おもちゃとぬいぐるみを買い与え。。彼女自体が、社会から隔離され、お人形のように、育てられてきていた子でした。

何時も顔の前で、手をひらひらして、まっすぐ歩くこともできず、ふらふらどこかに、風船のように、いってしまい、声かけも入らず、(言葉に反応して、たち止まったり、振り返ったりしない)もちろん、運動機能と、視覚は、統合していませんでした。 

学園でのの指導は、すっきり、はっきりしていました。おむつは躊躇なく、すぐにはずし、どれだけ、水分をとったら、何分持つかを、克明に記録。そろそろ時間だ。というタイミングでトイレに連れて行く。座らせて、ばっちり出たら、大げさにほめる。体調と、水分摂取量と、時間の管理と、褒め称えで、オムツは、あっという間に取れました。1年たったころには、私たちの袖を引っ張って、トイレに行きたいと意思表示まで、するようになった。

食事は、大変でした。生まれてこのかた、自分で、食事したことがない子を、グループの中で、(マンツーマンではなく)大勢動かしながら、自分で、食べられるようにするまでの、行程は、長く、地味。毎日、毎日、3食、手添えで、彼女にスプーンを持たせ、離したら、持たせ、声をかけて、手添えで、すくわせて、声をかけて、目の前の食べ物に、注意を引き、動きをつける。。。このとてつもなく、地味な でも、例外のない、アプローチを、とにかく続ける。。。というものでした。

毎日毎日、コツコツ、コツコツ。。コツコツ。コツコツ。途中、色んな失敗もしました。スプーンの柄に、太い電池をビニールテープで、巻いて、握りやすくしたのは良かったのですが、そのスプーンを、手に太いゴムで、固定したら、手を開いても、スプーンが落ちないので、すぐさま、そのスプーンをくっつけたまま、手で、食べはじめた。(実は、賢い!?)でも、そのころには、自分の目が、食べ物に注視するようには、なってたわけです。

やっぱり1年後には、食事の席について、いただきますの挨拶のタイミングまで、待てる。挨拶で、自ら、スプーンを握り、目で追って、食事をすくえ、口に運べる。。ところまで、行きました。

彼女が大事なことを 自らの体をはって(!?)教えてくれました。人は、甘やかされていると、育たない。という事を。 親が、何でも、カンでも、手や口をを出して、代わりにしてあげたり、お金や物を与えまくることを、日本語では、甘やかすと言いますが、英語では、Spoil (スポイル)と言います。

この言葉には、別に ”腐る”という意味もあります。 人は楽に流れやすく、”楽だけ”していると、たぶん、腐るんです。 そして、同時に、全ての人は、人間関係と、やりとりの中で、磨けば、光るんです。 出来ないと決めず、磨こうと思う、思いがあって、身の丈にあった磨き方をすれば。

2009年11月12日木曜日

コミュニケーションするエネルギー

私は、昔から、本屋に入ると、『本に呼ばれる』。
探しているわけでもないのに、今、まさに、読むべき本。っていうのに、会うべきタイミングで出会う。。。

何年か、前に、強烈に、呼ばれた本。『The Message from Water』(水からの伝言)世界で、初めて、水の氷結結晶の写真と、その結晶の、でき方、美しさが、言葉(音と、文字)に反応し変化する。というびっくりするよな事が、書かれている本だった。著者は、Masaru Emoto (江本勝)。『ひぇ~~、日本人だ!』って、さらにびっくりした。

今では、何冊も、彼の本が、美しい結晶の写真とともに、世界中の本屋に並んでいるらしい。彼のメッセージも、力強く、この地球上をめぐっている。

『ありがとう』と、声をかけられたり、念じられたり、書かれた紙の上におかれた水と、『馬鹿やろう』というエネルギーに、さらされた水が、まったく別物の結晶になる。。写真で、見せられたら、すごい!としか言いようがない。天然水と、都市の水道水でも、顕著な違いを表している。

地球にそもそも備わっている、自浄作用。地球が、46億年の歳月をかけ、培ってきた、その速さを越えて、資源を掘り返し、利用し、犯し、汚し、破棄する活動に余念のない人類。

