2月22日。月曜日。。オリンピックは、いよいよ後半の架橋に。今日は、何と言っても、アイスダンスで、見事に、『金』を取った、カナダのペア。 Tessaが、7歳、Scotが、9歳から、13年間も、ペアで踊っている。。。って、感動以外の何者でもない、彼らの道のり。。 途中、スケートの練習以外では、口をきかない時期が、2年もあったとか。 色んな、他の人には、計り知れない、努力と、苦労と、それらを、乗り越えてきた人にしか与えられない、オーラ。。の、輝き。。まぶしいくらいでした。 銀の、アメリカのペアも、良かったけど、『2人』の演技。 カナダペアは、2人なのに、はじめから、最後まで、『一つ』に見えた。。。。 彼らのオーラに、答えるように、天から、光が注いだようにすら、感じられました。。う~ん。感動。めっちゃ素敵な一週間の予感。
2月23日。火曜日。。今日から、いよいよ、女子フィギアスケート。ショートプログラムを観戦しつつ、カルガリーから、訪ねてきてくれた、Mちゃんと、お友達の、Tさんと、一緒に、楽しい夕食と、ひと時を過ごしました。 美容師の、Mちゃんに、われら家族3人、ヘアカットもしてもらって、超~さっぱり。
ノーミスの、真央ちゃんの演技。。でも、キムヨナの演技は、その上か、さらにそのちょっと上を、楽々走っていましたね。。。。彼女の、美しさと、強さに満ちた演技に、ノックアウトされました。
2月24日。水曜日。。今日は何と言っても、事実上の決勝戦の、カナダVSロシアの、男子ホッケー。
アメリカ戦の時とは、見違えるくらいの、動きのよさと、爽快なるパス回し。前半から、がんがん得点。やった~。カナダ。。。このまま、突っ走れ~。 同僚の、Mattくん。今日は、一日中、カナダのホッケージャージ着て、お仕事していました。 今頃、興奮冷めやらず、一人にやにやしてるんだろ~な~。カナダ全土の、Sports Barは、今晩は、大騒ぎ!間違いなしです。 カナダは、女子のボブスレーも、1,2フィニッシュ。 メダル奪取も、さらにじわじわ。 Podiumの真ん中で聞く、O Canada。。感動するだろうなぁ。。。一回でいいから、『君が代』も、聞いてみたいですねぇ。。。。。
2月25日。木曜日。 カナダの女子ホッケーの貫禄!の、『金』と、女子フィギア観戦!。 やっぱり、キムヨナ。。SPの時より、さらに、貫禄と、力強さと、安定感と、さらに、今日の演技は、しなやかさもアップしちゃってましたね~。 真央ちゃん残念!!。 自分の失敗が、許せない表情が、印象的でした。。。トリプルアクセル2回成功したのに、心のそこからの、喜びの表情が、Podiumの上でも、見られなかった。。くやしい思いで、一杯だったんでしょうね。。。キムヨナに負けたことより、自分自身の最高を、披露できなかったことに。。。 そして、カナダの銅メダル、Joannie Rochette。。 天国に旅立った母の魂のまなざしが、彼女の演技も見てるし、サポートしている感じすらしました。。。。 そして、4位になった、アメリカ代表、16歳の、Nagasu Miraiちゃん。。 この子も、キムヨナばりに、伸びてきそう~。 4年後の、ロシアでの、オリンピックが、すでに、楽しみになってきた!。。。。 カナダのTVでは、Miki Andoよりも、Akiko Suzukiの、演技が、ほめられていました。結果を気にせず、『大好きなスケートを心を込めて滑っている』のびのびとした姿が、美しかった。
2月26日。金曜日。。。Vancouver からの映像達。。もう、どうしてくれよ~ってくらいの、架橋。。カナダの躍進に、狂喜乱舞!?状態ですねぇ。 女子カーリングの『銀』は、超~~~惜しかった。10thEndと、11thEndと、どっちも、あと、数センチで、Winning Shotの、所。。。。Cheryl Bernardの、ミスショットってのも、今回はあんまり、見てなかったし。。残念~。 Kevin Martin には、『伝説!?の、神業!?』を期待してますぅ。Canada VS Slovakia のホッケーは、事前の予想通り?の、楽勝かと思いきや、3ピリ、しびれまくりましたぁ。 最後の最後まで、熱かった~。 して、男子ショートトラック5000Mリレーも、しびれた~。 カナダ『金』すご~~。 (韓国も、やるなぁ。。。この種目、銅メダルで、オリンピック最後のすべりを終えた、Apolo Ohnoの、笑顔も、やっぱり、良かったですぅ。。。) ついに、カナダは、10回、Podiumで、O Canadaをききました!。 『金』獲得数では、現在リード中。(合計メダル獲得数も、3位まで、浮上中!) あと2日。まだまだ、ドラマが見れそうですね。。。。 ホッケー決勝、男子カーリング決勝、スピードスケートのTeam Pursuit (3人で、すべるやつ。日本語では競技名何て言うんだろ?)。。。開催国で、見る、そしてうなされる!? オリンピック熱。激しいいいいいいい。です。 もう、今日も、チャンネル、3つ、行ったり来たり。大忙しでした。 あ~疲れた。今日も沢山眠れそう。。
おやすみなさ~い。そして、良い週末を~。
2010年2月26日金曜日
2010年2月25日木曜日
響く、言葉。
**********************
大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶように弱さを授かった。
偉大なことができるようにと健康を求めたのに よりよきことをするようにと病氣を賜った。
幸せになろうと富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようと力と成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに あらゆるものを慈しむために人生を賜った。
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。
******************
『悩める人々への銘』 という、無名詩。。。だそうです。
『魂を、浄化するソウルセラピー』という本を、最近出された、ソウルセラピストの、塚田 佳穂さんという方が、書いている、スピリチュアル日記。と言う名の、ブログの、2月24日の記事に紹介されていて、そこで、目にした文章です。。。
******************
己の弱さを知り、病を乗り越えて、より良きを行い、貧困の中でも賢明で、失敗を恐れず、何度も立ち上がり、世の中の全ての、命と経験を慈しむ。。。。
止まらない、あきらめない。常に、やさしく、しなやかな、そして、賢明で、たくましい、前向きの生命エネルギーと、開かれた感性が、在ってこそ。。ですね。
******************
もう一つ、最近目にした響く言葉。 (ちょっと、ニュアンスどぎついですが。。)
『学ぶ時は永遠に生きると思って学び そして明日死ぬと思って生きろ』
う~~ん。考えるなぁ。
大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶように弱さを授かった。
偉大なことができるようにと健康を求めたのに よりよきことをするようにと病氣を賜った。
幸せになろうと富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようと力と成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに あらゆるものを慈しむために人生を賜った。
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。
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『悩める人々への銘』 という、無名詩。。。だそうです。
『魂を、浄化するソウルセラピー』という本を、最近出された、ソウルセラピストの、塚田 佳穂さんという方が、書いている、スピリチュアル日記。と言う名の、ブログの、2月24日の記事に紹介されていて、そこで、目にした文章です。。。
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己の弱さを知り、病を乗り越えて、より良きを行い、貧困の中でも賢明で、失敗を恐れず、何度も立ち上がり、世の中の全ての、命と経験を慈しむ。。。。
止まらない、あきらめない。常に、やさしく、しなやかな、そして、賢明で、たくましい、前向きの生命エネルギーと、開かれた感性が、在ってこそ。。ですね。
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もう一つ、最近目にした響く言葉。 (ちょっと、ニュアンスどぎついですが。。)
『学ぶ時は永遠に生きると思って学び そして明日死ぬと思って生きろ』
う~~ん。考えるなぁ。
2010年2月24日水曜日
備えあれば。。。。
久しぶりに、メンタルチャレンジの子供達の施設時代の思い出話です。
彼らは、私たちのように、自由に文字や、言語を利用して、コミュニケーションしたり、自己表現したりができません。(一般の、あるいは、肉体的、知的に健康な人でも、自由で、豊かな文字表現、言語コミュニケーションが、難しくなりつつある世の中でもありますが。。。)
でも、人一倍、二倍、感情の起伏や、感性のひだが、多かったり、複雑だったり。。。の彼ら。そのため、”生きる”行動全てが、彼らの訴えだったり、表現だったりします。
以前の記事にも、ちょこっと、書きましたが、自傷、他傷、破壊行動、パニック。色々な形で、彼らのストレスや、不安、もやもや、理解しきれない、表現しきれない感情が、行動になって現れます。
不安や、もやもや、受け入れられない不快感。そんな、感情が、たまり、爆発するときに、それぞれ、形にしやすい行為があるようでしたが、弱い子ほど、”噛み付く”傾向がありました。
”噛み付き”は、動物が持つ、一番、次元の低い(低いという表現は誤解を招くかも。一番、原始的な)攻撃または、反撃方法なんだそうです。
弱い。。と言ったって、がたいは、大人。筋力は一般の大人並み。弱いというのは、”耐性”(我慢の力)とか、”理解して消化する能力”の部分なので、私が、3年目に担当していた男子クラスの子達は、15歳―25歳で、普通に大きかったし、そんな彼らに ”噛み付かれたら”。。。想像できます?
私は、ちゃんと、事前に、『もし、噛み付かれたら。。』という、アドバイスをされていました。
(そんなトレーニングある会社ないだろ~な~。)
『あなたが噛んだ~、小指が痛い~』なんて、悠長な歌が昔ありましたが、もし、彼らに、手の指を噛まれたら、もし、そんな場面に、自分が遭遇したら、皆さんはどうします? 彼らの行為には、手加減はありませんよ。。心底、思いっきりです。
私は今までの人生の中で、3人ほど、『一度で、良いから、思いっきり、誰かに、噛み付いて見たい』っていう発言をされた方に、お目にかかったことがありますが、私は、多分、数少ない、一生に一度、思いっきり噛み付かれたことのある人なんです。
先輩の先生方からの、アドバイスは、『噛み付かれたら、絶対にしてはいけないこと。それは、その子の口から、噛まれた手や、腕を、引っ張って抜こうとすること。』 つまり、これをしてしまったら、指やら、肉やら、まじで、引きちぎれてしまうんです。じゃあどうするって? 逆を行くんです。 噛み付かれたら、その手や腕を、思いっきり、その子の口に押し付けるんです。 そうしたら、頭がそる。そして、口が開く。。。
私に噛み付いた、しゅんちゃんは、私より背の高い、18歳の男の子でした。日中の作業場訓練で、なにやら、思い通りにならないことが、蓄積していたようで、もやもやしながら、生活区に帰ってきました。『お帰り~。しゅんちゃん。最初に手を洗ってね。』と、声をかけた、私の立ち位置が悪かったのです。ホントは、彼は、自分の部屋に走って戻って、自分の部屋で、もやもやを発散したかったんでしょう。その彼のルートをふさぐように、立ちはだかってしまった私の左の肩近くの、上腕に、彼は、思いっきり、噛み付いてきました。。なぜか、スローモーションのようにその動きが見えて、同時に、『ひっぱっちゃだめ!』と、聞こえたようでした。思いっきり、その肩を彼の口、顔に、逆に押し付けたら、やっぱり、放して、自分の部屋に走っていって、怒っていました。 しばらく、彼の興奮は、収まらず、自分に腹を立てたように、いらいらを、自分自身を叩いたり、自分で、自分の足をけったりして、発散していました。。。
時間は、少しかかったけど、私自身がいつもと変わらず、動揺を見せず、淡々と、おんなじタッチで、関わることで、彼の、私に向けての、いらいらもやもや。。は消えて行きました。
でも。。。Tシャツの上からだったにも、関わらず、私の上腕には、ものすごく立派で、直径6センチくらいでしょうか、きれいな、まん丸の歯型が、ばっちり、付きました。一つづつの、穴から、少々、血も、にじみ出てました。時間がたったら、そのまん丸の中の部分が、真紫になって、かなり、ぽっこりと、腫れました。今でこそ、歯型は、きれいに消えましたが、何年も、何年も、残っていました。(実家の母は、ものすごく、ショックを受けていました。。嫁入り前の、20代の娘に。。。って。でも、遅かったけど、嫁にも行けたし、傷も、完全に無くなった。めでたし。めでたし。)
3年で、その施設を退職して、カナダにワーキングホリデーで来るとき、お約束の、健康診断がありました。指定病院ってことで、東京タワーが、診療室から見える、お医者様に行ったときの事。
診断しながら、私の腕の、生々しい人間のそれも、成人の歯型に、動きが止まったお医者さん。数秒考えてから、その傷を、手で、なでるようにしつつ、『こ、この傷は、生まれつき。。ですか。。。。。?』って。 『ぷっ!』 思わず、笑ってしまいました。『この傷がぁ??そんなわけないでしょう~~!』 これこれ、こんな仕事と事情で。。。って、話したら、『そうですか。。そんな事情で。。』と。内心最初は、きっと、『この娘は、ふつーの顔して、彼氏と危ないプレーでもしてるんだろう。。』と、思われたんだろうなああ。。でも、なんて声をかけたら良いか、見当もつかなかったんだろうなぁ。。と、思ったら、おかしくて、たまりませんでした。(同時に、とっさに、生まれつきですか?という言葉を選んで発した、この先生の、やさしさも、ちょっと感じました。)
何事にも、『備えあれば憂いなし。。』とも言いますが、肉体的傷や、精神的傷は、備えがあっても、起こってしまったら、完全に立ち直るには、相当なる時間と、ヒーリングのエネルギーが必要なんですよ。。。。。。。。でも、ちゃんと治るし、学びもあるし。。。 どんな経験も、この人生の宝。です。
彼らは、私たちのように、自由に文字や、言語を利用して、コミュニケーションしたり、自己表現したりができません。(一般の、あるいは、肉体的、知的に健康な人でも、自由で、豊かな文字表現、言語コミュニケーションが、難しくなりつつある世の中でもありますが。。。)
でも、人一倍、二倍、感情の起伏や、感性のひだが、多かったり、複雑だったり。。。の彼ら。そのため、”生きる”行動全てが、彼らの訴えだったり、表現だったりします。
以前の記事にも、ちょこっと、書きましたが、自傷、他傷、破壊行動、パニック。色々な形で、彼らのストレスや、不安、もやもや、理解しきれない、表現しきれない感情が、行動になって現れます。
不安や、もやもや、受け入れられない不快感。そんな、感情が、たまり、爆発するときに、それぞれ、形にしやすい行為があるようでしたが、弱い子ほど、”噛み付く”傾向がありました。
”噛み付き”は、動物が持つ、一番、次元の低い(低いという表現は誤解を招くかも。一番、原始的な)攻撃または、反撃方法なんだそうです。
弱い。。と言ったって、がたいは、大人。筋力は一般の大人並み。弱いというのは、”耐性”(我慢の力)とか、”理解して消化する能力”の部分なので、私が、3年目に担当していた男子クラスの子達は、15歳―25歳で、普通に大きかったし、そんな彼らに ”噛み付かれたら”。。。想像できます?
私は、ちゃんと、事前に、『もし、噛み付かれたら。。』という、アドバイスをされていました。
(そんなトレーニングある会社ないだろ~な~。)
『あなたが噛んだ~、小指が痛い~』なんて、悠長な歌が昔ありましたが、もし、彼らに、手の指を噛まれたら、もし、そんな場面に、自分が遭遇したら、皆さんはどうします? 彼らの行為には、手加減はありませんよ。。心底、思いっきりです。
私は今までの人生の中で、3人ほど、『一度で、良いから、思いっきり、誰かに、噛み付いて見たい』っていう発言をされた方に、お目にかかったことがありますが、私は、多分、数少ない、一生に一度、思いっきり噛み付かれたことのある人なんです。
先輩の先生方からの、アドバイスは、『噛み付かれたら、絶対にしてはいけないこと。それは、その子の口から、噛まれた手や、腕を、引っ張って抜こうとすること。』 つまり、これをしてしまったら、指やら、肉やら、まじで、引きちぎれてしまうんです。じゃあどうするって? 逆を行くんです。 噛み付かれたら、その手や腕を、思いっきり、その子の口に押し付けるんです。 そうしたら、頭がそる。そして、口が開く。。。
私に噛み付いた、しゅんちゃんは、私より背の高い、18歳の男の子でした。日中の作業場訓練で、なにやら、思い通りにならないことが、蓄積していたようで、もやもやしながら、生活区に帰ってきました。『お帰り~。しゅんちゃん。最初に手を洗ってね。』と、声をかけた、私の立ち位置が悪かったのです。ホントは、彼は、自分の部屋に走って戻って、自分の部屋で、もやもやを発散したかったんでしょう。その彼のルートをふさぐように、立ちはだかってしまった私の左の肩近くの、上腕に、彼は、思いっきり、噛み付いてきました。。なぜか、スローモーションのようにその動きが見えて、同時に、『ひっぱっちゃだめ!』と、聞こえたようでした。思いっきり、その肩を彼の口、顔に、逆に押し付けたら、やっぱり、放して、自分の部屋に走っていって、怒っていました。 しばらく、彼の興奮は、収まらず、自分に腹を立てたように、いらいらを、自分自身を叩いたり、自分で、自分の足をけったりして、発散していました。。。
時間は、少しかかったけど、私自身がいつもと変わらず、動揺を見せず、淡々と、おんなじタッチで、関わることで、彼の、私に向けての、いらいらもやもや。。は消えて行きました。
でも。。。Tシャツの上からだったにも、関わらず、私の上腕には、ものすごく立派で、直径6センチくらいでしょうか、きれいな、まん丸の歯型が、ばっちり、付きました。一つづつの、穴から、少々、血も、にじみ出てました。時間がたったら、そのまん丸の中の部分が、真紫になって、かなり、ぽっこりと、腫れました。今でこそ、歯型は、きれいに消えましたが、何年も、何年も、残っていました。(実家の母は、ものすごく、ショックを受けていました。。嫁入り前の、20代の娘に。。。って。でも、遅かったけど、嫁にも行けたし、傷も、完全に無くなった。めでたし。めでたし。)
3年で、その施設を退職して、カナダにワーキングホリデーで来るとき、お約束の、健康診断がありました。指定病院ってことで、東京タワーが、診療室から見える、お医者様に行ったときの事。
診断しながら、私の腕の、生々しい人間のそれも、成人の歯型に、動きが止まったお医者さん。数秒考えてから、その傷を、手で、なでるようにしつつ、『こ、この傷は、生まれつき。。ですか。。。。。?』って。 『ぷっ!』 思わず、笑ってしまいました。『この傷がぁ??そんなわけないでしょう~~!』 これこれ、こんな仕事と事情で。。。って、話したら、『そうですか。。そんな事情で。。』と。内心最初は、きっと、『この娘は、ふつーの顔して、彼氏と危ないプレーでもしてるんだろう。。』と、思われたんだろうなああ。。でも、なんて声をかけたら良いか、見当もつかなかったんだろうなぁ。。と、思ったら、おかしくて、たまりませんでした。(同時に、とっさに、生まれつきですか?という言葉を選んで発した、この先生の、やさしさも、ちょっと感じました。)
何事にも、『備えあれば憂いなし。。』とも言いますが、肉体的傷や、精神的傷は、備えがあっても、起こってしまったら、完全に立ち直るには、相当なる時間と、ヒーリングのエネルギーが必要なんですよ。。。。。。。。でも、ちゃんと治るし、学びもあるし。。。 どんな経験も、この人生の宝。です。
2010年2月22日月曜日
Super Sunday!