最近の気候変動や、気象現象を見ていると、風や、土、水に、意思が宿っているのでは。。と思わざるを得ないような、エネルギーを感じることさえ増えてきた。

まだ、人類の科学では、証明されていないけど、全ての命と、全ての物質に宿るエネルギーには、たぶん、意思がある。そして、全てのエネルギーは、コミュニケーションしているんだろう。

その一つの素敵な例が、江本先生の研究が教えてくれる水の結晶だ。

せめて、人類が、自然や、資源の利用しかできないのであれば、毎日吸う空気、毎日使う水に、『ありがとう』って、感謝の心、伝えよう。。。。

余談ー人間は、約70%が水分です。(死ぬときには、50%近くまで、数値が下がるらしいが。。)ありがとうの波動は、私たちの体にも、プラスに響く。なんだか、わかりやすいですよね。 それと、地球上の 水分の97%以上は、海水だそうです。人類がアクセスできる、淡水は、ものすごく少ない。私が働いているところのシェフが、いつも、ブーブー。水が高い。水が高い。とこぼしています。この国の人は、ガソリンには、1リットル100円かかったら、高い!!と思うけど、皆さん、500ミリのペットボトルのお水に、いくら払っていますか??後、50年で、地球上で、きれいな水に、常に、アクセスできる人が、今の半分になってしまう。。という試算もあるらしい。二酸化炭素ばっかり、考えてる場合ではないですね。。。。 

2009年11月11日水曜日

心の平和。

2009年は、素敵な一年になりつつある。

今年は、この国を訪問された、ダライ ラマの、生のお言葉を聴くチャンスに恵まれた。地元のこれからの将来をになう、大学生に向けて、世界平和を構築していくため、心に、”Compassion" (彼のいうこの言葉の意味と、そのエネルギーを、上手く日本語にしにくいけど、哀れみと、思いやりを足して、2乗したような感覚) を持つことの大事さを、語られた。 その場所に、聴衆の一人として、存在できた。

なまりの強い英語だったけど、彼の一言一言に、注意深くこめられた、強く深い命への、愛情。
心の深いところに、響くエネルギーがあった。

心の平和は、個人個人の心の中から。その個人の心の平和を、家族へ。そして地域へ。そして国へ。そして世界へ。と、広げて行こう。と、強いメッセージだった。

そして、強く響いたのが、彼の言った、『心の平和の構築を阻害する3つのエネルギー』
     一つは、”Fearness" (恐怖)
     一つは、”Scepticism” (懐疑)
     一つは、”Jealousy" (嫉妬)

文化、肌の色、歴史、思考、哲学、宗教、全ての違いを乗り越えて、理解しあおう (完璧なる理解は出来ないだろうけど、向かい合おう、相手の立場になって、解ろうと試みようとする心の向き)というエネルギーを高め、それを阻害しようとする、3つのエネルギーから開放されたら、人間の心と生活は、大きくシフトしはじめるだろう。と、強く感じられた瞬間を味わった。

彼は、自分のことを、『I am simply a Monk』 (私は、一僧侶に過ぎない。)と、言い、さらに、あちこちに、ユーモアたっぷりの、質疑応答もあって、会場は、深い愛情と、笑いに、満ちていた。

世界中で、初めて、親になる人は、この世に誕生した、己の小さな、分身かのような、赤ちゃんの生まれたての なんの疑いもない寝顔を見て、『幸せで、健康で、明るい人生を送ってほしい』と願うだろう。 どの文化にも、『強く、非情になり、戦場に出向き、敵を沢山殺し、過去の清算をして、積み上げてきてしまった、恨みを果たす大人になってほしい。。』という 親の願いはないはずだ。 (と思いたい)

今日も、自分の小さな心の中に、小さな平和のエネルギーが、笑っている。 そんな日々を積み上げられたら。。

2009年11月10日火曜日

今、この瞬間を。。

大好きな言葉シリーズ。(って、もう、勝手にシリーズ化?!)

Yesterday is History  (昨日は歴史)
Tomorrow is Mystery (明日は、ミステリー)
Today is Gift      (今日は贈り物)
That's why it's called ”Present" (だから、今をプレゼントと呼ぶ)

     (世の中、いい事言う人、沢山いるんですよねぇ。。。)

科学では、いまだ、語りつくせない、生命エネルギー。 母なる母体から、母なる大地に産み落とされて(って、実際 ほとんどの人間は土の上には生み落とされず、布団か、ベットで、お医者さんか、お産婆さんの手の上。。だろうが。。 誰かの手に、取り上げられて生まれる動物。。てのも、考えてみると、人間だけだな。) 魂のエネルギーが父なる神のもとに旅立ち帰るその日まで、苦しくても、悲しくても、どんな時でも、鼓動を止めない心臓。 (関係あるよな ないよな余談。 知っていますか? 心臓だけは、ガンにならない、臓器だって。)

その、リズムに刻まれて、私たちの今は、刻一刻と、たんたんと流れていく。
今日は、昨日の未来。 今日は、明日の過去でもある。 今は、永久の人類、生命、宇宙の始まりともつながり、現在人類が想定できる範疇の無限まで、続いている。

この瞬間に、”在る”。 今を味わい、楽しみ、積み上げる。 今の在り方で、明日や、将来の自分が少しづつ作られる。 小粒が、オーナーから旅立つその日まで、今に、感謝し、いつも前を向いて、笑顔で、この時を味わいたい。

2009年11月9日月曜日

かつ目して、相待つ。

たった、一度聞いただけなのに、妙に心に貼りついて、いつまでも、消えない言葉。。っていうのに、時々出会う。そのうちの一つ。 『男子、三日会わざれば、かつ目して待つべし。』

初めて聞いたのは、学校の教室だった。確かに、先生の口から発された言葉だったけど、言葉が、心に貼りついて、いつのどこの教室のどの先生の言葉だったかは、すっかり飛んで覚えていない。

なんでも、三国志、十八史略、蒙の言葉、『士 別れて三日なれば、即ち、まさに、かつ目して、相待つべし。。』 転じて、目を見開いて相手を良く見よ。立派な人物は、必ず、常に進歩している。。というたとえなんだそうだ。

なんで、子供心に、それも、女の子だった 私の心に、それほど刺さったのか、不思議なんだけど、『そうなんだ。人は、次に会うときには、前回会ったときより、沢山、苦労したり、努力したり、チャレンジしたり、経験を超えて、大きく化けている可能性が、あるから、人を、自分の尺度で測った思い込みで、決めつけて見ちゃいけないんだ。』って。びび~~んと、強烈に、感じた。

誰に出会うときも、”曇りなき眼(まなこ)で、見定める” なんだか、もののけ姫の、アシタカの言葉にも、ありましたね。

立派な(??)おばさんに、なって今、思う。 早合点。勘違い。思い込み。人間関係をこじらせる、全ての始まりに、この3つが、必ずある。。ってこと。気をつけなくちゃ。己の解釈が、的を得て、いつも、正しいとは限らない。。感性の目。いつも曇らないように、しっかり開けておかなくちゃ。

2009年11月8日日曜日

Chris Sharma (クリス シャーマ)

先週末から、この週末まで、約1週間にわたり、この町で、マウンテンブック、フィルムフェスティバルが行われている。私は今年で、6年、毎年、このフェスティバルの、裏方オペレーション(主に、会場設定、ケータリングの食事や、コーヒーサービス、スナックなどの準備がらみの最終調整、指示書作り、主催側と、ホスピタリティーオべレーションの現場担当者間の、コミュニケーション調整。。などなど。。)に、お仕事で、関わっている。

一週間で、7000人をも越える人が、こんな小さな町のシアターや、会場を通り過ぎる、大きなイベント。(今年で、34年目を迎える、このフェスティバルは、世界的にも、知る人ぞ知るイベントとなっています。)

世界中から、山や、自然をテーマにした、アドベンチャーフィルム、ドキュメンタリーフィルムが集まってきて、審査員のスクリーニングを通った、選ばれし、フィルム達が、この期間中数々上映され、今日、11月8日日曜日、最終的に、ベストフィルムが発表される。

今年の、大きな話題のひとつは、現在、ロッククライミング界、世界一の男、クリス シャーマが、ゲストスピーカーとして、滞在していること。さらに、彼の世界最高難度の、岩を征服した時の、映像を納めた、フィルムも、上映された。 今年は、このフィルムを、見るチャンスに恵まれた。