開会式以来、わが家は、毎日、時間さえあれば、オリンピックのTV中継に、盛り上がりを見せています。今日 (2月21日日曜日)は、Day10。 テレビでは、Super Sunday!と、謳い、各種競技、盛りだくさんに放送しています。 (チャンネル、あっちこっち、変えて、忙しく見まくっています。。。)
アメリカ、ドイツのメダル快進撃の中、アジア人では、韓国人が、気を吐いていますね。。スピードスケート、ショートトラックの彼らの(特に韓国男子チーム)の、活躍は、すごい!。
アメリカ冬季オリンピック史上初の、7つのメダルをゲットし、ヒーローと称された、Apolo Ohno (お父さん、日本人)。う~ん。カッコいい~。フィギアスケート男子は、私の周りでは、結構、Johnny Weir が、話題をさらいました!。(演技、妖艶で、美しかったですよね~。Akariの友達のSarah は、”I love him!!" と繰り返し叫んでました~。) ショートプログラムの時は、オーラに輝きまくっていた 高橋選手。 フリーの時は、ちょい、緊張が先に立っていたのは残念。 逆に、落ち着いて演技してたのに、紐断裂に見舞われた 織田選手も、残念でした。。。
カナダのアイスダンスのペアにも、オーラが見えるというか、光が降り注いでいるようですね。彼らには、金あげたい。小さな子供の頃から、ず~~っと、一緒に練習し、ペアとして歩んできている、映像の紹介を見て、かなり、感動しているので。。
スノーボードクロス、フリースタイル、スピードスケート、スケルトン。。カナダのメダル奪取も、着々と、地味ながら、数を伸ばす毎日。 あと一週間、目が離せませんね。 ホッケーと、カーリングがどこまで行くか。 先日の、男子ホッケー、カナダVSスイス戦。。最後まで、めっちゃはらはらしましたね。。。 自分が、ちょこっとかじり始めたので、クロスカントリースキーのレースも、観戦、応援に力が入ります。 今週は、女子のフィギアスケート、日本女子のカーリングも楽しみです。 でも、カーリングと言うと、やっぱり、カナダの、Kevin Martin の、ここまでの快進撃がすごい。すごすぎる~。鳥肌ものです~。
そして、本日、2月21日は、わが家の光のバースデーです。 Super Sunday!!夜は、家族3人、海鮮なべをつつきながら、アメリカVSカナダの、ホッケー観戦。。 今日は、まぎれもなく、アメリカチームの動きが上でしたね。。。 カナダチーム、ここから、踏ん張って欲しいです。
Happy B-day! Hikaru。 ますます元気で楽しく、活躍の一年を。同じ方向を向いての人生、毎日コツコツ一歩づつ。 これからもよろしくお願いします。 そして、私の信条。 誕生日は、産み落としてくれた”母”に、感謝の日。 東京田端のお母さん。 光を生んでくれてありがとう。 長い、長い命のつながり、思う瞬間です。
アメリカ、ドイツのメダル快進撃の中、アジア人では、韓国人が、気を吐いていますね。。スピードスケート、ショートトラックの彼らの(特に韓国男子チーム)の、活躍は、すごい!。
アメリカ冬季オリンピック史上初の、7つのメダルをゲットし、ヒーローと称された、Apolo Ohno (お父さん、日本人)。う~ん。カッコいい~。フィギアスケート男子は、私の周りでは、結構、Johnny Weir が、話題をさらいました!。(演技、妖艶で、美しかったですよね~。Akariの友達のSarah は、”I love him!!" と繰り返し叫んでました~。) ショートプログラムの時は、オーラに輝きまくっていた 高橋選手。 フリーの時は、ちょい、緊張が先に立っていたのは残念。 逆に、落ち着いて演技してたのに、紐断裂に見舞われた 織田選手も、残念でした。。。
カナダのアイスダンスのペアにも、オーラが見えるというか、光が降り注いでいるようですね。彼らには、金あげたい。小さな子供の頃から、ず~~っと、一緒に練習し、ペアとして歩んできている、映像の紹介を見て、かなり、感動しているので。。
スノーボードクロス、フリースタイル、スピードスケート、スケルトン。。カナダのメダル奪取も、着々と、地味ながら、数を伸ばす毎日。 あと一週間、目が離せませんね。 ホッケーと、カーリングがどこまで行くか。 先日の、男子ホッケー、カナダVSスイス戦。。最後まで、めっちゃはらはらしましたね。。。 自分が、ちょこっとかじり始めたので、クロスカントリースキーのレースも、観戦、応援に力が入ります。 今週は、女子のフィギアスケート、日本女子のカーリングも楽しみです。 でも、カーリングと言うと、やっぱり、カナダの、Kevin Martin の、ここまでの快進撃がすごい。すごすぎる~。鳥肌ものです~。
そして、本日、2月21日は、わが家の光のバースデーです。 Super Sunday!!夜は、家族3人、海鮮なべをつつきながら、アメリカVSカナダの、ホッケー観戦。。 今日は、まぎれもなく、アメリカチームの動きが上でしたね。。。 カナダチーム、ここから、踏ん張って欲しいです。
Happy B-day! Hikaru。 ますます元気で楽しく、活躍の一年を。同じ方向を向いての人生、毎日コツコツ一歩づつ。 これからもよろしくお願いします。 そして、私の信条。 誕生日は、産み落としてくれた”母”に、感謝の日。 東京田端のお母さん。 光を生んでくれてありがとう。 長い、長い命のつながり、思う瞬間です。
2010年2月21日日曜日
久しぶりの再会。。
昔、ここ、カナディアンロッキーでガイドをしていた。娘がおなかにいたときは、オフィスワークもしていた。その時代、同じ会社で働いていた同僚。。今は、それぞれ、違う場所で、それぞれの人生を、展開している、面々が、2月20日、土曜日に、集いました。 (私を、クロカンに誘い出してくれた、由美子さん宅にて。。)
なんと言っても、本日のメインゲスト。。は、現在は、ギリシャ在住の、Karen(カレン)。彼女は、エーゲ海に浮かぶ、小さな島の、小さなホテルの御曹司と、5年程前に結婚して、今は、オーナー夫人。
(2008年の夏に、公開された、Meryl Streep (メリル ストリープ)のはじける演技が話題にもなった、『Mammma Mia - マンマ ミーア』撮影に使用された島。)
実家がカルガリーなので、毎年冬の間、(ホテルのシーズンオフの時) 家族で、里帰りしているんだそうだ。今年は、旦那様は、ギリシャに残し、4歳のいたずらざかりの、息子と2人で、9月から、約半年のカナダ帰省中。いよいよ、来週には、ギリシャに戻る。。ってんで、現在は、カルガリー在住の、いすずさんと、いすずさんの、娘2人と、さらに、カレンの、お父様と、総勢6名様が、カルガリーから、バンフへ日帰りでやってきたわけです。。
Karenに再会するのは、私が一番、久しぶり。 でも、会ってしまえば、離れていた時間は、あっというまに吹っ飛ぶ感じ。昔と全く代わらず、相変らずの、弾丸トーク。『私に瓜二つ!』という、おちゃめなエネルギーの塊のような息子も、愛嬌満点。人なつっこく、かわいい事この上なし。さらに、一緒に訪ねてきてくれた、Karenの、お父様 (78歳って、言ってたけど、ずーっと若く見えた。)が、屈託なくみんなに打ち解け、わいわいおしゃべりして、楽しい。楽しい。
ランチしながら、昔懐かしい話、現在の生活の話、ギリシャの経済やら、色んな現地生情報、まあ、驚く程、話題には事欠かない。。。ギリシャは、今は、国、経済が、不安定で、決して好調ではないらしいけど、それでも、彼らのビジネスは、着々と成長中。。。。
昔から、なぜか、ギリシャには、心惹かれている。エーゲ海も、いつか、チャンスが会ったら、ぜひぜひ、行ってみたい場所の一つ。。。。。。
彼女の島では、まだまだ、色んな物資が簡単にお手軽価格で手にはいる状況はないらしく、カルガリーから、沢山の物や、乾物、息子の大好物、”サッポロ一番” (Ichiban Noodle) などなど、買い物しては、せっせと送っている。。って言ってた。
私にとっては、未知なる世界の生活を語るKaren。 知人、友人が、元気に、パワフルに、ユーモラスに色んな世界で、頑張る姿に、刺激されるし、知らない世界の存在に、また、気づかされるし、またまた、素敵な一日を過ごしました。。
来年Karenが、戻ってきたら、また、声かけてください。 カルガリー組みが、帰った後も、由美子さんと、今日初めて沢山しゃべったみきちゃんとの、オリンピック観ながら、おしゃべり。。の時間も、楽しかったです。。 みんなに感謝。 そして、由美子さん、美味しく楽しいランチをありがとうございました。
エーゲ海を見渡す、ホテルに心はせたい方は、こちらから。。
Skopelos島、ホテルSelenunda
(ホテル外観は、4,5番の写真に、バルコニーで、お茶するKarenが、11番の写真に!)
なんと言っても、本日のメインゲスト。。は、現在は、ギリシャ在住の、Karen(カレン)。彼女は、エーゲ海に浮かぶ、小さな島の、小さなホテルの御曹司と、5年程前に結婚して、今は、オーナー夫人。
(2008年の夏に、公開された、Meryl Streep (メリル ストリープ)のはじける演技が話題にもなった、『Mammma Mia - マンマ ミーア』撮影に使用された島。)
実家がカルガリーなので、毎年冬の間、(ホテルのシーズンオフの時) 家族で、里帰りしているんだそうだ。今年は、旦那様は、ギリシャに残し、4歳のいたずらざかりの、息子と2人で、9月から、約半年のカナダ帰省中。いよいよ、来週には、ギリシャに戻る。。ってんで、現在は、カルガリー在住の、いすずさんと、いすずさんの、娘2人と、さらに、カレンの、お父様と、総勢6名様が、カルガリーから、バンフへ日帰りでやってきたわけです。。
Karenに再会するのは、私が一番、久しぶり。 でも、会ってしまえば、離れていた時間は、あっというまに吹っ飛ぶ感じ。昔と全く代わらず、相変らずの、弾丸トーク。『私に瓜二つ!』という、おちゃめなエネルギーの塊のような息子も、愛嬌満点。人なつっこく、かわいい事この上なし。さらに、一緒に訪ねてきてくれた、Karenの、お父様 (78歳って、言ってたけど、ずーっと若く見えた。)が、屈託なくみんなに打ち解け、わいわいおしゃべりして、楽しい。楽しい。
ランチしながら、昔懐かしい話、現在の生活の話、ギリシャの経済やら、色んな現地生情報、まあ、驚く程、話題には事欠かない。。。ギリシャは、今は、国、経済が、不安定で、決して好調ではないらしいけど、それでも、彼らのビジネスは、着々と成長中。。。。
昔から、なぜか、ギリシャには、心惹かれている。エーゲ海も、いつか、チャンスが会ったら、ぜひぜひ、行ってみたい場所の一つ。。。。。。
彼女の島では、まだまだ、色んな物資が簡単にお手軽価格で手にはいる状況はないらしく、カルガリーから、沢山の物や、乾物、息子の大好物、”サッポロ一番” (Ichiban Noodle) などなど、買い物しては、せっせと送っている。。って言ってた。
私にとっては、未知なる世界の生活を語るKaren。 知人、友人が、元気に、パワフルに、ユーモラスに色んな世界で、頑張る姿に、刺激されるし、知らない世界の存在に、また、気づかされるし、またまた、素敵な一日を過ごしました。。
来年Karenが、戻ってきたら、また、声かけてください。 カルガリー組みが、帰った後も、由美子さんと、今日初めて沢山しゃべったみきちゃんとの、オリンピック観ながら、おしゃべり。。の時間も、楽しかったです。。 みんなに感謝。 そして、由美子さん、美味しく楽しいランチをありがとうございました。
エーゲ海を見渡す、ホテルに心はせたい方は、こちらから。。
Skopelos島、ホテルSelenunda
(ホテル外観は、4,5番の写真に、バルコニーで、お茶するKarenが、11番の写真に!)
Katheline(いすずさんの娘)が撮ってくれました。ちょっと逆光。惜しい!
Panos(カレンの息子)と、私は、追いかけっこやら、山になったり、小熊になったり、かくれんぼしたり、遊びました。。子供大好き~。
将来有望!?の カメラマン、4歳 Panosのワンショット。
目をきらきらさせて、なんにでも、興味深々の、Panos。お母さんのマニキュアが大好きで、今日は、彼の左指には、青、右指は、ピンクのマニキュアが。
ダイニングで、おしゃべりに花が咲いてた、みきちゃんと、ハインツ(カレンのお父さん)の写真、撮り忘れた~。 (ドイツから、戦後に移民してきた、ハインツの話も、沢山聞かせてもらいました。。)
2010年2月20日土曜日
お友達ブログ。
昨日になって、長年の友人が、最近、Vancouverより、ブログを発信し始めていることを知りました。 お許しが出たので、私のブログリストに貼りました。
Happiness of the day
彼女が、こんなに犬好きの人だとは、知りませんでした。 犬というペットは、人と本当に心が通いますよね。
母方の祖母の家に昔いたコリーは、(それこそ、40年くらい前の話。。)とても賢くて、茶の間で、誰かが、お茶をこぼすと、お風呂場に走っていって、雑巾加えて、かけ戻ってくるような犬でした。
実家では、柴犬の雑種 (Jun)と、シェットランドシープドック (Mimi)を、飼っていたことがあります。 Mimiは、長野の、ブリーダーで生まれて、ペットショップの小さなケージに住んだ経験の無い子だったので、子供の頃ののびのびした性格は、この上ない、さわやかさ。。。でした。
実家の母は、ものすごく、動物好き。子供好き。 (私も、この血をかなり、頂いていますが。。) 逆に言うと、ものすごく、動物に好かれ、子供に好かれる。。この上ない人です。
一度、縁日で買ってきたひよこが、(必ず、縁日のおじさんは、これは、メスだから、大きくなったら、卵を生むよ。。とかって、ブルーとか、ピンクに染めた、小さいひよこを、誘い文句で売っていませんでしたか??) やっぱり、育ったらオスで、最後は、ちょっと、私の妹に攻撃をしかけるようになったので、近くの農家に引き取ってもらいましたが、そんな ピーコですら、母の呼びかけには、ダッシュで、駆け戻ってきて、挙句の果てに、母の肩に飛び乗り、母にほおずり。。。していました。(長い人生、人にほおずりする鶏は、あれが、最初で、最後の一匹。。です。)
**************
子供の成長と、愛犬エリーとの、心の交流。。。これから、ちょくちょく、彼女のブログには、お邪魔すると思います。。。 よろしく~。
Happiness of the day
彼女が、こんなに犬好きの人だとは、知りませんでした。 犬というペットは、人と本当に心が通いますよね。
母方の祖母の家に昔いたコリーは、(それこそ、40年くらい前の話。。)とても賢くて、茶の間で、誰かが、お茶をこぼすと、お風呂場に走っていって、雑巾加えて、かけ戻ってくるような犬でした。
実家では、柴犬の雑種 (Jun)と、シェットランドシープドック (Mimi)を、飼っていたことがあります。 Mimiは、長野の、ブリーダーで生まれて、ペットショップの小さなケージに住んだ経験の無い子だったので、子供の頃ののびのびした性格は、この上ない、さわやかさ。。。でした。
実家の母は、ものすごく、動物好き。子供好き。 (私も、この血をかなり、頂いていますが。。) 逆に言うと、ものすごく、動物に好かれ、子供に好かれる。。この上ない人です。
一度、縁日で買ってきたひよこが、(必ず、縁日のおじさんは、これは、メスだから、大きくなったら、卵を生むよ。。とかって、ブルーとか、ピンクに染めた、小さいひよこを、誘い文句で売っていませんでしたか??) やっぱり、育ったらオスで、最後は、ちょっと、私の妹に攻撃をしかけるようになったので、近くの農家に引き取ってもらいましたが、そんな ピーコですら、母の呼びかけには、ダッシュで、駆け戻ってきて、挙句の果てに、母の肩に飛び乗り、母にほおずり。。。していました。(長い人生、人にほおずりする鶏は、あれが、最初で、最後の一匹。。です。)
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子供の成長と、愛犬エリーとの、心の交流。。。これから、ちょくちょく、彼女のブログには、お邪魔すると思います。。。 よろしく~。
2010年2月18日木曜日
キリン。。好きの私。(ビールの話じゃないですよ。)
私は、キリンが好きです。あと、イルカ。実際の経験で、ウサギとも、心通ったので、ペットウサギにも、愛着あります。。(でも、ちびたという、特別の一匹だったからかも。。)そして、今週は、シロフクロウにも、心をつかまれてしまいました。