彼の肉体と、クライミングの技術!?というのか、腕前!?というのか、もう、表現の仕様がないくらい、すごい。信じがたい! 人の(少なくとも私の)常識を、はるか、はるか~~に越えまくっている。なんで、重力にまるで逆らっているように、あんな、オーバーハングの岩を、登って (登っている。っていう表現ではちょい、違う。まるで、クモが岩にさかさまに、ぶら下がる格好で、張り付いているように。。)行く姿に、人間の能力の、偉大さを見た!!!!!!! 『できる』と、心に、暗示し、決め込んだとしても、現実にできるところまで、到達する。っていう事実を、味わえる人は、本当に、数少ないんだとうと、思う。

指、一本だけ、岩のクラックに、それも、ほぼ、第一関節だけ突っ込んで、全身がぶら下がれるって、ど、どういうこと!??????????? す、す、す、す、す、ごすぎる。。。

ステージで、上映前に、自分のフィルムを紹介する彼を見る限り、背は、高いけど、特別細い人でもない。特別、手足が長いわけでもない。町で、すれ違ったら、髪の毛も、ぼさぼさだし、無精ひげだし、別に、世界一の男なんて、ぜんぜんわからないだろうと思う。でも、その世界の人には、”King of King" だそうだ。

同じ職場の、違う部署で働いている かよちゃん。彼女も、クライマーの一人。クリスの、サインを、ヘルメットにしてもらった!!って、大喜び!!!の様子です。

2009年11月7日土曜日

地球が、僕らの教室だ。

今日は、長いよ~。心して読んでください。

もう、何年も前の事ですが、お仕事で、アメリカからくる、『Elderhostel Program』に参加されているおじいちゃん、おばあちゃんと、関わるチャンスが数年ありました。

このプログラムは、1975年に、New Hampshre 大学で、David Biancoと、Martin Knowltonという人が始めた、お年寄り向けの、生涯学習プログラム。当初の参加資格は60歳以上であること。(現在は、55歳です。)第2次世界大戦で、大学で学ぶチャンスを逸してしまった世代の人が、大学の寮に泊まり、学食で食事をし、教室で、学ぶ。そんな形から始まったのです。すぐに、プログラムは、大学から外へと向かい、『Youthhostel』並みの、安い宿を利用して、アメリカ、カナダ、各地を旅する学びの移動教室へと変化していったのです。 1985年以降は、プログラムも、多様化し、国際化し、各種のAdventure的なアクティビティーも取り入れられ、"Adventure in Lifelong Learning" 生涯、学び。心の冒険。そんなテーマで、色んな場所、町を回ります。

彼らの旅の行程は、一見、普通の旅行会社が作るものと、そんなに大きくは変わりません。宿泊場所で、食事をして、バスや、歩いて、名所、旧跡、史跡を回り、自由時間があり、買い物、食事。。。

でも、見方を変えると 中身が、大きく違うのです。なぜなら、参加者それぞれが、『学び』を、目指しているからです。(とてつもない、自主的な、エネルギーです。)

彼らには、ありとあらゆる ”知らない事””初めてのこと” ”聞いたことのない話”全てに、興味があり、感性が開いているから、そのエネルギーが巻き起こす、楽しいことがあちこちで起こるので、とにかく、時間の使い方が、ゆっくり たっぷり、上手に設定されているように、見受けました。 (同じ町に、一週間近くいる。。っていうのは、日本の旅行にはあまり見られませんよね。)

その場所の、歴史、地理、文化を徹底的に学ぶ。(時には、教室、時には野外)バスの中も、教室と化し、ガイドや、ゲストスピーカーのお話を一方向に聞くだけでなく、議論、質問。わいわい、がやがや。専門家を招き、講義を聴いて、『フムフム』 『どうしたら、その機関に、寄付できるか?』なんて、話までに、展開することもあり。夜な夜な、ラウンジに集まって、日々の情報交換会や、トランプ、ゲーム、得意のおしゃべり、ジョークで、友情を構築。。そんなわいわいがやがやの、ラウンジの、暖炉の脇で、もうすぐ生まれる、3人目の孫に、せっせと、ブランケットを編むおばあちゃん。。。。

全てのことに、目を輝かせて、楽しそうに、子供のように取り組む姿は、おじいちゃん、おばあちゃんだし、どうしたって、しわくちゃなのに、とてつもなく、かわいらしく、美しく、若々しく見えました。