去年の11月に、ハワイで、生まれて初めて野生のイルカと遭遇しました。"シュノーケル&ドルフィンクルーズ”というオプショナルツアーに参加したときでした。Oahu島の西海岸から、クルーズで、沖合いに出て、数分したら、大群が集まってきました。船から、出る泡と戯れて遊ぶのが大好きだそうで、船と一緒に、泳ぎ、船の前に出て、何度も、ジャンプもしてくれました。イルカって、なぜか、人の心と、スピリットと、共鳴する何かを持っていますね。やさしく、賢い、なぜか、動物なのに、思いやりを持っているすらと、感じてしまうような、目と、しぐさ。。。
キリンは、どうして、こんなに気になるのかわかりませんが、そして、まだ、動物園以外の野生のキリンにお目にかかったことがないので、一回は、アフリカのサバンナで、夕日を背景に、ゆっくりと、走る、地球の大地に息づく、野生のキリンの姿を拝んでみたい。とにかく私はキリン好きです。
ここ、ロッキーの大自然の中に住んでいると、野生動物の、たくましさと美しさに心うたれます。
熊も、鹿も、狼も、山羊、山ヤギ、コヨーテも、シロフクロウも、リスも、どの動物も、鳥たちも、動物園に囲われてしまった固体には、ない、体のつやと、あふれる生命エネルギーの輝きがあります。 この違いは大きいです。カルガリー動物園。ホノルル動物園。日本のズーラシア(実家のすぐそばです。)富士サファリパーク。広い敷地を存分に使って、なるべくのびのび自然に近い環境の提供を目指している動物園の動物達にも、お目にかかりました。。。それでも、やぱり野生の彼らの姿には、程遠い様子を呈しています。
ズーラシアには、オカピというキリンの原種という動物がいるのに、キリンがいないんです。これは残念。園長に、抗議の手紙を書こうとすら思ったことあるくらい。
キリンは動物園には、欠かせません。。。と、思いませんか?????
それはともかく、やっぱり、野生の彼らに会ってみたい~。
人間は、だれかに飼われているというわけではないので、基本的には、(そして、最も どう猛な)道具と文化を持つ、野生動物だと思うんですが、でも、社会や、会社や、コミュニティーに束縛されて、して、洗脳されて、肌つや、毛づや、目、オーラ???その他もろもろ、生まれ付いての、野生のパワーが曇っている?弱っている?人も多いですよね。。。
野生のキリンに会える日がいつかくることと、それまで、私の野生!?の本性と輝きが、なるべく、失われませんように。。。。。。。
去年の11月に、ハワイで、生まれて初めて野生のイルカと遭遇しました。"シュノーケル&ドルフィンクルーズ”というオプショナルツアーに参加したときでした。Oahu島の西海岸から、クルーズで、沖合いに出て、数分したら、大群が集まってきました。船から、出る泡と戯れて遊ぶのが大好きだそうで、船と一緒に、泳ぎ、船の前に出て、何度も、ジャンプもしてくれました。イルカって、なぜか、人の心と、スピリットと、共鳴する何かを持っていますね。やさしく、賢い、なぜか、動物なのに、思いやりを持っているすらと、感じてしまうような、目と、しぐさ。。。
キリンは、どうして、こんなに気になるのかわかりませんが、そして、まだ、動物園以外の野生のキリンにお目にかかったことがないので、一回は、アフリカのサバンナで、夕日を背景に、ゆっくりと、走る、地球の大地に息づく、野生のキリンの姿を拝んでみたい。とにかく私はキリン好きです。
ここ、ロッキーの大自然の中に住んでいると、野生動物の、たくましさと美しさに心うたれます。
熊も、鹿も、狼も、山羊、山ヤギ、コヨーテも、シロフクロウも、リスも、どの動物も、鳥たちも、動物園に囲われてしまった固体には、ない、体のつやと、あふれる生命エネルギーの輝きがあります。 この違いは大きいです。カルガリー動物園。ホノルル動物園。日本のズーラシア(実家のすぐそばです。)富士サファリパーク。広い敷地を存分に使って、なるべくのびのび自然に近い環境の提供を目指している動物園の動物達にも、お目にかかりました。。。それでも、やぱり野生の彼らの姿には、程遠い様子を呈しています。
ズーラシアには、オカピというキリンの原種という動物がいるのに、キリンがいないんです。これは残念。園長に、抗議の手紙を書こうとすら思ったことあるくらい。
キリンは動物園には、欠かせません。。。と、思いませんか?????
それはともかく、やっぱり、野生の彼らに会ってみたい~。
人間は、だれかに飼われているというわけではないので、基本的には、(そして、最も どう猛な)道具と文化を持つ、野生動物だと思うんですが、でも、社会や、会社や、コミュニティーに束縛されて、して、洗脳されて、肌つや、毛づや、目、オーラ???その他もろもろ、生まれ付いての、野生のパワーが曇っている?弱っている?人も多いですよね。。。
野生のキリンに会える日がいつかくることと、それまで、私の野生!?の本性と輝きが、なるべく、失われませんように。。。。。。。
私の周りのキリンたち。これは、同僚のBarb が、結婚の時お祝いでもらった品。彼女の家に、かざるところがない。。ということで、私のOffice の壁一面に、ばば~んと、飾らせてもらっています。いつも、この子達を見ながら、お仕事しています。
この子も、いつも、私のお仕事を見守ってくれています。
上の子が、どこにいるかわかりますか? 私のOffice です。
この作品は、キリン好きの私のために、妹分のお友達仲ちゃんが、
彼女の得意な、モラという手芸の技法で、彼女初の、オリジナルデザインで作ってくれました。
わが家のベットルームに、飾っています。
わが家のキリンたち。。その1。
わが家のキリンたち。。その2。
わが家のキリンたち。。その3。
わが家のキリンたち。。その4。
立ち上がろうとするキリンは、アフリカでは、『グットラック』のシンボルだとか。
立ち上がる。回復する。起き上がる。。前向きのエネルギー。
これからは、フクロウグッズや、イルカグッズコレクションも、始まりそうな気配です。。。
2010年2月16日火曜日
初めての、シロフクロウ。。
2月15日-ファミリーデーの祝日でお休みの月曜日。今日は、またまた、家族の暖かい理解の上、(といっても、だんな様はお仕事、娘は、友達と映画の休日を選択。)Wondertaxi氏、主催の、フクロウ探検隊の、第4回隊員の一員に加えてもらい、南アルバータを500キロに渡って、駆け巡る、フクロウ探しの旅に出かけてきました~~。
去年の夏から、話だけは、沢山聞いていて、チャンスを待ちわびていた参加。今、日本にいる、妹分のお友達の仲ちゃんは、実は、無類!?のフクロウ好きなので、ホントは、私より参加したかったはず。 仲ちゃん、あなたの代わりにあなたの分も、楽しんでおきましたぁ。。。
野生動物、自然は大好きだけど、フクロウに関しては、ど素人の私も、大明神、和田氏の、解説と、長年にわたる研究の賜物の、抜群の”エリア”選択、して、双眼鏡も、お貸しくださり、初めてにして、美しい4体の シロフクロウと、出会えました。。。。
大きさ、悠々堂々とした姿、温かそうな、白いふわふわの毛並み。(羽並み??)遠くを静かに、見つめる鋭いような、やさしいようなまなざし。
大きな鳥だし、肉食だし、強気!のはずなのに、以外と、繊細に、車の音や、人の声を警戒し、なかなか近づくのは、難しい。 一眼レフなど、もっていない、私のお気楽デジカメでは、ちゃんとした写真を収めることは、困難。 というわけで、写真は、Wondertaxi氏の、ブログで、お楽しみください。(私は、彼のブログ上では、”カル”さんです。所以は、知る人ぞ知る。。)
フクロウ探検隊、第4回
とにかく、青空バックに、優雅に羽ばたく姿は、圧巻!でした。オスは、年齢を重ねると、真っ白になっていくんだそうで、その、『純白の彼』に、会うために、また、チャンスがあったら、参加希望という事で、名前をリストに、掲載。。お願いします。
10時間を越える、あて(というか、目的地)のない、ドライブ。今回の、隊員の、原崎ご夫婦とも、沢山おしゃべりできて、楽しかったです。(って、私が一番おしゃべりだったっけ??)
アルバータは、広い。アルバータは美しい。そして、シロフクロウも、心を打たれるような、雄雄しさ、美しさでした。
去年の夏から、話だけは、沢山聞いていて、チャンスを待ちわびていた参加。今、日本にいる、妹分のお友達の仲ちゃんは、実は、無類!?のフクロウ好きなので、ホントは、私より参加したかったはず。 仲ちゃん、あなたの代わりにあなたの分も、楽しんでおきましたぁ。。。
野生動物、自然は大好きだけど、フクロウに関しては、ど素人の私も、大明神、和田氏の、解説と、長年にわたる研究の賜物の、抜群の”エリア”選択、して、双眼鏡も、お貸しくださり、初めてにして、美しい4体の シロフクロウと、出会えました。。。。
大きさ、悠々堂々とした姿、温かそうな、白いふわふわの毛並み。(羽並み??)遠くを静かに、見つめる鋭いような、やさしいようなまなざし。
大きな鳥だし、肉食だし、強気!のはずなのに、以外と、繊細に、車の音や、人の声を警戒し、なかなか近づくのは、難しい。 一眼レフなど、もっていない、私のお気楽デジカメでは、ちゃんとした写真を収めることは、困難。 というわけで、写真は、Wondertaxi氏の、ブログで、お楽しみください。(私は、彼のブログ上では、”カル”さんです。所以は、知る人ぞ知る。。)
フクロウ探検隊、第4回
とにかく、青空バックに、優雅に羽ばたく姿は、圧巻!でした。オスは、年齢を重ねると、真っ白になっていくんだそうで、その、『純白の彼』に、会うために、また、チャンスがあったら、参加希望という事で、名前をリストに、掲載。。お願いします。
10時間を越える、あて(というか、目的地)のない、ドライブ。今回の、隊員の、原崎ご夫婦とも、沢山おしゃべりできて、楽しかったです。(って、私が一番おしゃべりだったっけ??)
アルバータは、広い。アルバータは美しい。そして、シロフクロウも、心を打たれるような、雄雄しさ、美しさでした。
こういう道の、地図を持ち、どのエリアが、ポイントか、
わかる和田氏はすばらしい~。
アルバータの大きさに、乾杯~!。
シロウトデジカメじゃ、こんな程度しか、取れません。。
一応、フクロウと、原崎氏と、両方入っているんですけど。。。
4人で、接近を図ったら、すぐ逃げられてしまったので、一人で、
接近写真にトライして、車に小走りに戻ってくる隊長。
(青抜きでも、羽ばたくフクロウの姿には、勝てないか~。)
4つのエレメント。
地球の、4つのエレメント。
地、風(気)、水、そして、火。 Earth, Wind, Water and Fire..... この4つのエレメントは、常に、生き物のごとく、エネルギーにあふれ、振動し、変化し、関わりあっている。
人間も、4つの層で、出来ている。
肉体、知性、情緒、そして、精神だ。 Physical, Mental (=Interectual), Emotional and Spiritual.....
この4つのレベルも、常に、エネルギーにあふれ、振動し、変化し、関わりあっている。
人間を、地球と、それぞれのエネルギーを照らし合わせるとすると、 肉体が大地。 知性は水。情緒は火。そして、精神が気。。と共鳴する。
人間を宇宙と照らし合わせると、肉体が地球、情緒は天気、知性が、大気、そして、精神は、大気圏外に存在する、無限なる空間に、共鳴する。。
そして、どの次元でも、なんの種類のエネルギーでも、その波動、振動は、らせんを描き、円を描き、そして、循環し、共存し、影響しあう。 (共鳴、反発、などなど。。)
人間のDNA、ゲノムの読解も、読むだけは、読めたらしい。その文字が何を、どう、生かし、動かし、作用しあっているかの解明には、まだまだ、宇宙次元的時間を要すだろう。 でも、ゲノムも、Aと、Cと、Gと、T。 の、4つの永遠なる羅列なんだそうだ。 やっぱり、4つのエレメントだ。
そして、何か大きな一つのことをなすために、全てはつながっている。
*****************
DNA情報は、RNAが、コピーして、伝達する。 ここで、コピー間違いが起こると、その先々で、たんぱく質合成に、不具合が生じ、誤った細胞が稼動しはじめる。。(らしい。)
(DNAと、RNAの、相互解釈と、コミュニケーション障害が、コピーミスなんだと思う。ここにも、何かの、意志の存在を感じるのは、私だけ?)
まるで、キリスト様の色んな言葉を、勝手にそれぞれの弟子が、解釈して、自分の解釈が正しい、こう、解釈すべし、彼は違う。。と、やがて宗教対立という不具合が始まり、増殖を続けた、続けている。。構図と、似ている気がする。
今、かなり、巷で、はやりつつある、スピリチュアルヒーリングや、癒しのテクニックも全てそうだ。 A氏はこうするべきと言ったとか、C先生は、それは違うと言ったとか。 それぞれの解釈 (Interpretation)の、小さなひずみが、無数の道と、師を生み出している。。本当は、全ての種類の癒しも、スピリチュアルヒーリングも、最終的には、そして、根本的には、全部一緒だ。(エネルギーのいずる場所と、帰る場所が同じという意味です。) 確かに、使える(ように、見える、聞こえる、感じる)エネルギーの種類、強弱の差は、場所、時間、個人での差はあるけれど。。。(表面的に目に映るテクニックと、テクニックに、つけられた名前の違いに、翻弄されない方が賢明と、私は思う。。)(私は、Reiki Masterになってから、そのエネルギーそのものが、語りかけてくれる、名前のより向こうの、遠くの、エネルギーの源から、それを教わった気がしています。。。)
人間関係の問題も、自分自身の自意識の中での、迷い、曇り、小さなひずみですら、全て、早とちり、勘違い、思い込み。。つまりは、己と相手の心の見えない声の、解釈 コミュニケーションエラーから、始まっているように見えるし、思える。。。。
己の身勝手な都合、人間界の、窮屈な枠組み、人的関係および、環境の汚染、思い込み、間違った情報での、洗脳。。。 などにより、引き起こされる、Mentalと、Emotional レベルの、波動のひずみの振動数が、Physicalレベルで、RNAが、お仕事を間違えてしまうことにも、ある程度、影響するのでは?。。。と、感じます。
このレベル、範疇のことは、もっと、科学者と、医者が共同研究したら、いいのになぁ。 でも、きっと、何かが、見出され、体系づくまでに、何百年も かかるだろうな。。。
****************
前にも、書きました。しつこく書きます。 全てのエネルギーは、コミュニケーションしています。 そして、とにかく、全てがつながっています。
そして、全てのエネルギーの根底に、宇宙最高の叡智より、つながり来る、意思が宿っている。
時々、そんなエネルギーの意志に気づかされる時がある。 (それこそ、勘違いじゃない事を祈る。。けど。)
****************
やっぱり、何時も話が、飛び、広がり、分裂炸裂。。。。
とにかく。。。全ての人の4次元の健康を祈ります。
2010年2月14日日曜日
バレンタインデーあんど、チャイニーズニューイヤー
今年の2月14日は、バレンタインデーでもあり、Chinese New Yearでも、ありました。 Koreaも、今日が、New Yearだそうです。 これで、全世界的に、寅年が始まりました。
今日は、前々から、申し込んでおいた、バンフセンターのスタッフイベントで、インストラクター付きの、クロスカントリースキーに、行ってきました。