それと、とにかく、おしゃべり。誰にでも、にこにこ話しかけ、質問攻め。興味、疑問、質問を持つことから、なにかが広がる。と、実感させてくれる人たちでした。

一人のおじいちゃんが、私と会話した後、言いました。『お寿司はまだ食べたことないな。でも、Life is Experience! (人生は経験)だからね。今度、チャレンジしてみるよ。教えてくれてありがとう。』 

『私たちののプロモーション用の、ビデオ。見てね。。』って、仲良くなった、ボランティアリーダーさん(やっぱり、おばあちゃん)が、貸してくれました。その中に、『地球が、僕らの生涯の教室だ。』 響く言葉がありました。

2009年11月6日金曜日

みえちゃんの、思い出。

今の私を知っている人に、しゃべったら、きっと、おなかを抱えて笑われるか、うっそ~!!。と、驚愕の声を浴びせられるかもしれないけど、幼いころ、私は、とっても、ひ弱な、女の子だった。小児喘息。アレルギー体質。寒冷ジンマシン。春先になって、緑の芽がほころびはじめると、毎年、おなかを壊し、病気になった。家庭不和がちょっと、(というか、かなりの時もあったけど)あったので、家族がもめると、心と体の内側が、ざくざくに、傷ついた。

小学校入学の時は、近くに、まだ、分校ができていなくて、ひ弱な女の子の足には、激しく厳しい登り、下りのある道を30分以上、上級生の歩調に合わせて、ひーひー歩いて、集団登校していた。
クラスでも、無口で、友達をどう作っていいかわからなかった私に、スーパーヒーローのように、登場してくれたのが、みえちゃんだった。給食で出てくる、普通サイズのコッペパン(なんて、今 言うんだろうか)ひとつを、一人で食べられなくて、残すと先生に怒られるので、毎日、みえちゃんが、私の分を、半ぷん余計に食べてくれた。(がっちり、あねごタイプの子だったし、食べたかったのかもしれないけど。。)

最高のタイミングで、いつも、私のパンを取り上げて、『大根を半分にちょん切っちゃうぞ~!』って、大声を上げて、パンを、ぱこ~~っと、半分にして、見比べて、ちょっと小さい方を私に返してくれていた。にこって笑って。 

2年生になった時、家から、徒歩10分弱のところに、分校ができて、離れ離れになったみえちゃん。それ以来、会ったことありません。でも、今でも、ちゃんと、思い出せる。覚えてる。
助けてくれてありがと~。

その分校で、出会った先生のせい(おかげと言いましょう。)で、おしゃべりで、何時も人前にいるのが平気になった私。人間って、進化、変化、成長、するのです。

2009年11月5日木曜日

人生の宝物。。

お料理も、手芸も、お花も、お茶も、そういう作法は、まったく教えてくれなかった母。
でも、偉人の名言みたいな事を、そこここで言う人だった。

中でも、今では、私の『名言』化している言葉がある。母は、まだ、かなり幼い??ころの私に、言いました。

『人生で、一番の宝物は、経験と実力だからね。お金も、物も、仕事などの肩書きも、そういう物は全て、人に盗まれたり、なくしたり、落としたりしてしまう可能性がある。でも、経験と実力だけは、健康で生きている限り、誰に奪われることも、失くしてしまうこともない。』

大きな大地に、大木に成長する可能性のある種を、まかれ、しっかり、水をかけられたかのように、大きく、大きく、その言葉は私の心の大地で、育ちました。

私は、時々、日本から、この国に、学びに来る、若者達の、研修のお世話したりする仕事をしていて、チャンスがあると、若い学生に、この言葉を伝えています。

でも、今は、私バージョンに、編集して、宝ものは、3つになっています。
そ、れ、は。。。 経験と、実力と、人格です。

自分自身に、誇れる人格。 周りの人と、共鳴、共感できる性格。 人を思いやり、思われ、助け、助けられる人格。そんな人になれたら、それが、本当に人生の宝になるだろうな。。っていう、思いです。。

2009年11月4日水曜日

マインドセット vs 気づきのエネルギー。

だれの、言葉かは、定かじゃないけど、こんなフレーズを聞いた。
心が変わると、行動が変わる。 行動が変わると、習慣が変わる。 習慣が変わると生活が変わる。 生活が変わると運命が変わる。(もっと、続きそうなフレーズ。)なんだか、いい言葉。

この世に存在する全ての生命は、多分、想念エネルギーでできているか、コントロールされている。
じゃあ、この心、(想念エネルギーの場)を、変えるって、どうしたらできる??