前にも、ちらっとこのブログで紹介したことのある、韓国人の、頑張り屋さんの、Solちゃんと、一緒に、サインアップ。
今日は、前々から、申し込んでおいた、バンフセンターのスタッフイベントで、インストラクター付きの、クロスカントリースキーに、行ってきました。
前にも、ちらっとこのブログで紹介したことのある、韓国人の、頑張り屋さんの、Solちゃんと、一緒に、サインアップ。
参加者5人に、イントラ1人!の、贅沢なツアーでした。
今日のインストラクター、JoAnne (ジョアン)
最近は、暖かくて、バンフ周辺は雪が少ないので、今日は、Lake Louise地区まで、走り、Moraine Road (モレーンロード)へ行きました。
コースヘッドで、出発前の Sol。人生初クロカンに、ちょっと緊張気味。
(でも、ダウンヒルスキーのかなりの経験者で、
あっという間に、上手くなってた。)
日中最高気温40度の、ニュージーランドから、カナダに来て、まだ、2週間もたっていない、先週から、フロントデスクで働き始めたばかりの、Arna (アーナ) 人生初クロカン。でも、彼女は、ニュージーでは、スノーボーダーだったそうで、若いし、元気に、明るく、滑ってましたぁ。
ウォームアップで、少し滑った後、片足スキーで、バランスを取る練習、グライドを長くとる練習、正しいストックワーク、軽いくだりを利用しての練習。。。Tipを、教えてくれたのと、伴走しながらの、アドバイスももらえて、2時間半弱の、セッションの後は、なんだか、ちょっと、上手くなったような気分! (万が一、この一瞬の錯覚!に終わったとしても、いい気分は、味わえました。)
基本を、ちゃんと、教えてもらえたのと、雪質も、コースもとても、良かった。 (週末で、ちょっと人は多い感じ。。ではありましたが。。) 気温も寒くなく、風もなく、クロカン日和でした。
JoAnneが、ルイーズ周辺の、他の、コースの話もしてくれて、また、チャンスがあったら、彼女に連れられて、難しいコースにチャレンジ!も、いいかも。。
私以外の、参加者は、みんな20代、独身。 若くて、元気。でも、48歳、一緒に楽しんできました。
本日の、JoAnneの生徒5人。『みんな上達が早い!』って、言ってもらえて、
ご満悦!の、5人です。 今日は、スキーパンツは要らない陽気でした。でも、大汗かいてカロリー燃やして、最高に、いい気分でした。
今日は、始めて、ワックスを塗るタイプの、スキーを試す。 ワックスの使い方も、JoAnneが、ちゃんと指導してくれた。 ワックスレスタイプのスキーより、下りの、すべり心地は、快適。 (早い。) サリーボーデンの、レンタルシューズの具合も、ばっちり。 今度からは、ここで、レンタルしよ~っと。。 (気温が、0度以上に暖かくなったら、ワックスタイプのスキーは、大変だそうです。 あと、彼女は、今日初クロカンの人には、ワックスレスタイプの板を、勧めて貸していました。気温ににあわせて、レンタルすれば良いってのも、賢い!かも。。)
2010年2月13日土曜日
Sushi House Lunch
2月13日(土)-先週末に、引き続いて、カルガリーから、友人夫婦 (パトリシアとアンドレ)が、会いに来てくれた。
彼らの、親しいアメリカの友人が、バンフの隣町のキャンモアに、これはこれは素敵な、別荘を持っていて、今週末は、月曜日が、Family Dayという祝日で、ロングウィークエンドということと、2月14日の、バレンタインデーが、彼らのアニバーサリーデーでもあって、金曜日の夜から、Canmoreの、その別荘に、お泊りに来ている。 それで、光の働くSushi Houseにて、一緒にランチデート。
アンドレは、『自分は、前世は日本人だった。』と、言う、大~~の日本好き。 そして、料理好き。時に、彼のお母さん仕込みの、イタリア料理に腕を振るい、私たち家族を、もてなしてくれる。
そして、光の作る料理の大ファンでもある。 今日も、光に、じきじきに、自分の包丁を、研いで欲しいと、カルガリーから持参してきていた。
燈も交えて、4人で、Sushi Houseでランチ。 今日は、Michikoさんという女性シェフが、メインで握っていて、光は、キッチンだったけど、時々出てきてくれて話もできた。
今日も、お寿司を楽しみつつ、おしゃべりも絶好調。 ブログの話になったら、パトリシアも、『私も始めようかと思ってる。。』って。 そのうち、私のブログリストに貼れるかも。 『日本語と、英語の同時通訳ソフトで、2つの言語のページがいっぺんに書けたら良いのにね~。』 って。
ということで、(ってどういう事!?-写真紹介許可ありってことです。。) 二人を紹介します。
彼らの、親しいアメリカの友人が、バンフの隣町のキャンモアに、これはこれは素敵な、別荘を持っていて、今週末は、月曜日が、Family Dayという祝日で、ロングウィークエンドということと、2月14日の、バレンタインデーが、彼らのアニバーサリーデーでもあって、金曜日の夜から、Canmoreの、その別荘に、お泊りに来ている。 それで、光の働くSushi Houseにて、一緒にランチデート。
アンドレは、『自分は、前世は日本人だった。』と、言う、大~~の日本好き。 そして、料理好き。時に、彼のお母さん仕込みの、イタリア料理に腕を振るい、私たち家族を、もてなしてくれる。
そして、光の作る料理の大ファンでもある。 今日も、光に、じきじきに、自分の包丁を、研いで欲しいと、カルガリーから持参してきていた。
燈も交えて、4人で、Sushi Houseでランチ。 今日は、Michikoさんという女性シェフが、メインで握っていて、光は、キッチンだったけど、時々出てきてくれて話もできた。
今日も、お寿司を楽しみつつ、おしゃべりも絶好調。 ブログの話になったら、パトリシアも、『私も始めようかと思ってる。。』って。 そのうち、私のブログリストに貼れるかも。 『日本語と、英語の同時通訳ソフトで、2つの言語のページがいっぺんに書けたら良いのにね~。』 って。
ということで、(ってどういう事!?-写真紹介許可ありってことです。。) 二人を紹介します。
Akariに、バレンタインのチョコを持ってきてくれました。
Patricia Glen (ニックネーム、PGlen)
Akariが撮ってくれました。 PGlen、私、して、Andre
(PGlenが、あまりにも、遠近法上、大きくなってしまうので、
小さい写真にしました。。)
Andreの、Home Page
Andreが、PGlenの、肩に生えてる!みたい。。
混雑を避けようと1時に行ったのに、満席で、待ちました。一瞬、さあ~っと、人が引き、席についたあとも、あっという間に、満席、そして、立待ち数人。。。。
お店は、大忙しでしたぁ。(がんばれ 光)
して、唯一の女性シェフ、Michikoさんも、頑張れ~。
この店、こんな山の中の小さな町のレストランの割りに、美味しいです。
(えこひいき抜きで。もちろん、日本の、海ぎわ、産地直送の、それ。。とは、質、種類ともに、違いますが。)
ローカルの、常連さんが、沢山いる。。ってのも、ありがたいですが、今日は、ローカルさん。。というよりも、一元さんで、大賑わい。何人ものお客さんが、回る列車の写真撮ってました。
2010年2月12日金曜日
Vancouver Olympics Opening Ceremony..