よく、心を入れ替えて!というフレーズを聞くけど、たぶん、もって生まれた心の場が、全て入れ替わる事はないだろうと思う。だから、変えられるのは、マインドセット。 どう、心を持って、どう、心を生かすか。っていう、”How to" の部分だけだろう。

マインドセットが変わるのは、自身の中から、泡のように湧き出て、ぽっ!と、その泡がはじけるような感覚で、『あれ? こういうことだったんだ。。』っていう 『気づき』のエネルギーが動いた時だけだと思う。

『気づき』のエネルギーが、自由に流れるためには、自分という小さな箱に、閉じこまらないこと。
多分、これが全てだろう。 一生、それが何年であっても、知らないこと、経験したことのないこと、行った事のないところ、それが、尽きることはないだろう。

私は、こんなもんだし。とか、これ以上は望めない。。とか、自分の想念が決めてしまった時点で、成長が止まってしまう。 自分の器がいつまでも、やわらかく、大きく成長するように、違う視点、違う文化、違う感性、知らない叡智。。を、もっともっと、知りたい。感性のアンテナ、いつも、沢山、オンにして。 

2009年11月2日月曜日

Welcome to the World! 

私は、徒歩通勤片道約25分。幸せなことに、そのうちの15分以上は、舗装道路ではない、土の上。 森の中の、トレイルをあるいて通える。 昨日の朝は、鹿をみて、(Mule Deer) オオツノシカ(Elk)に、危うく襲われそうに(?)。 途中で、顔見知りの、デーブが、2歳の娘のローレンを連れて、お散歩しているところに遭遇。 この国の人は、目が合えば、他人でも、『Hi!』と、声をかけるような、このご時世?には、貴重な、フレンドリーなお国柄。 知り合いとなると、『How's going!』から、始まって、立ち話が大好き。 聞くと、夕べ、2人目の娘が夜中に生まれたばかり。。2人とも、夕べは、はらはらどきどき、心休まらない時間をすごした。。って言うわりに、お散歩に、出てくるの早くない!? 

私がこの世で、一番好き!と、断言しても、過言でないのが、新生児。 母と、父と、天にあられる(としか言いようのない)神の愛と光のエネルギーで、できた!としか思えない、純粋、無垢で、やわらかくて、暖かくて、それでも、人としての全てを持ち合わせて、そこに輝く。そんな生まれたての赤ちゃんの、エネルギーには、いつも、いつも、ノックアウト!されてしまう。 知り合いに、赤ちゃんが生まれると、かならず、抱かせてもらう。生まれたての、赤ちゃんの、エネルギーのきれいなこと。暖かいこと。 自分が、どこから、来たか、教えてくれるような、その振動に、いつも、心のそこから、癒される。 何も知らないのに、なんで、あんな安心しきった寝顔ができるんだろう。
全ての赤ちゃんへ。 Welcome to the world! 素敵なこの星、地球で、素敵な時間を人生を、送って欲しい。人種が、何でも、どこの国に生まれたとしても、命の振動は、みんな、一緒。 みんなに、幸せを味わう時を過ごして欲しい。この美しい地球と、共鳴して、祝うような人生を送ってほしい。 デーブ、今度、名前が付いたころ、赤ちゃん抱かせて欲しいです。 

2009年11月1日日曜日

1984年 夏休み。。

ひょんなことから、生まれて初めて、この国の大地に足を踏み入れた。 
 
この国の西の玄関口の、国際空港に、到着して、初めて、ターミナルから、外へ出た瞬間、圧倒された。 何に。。って、空の青さと、大きさと、高さ。 生まれて一度も、空の高さの、高いだの、低いだのを、感じたことも、意識したことすら 無かったから、びっくりした。
 
『なんて、高い空。。。』 やわらかい日差しと、どこまでも、青く、澄んだ、高い、高い空。
 
 自然の、というか、人間が、理解できるより、もっと、もっと、大きくて、偉大なるエネルギーと、共鳴した、初めての、記憶に残る瞬間。。だったかもしれない。 
 
あの時の、心のバイブレーションは、今でも、思い出せる。あれから、25年。いろんな事があったけど、あの時の空は、私を、この国に、呼び戻してくれた。 
 
それは間違いないと思う、このごろ。。。