開会式、全編 生放送で、見ましたぁ。 色んな意味で、心にしみました。
カナダらしい、自然、動物、先住民、多民族国家。。。の切り口。
カナダ自慢の、Cirque de Soleil (ソレイユサーカス)を、思わせる、人々の空中遊泳。
光と、映像の演出。 (やるな~。めっちゃ美しかったですね。。) 鯨達が、泳ぎ、潮吹いたのは、圧巻!でした。
Haiti (ハイチ)の地震から、今日で、ちょうど一ヶ月。支援活動にも、熱い、ハイチ生まれの、現カナダ総督、 Michaelle Jeanの、(彼女の、髪型と、きらきら光る、目が素敵ですねぇ。。)開会宣言。。。
今朝、Lugeの、練習中の事故で亡くなった、Georgia (なんで、日本では、グルジアって言うのだろう。英語だと、ジョージア)の Nodar Kumaritashvili (ほとんど、発音不可能) (21歳)選手の冥福を祈っての、一分間の黙祷。 オリンピック旗掲揚。。の直後のことだった。
その瞬間に、カナダ国旗と、オリンピック旗が、半旗になった。
始めて見る、オリンピック開会式での光景だった。
最後の、聖火点灯の場面では、テク二カルデイフィカルティーが、あったものの、室内の、大きな聖火台は、見ごたえありました。 して、やっぱり、最後はグレツキーだったんですね。 最後の、大雨の中の、外での、聖火点灯も、花火も、Vancouverの、盛り上がる人々も、感動の笑顔や、思わず、ぐっとこみ上げる観衆の表情も、地続きの、Vancouverと、時を同じくして、味わえました。
すでに、各種目、バトルが火蓋を切りました。。。。。 どんなドラマが、見られるかな。。。。
カナダらしい、自然、動物、先住民、多民族国家。。。の切り口。
カナダ自慢の、Cirque de Soleil (ソレイユサーカス)を、思わせる、人々の空中遊泳。
光と、映像の演出。 (やるな~。めっちゃ美しかったですね。。) 鯨達が、泳ぎ、潮吹いたのは、圧巻!でした。
Haiti (ハイチ)の地震から、今日で、ちょうど一ヶ月。支援活動にも、熱い、ハイチ生まれの、現カナダ総督、 Michaelle Jeanの、(彼女の、髪型と、きらきら光る、目が素敵ですねぇ。。)開会宣言。。。
今朝、Lugeの、練習中の事故で亡くなった、Georgia (なんで、日本では、グルジアって言うのだろう。英語だと、ジョージア)の Nodar Kumaritashvili (ほとんど、発音不可能) (21歳)選手の冥福を祈っての、一分間の黙祷。 オリンピック旗掲揚。。の直後のことだった。
その瞬間に、カナダ国旗と、オリンピック旗が、半旗になった。
始めて見る、オリンピック開会式での光景だった。
最後の、聖火点灯の場面では、テク二カルデイフィカルティーが、あったものの、室内の、大きな聖火台は、見ごたえありました。 して、やっぱり、最後はグレツキーだったんですね。 最後の、大雨の中の、外での、聖火点灯も、花火も、Vancouverの、盛り上がる人々も、感動の笑顔や、思わず、ぐっとこみ上げる観衆の表情も、地続きの、Vancouverと、時を同じくして、味わえました。
すでに、各種目、バトルが火蓋を切りました。。。。。 どんなドラマが、見られるかな。。。。
2010年2月11日木曜日
いよいよオリンピック!
開会式。ついに明日にせまってきましたぁ。あの、カナダ中を駆け巡った聖火が、ひたひたと、今、Vancouverに、近づいていますねぇ。
どうして、日本とか、ワシントンDCに、あんなに雪が降るのに、カナダは、こんなに雪が少なくて、暖かいんでしょうね~。。。
それでも、バンクーバーオリンピックは、できる限りの労力と精力とお金をつくして、準備に余念はなかったみたい。。Vancouver Convention Centre を、大掛かりにセットしなおして、国際放送センターに見事に変身!させているのには、びっくり。
去年の夏に、Vancouverに行ったとき、おんなじ業界の建物だから、VCCの中、覗きに行ったので、昨日テレビのNewsで、建物ごと、放送センターに様変わりしてしまっているのに、びっくり。でも、効率的ですよね。オリンピックが終わったら、また、Convention Centreに、戻せば良いわけだし。Event 仕掛け人軍団の、舞台裏での、活躍の様子が、ちょっと、想像できます。
カナダに住んでいると、カナダのTeamも、応援したくなる。カーリングとかで、日本とカナダがあたったらどうしよ~。どちらか一方の応援というよりも、双方の、ファインプレーに、声援を送ることになるんだろうな。。。カナダも、前回のオリンピックから、メダル獲得大作戦。。が、4年間にわたって、ひたひたと、計画されていたから、ちょっと、見もの。。。(カナダオリンピック委員会の、『Own the Podium!』って、名前の、戦略会議が、数年に渡り、バンフセンターにも来ていました。)
北米のテレビでは、もちろん、アメリカ、カナダの選手を中心に追いかけはするものの、すべての競技を かなり、まんべんなく放送してくれる (チャンネル数も多いしね)ので、世界中の選手を広く見られて楽しい。(日本のテレビは、日本人が参加しない競技はほとんど、中継しないもんね。。。ちょっと切り口が狭いと思う。)
しばらくは、テレビのオリンピック中継、結果報告、などなどに、沸く!日々、続きそうですね。。。。。。
どうして、日本とか、ワシントンDCに、あんなに雪が降るのに、カナダは、こんなに雪が少なくて、暖かいんでしょうね~。。。
それでも、バンクーバーオリンピックは、できる限りの労力と精力とお金をつくして、準備に余念はなかったみたい。。Vancouver Convention Centre を、大掛かりにセットしなおして、国際放送センターに見事に変身!させているのには、びっくり。
去年の夏に、Vancouverに行ったとき、おんなじ業界の建物だから、VCCの中、覗きに行ったので、昨日テレビのNewsで、建物ごと、放送センターに様変わりしてしまっているのに、びっくり。でも、効率的ですよね。オリンピックが終わったら、また、Convention Centreに、戻せば良いわけだし。Event 仕掛け人軍団の、舞台裏での、活躍の様子が、ちょっと、想像できます。
カナダに住んでいると、カナダのTeamも、応援したくなる。カーリングとかで、日本とカナダがあたったらどうしよ~。どちらか一方の応援というよりも、双方の、ファインプレーに、声援を送ることになるんだろうな。。。カナダも、前回のオリンピックから、メダル獲得大作戦。。が、4年間にわたって、ひたひたと、計画されていたから、ちょっと、見もの。。。(カナダオリンピック委員会の、『Own the Podium!』って、名前の、戦略会議が、数年に渡り、バンフセンターにも来ていました。)
北米のテレビでは、もちろん、アメリカ、カナダの選手を中心に追いかけはするものの、すべての競技を かなり、まんべんなく放送してくれる (チャンネル数も多いしね)ので、世界中の選手を広く見られて楽しい。(日本のテレビは、日本人が参加しない競技はほとんど、中継しないもんね。。。ちょっと切り口が狭いと思う。)
しばらくは、テレビのオリンピック中継、結果報告、などなどに、沸く!日々、続きそうですね。。。。。。
2010年2月10日水曜日
色、変えてみましたぁ。
日本の母と、電話。
70代中盤で、でも、ばりばり元気な母。 (家事や、家回りのこと、家族の世話、私の100倍は、良く動く。。) 嬉しい事に、『小粒』の読者。
母曰く、『私の目には、黒のベース、白の文字。。は、長い文章を読むのに、ちょっと辛い。。』のご意見。 (いつも長くて、失礼していますううう。。。。)
というわけで、試しに、テンプレート変えて、遊んで見ました。
この方が、読みやすいでしょうか?????
”チェンジ!”への、感想、お寄せください。
70代中盤で、でも、ばりばり元気な母。 (家事や、家回りのこと、家族の世話、私の100倍は、良く動く。。) 嬉しい事に、『小粒』の読者。
母曰く、『私の目には、黒のベース、白の文字。。は、長い文章を読むのに、ちょっと辛い。。』のご意見。 (いつも長くて、失礼していますううう。。。。)
というわけで、試しに、テンプレート変えて、遊んで見ました。
この方が、読みやすいでしょうか?????
”チェンジ!”への、感想、お寄せください。
2010年2月9日火曜日
カルチャーショック。。の話 その2
1988年に、Vancouver に、Working Holiday 制度を利用して、戻ってきた時、これまた縁があって、PCS(Pacifico Creative Service )という、当時、JALPAKの、Vancouver 受けを主にしている会社に、カスタマーサービススタッフで、雇っていただきました。
その頃は、Workding Holiday (3期生くらい?) の、若い日本人が、Vancouver には結構入り始めていて、(Yのキャンプリーダーで来たときは、日本人なんて、ほとんど見ず、ダウンタウンのお土産屋さんでも、『Chinese Student?-中国からの留学生?』とか、聞かれ、2度ほど、おすし屋さんに入ったときと、一回OKギフトショップに入ったときにしか、現地の日本人っていう人も見なかったのに。。) 近くのアパートに、住んでいた、私よりずっ~~と年下の、日本人ワーホリさんが、カナダでの生活を始めて、2ヶ月しかたっていないのに、何の旅行業界の経験もないのに、『ガイド』をしている。。って聞いて、も~~う、超ビックリ仰天した。
私の星では、『ガイド』は、その土地を『ガイド』するんだから、ちゃんとした土地の知識と、あれこれを理解していないとできない職業。。のはずだったので。 その子曰く、『でも、会社には、2年カナダに住んでいると言えって、言われてるんです。だから、2年分、カナダ知ってないといけない。。』って、自分で、グレーハウンドのバスに乗って、BCのあちこちを仕事の無い日には、必ず回り、勉強しているけなげな子だった。
私の仕事は、日中は、オフィスで、ガイドさん用の書類などの準備、夕方には、当時、JALPAKが、Four Season の中に、持っていた、Tour Desk に出向き、グループが到着する前に、フロントから、あらかじめグループチェックインをして、鍵をもらって、日本語の案内用紙をつけて、空港のお迎え、市内観光が終わって、到着するガイドさんと、そのグループを待つ仕事だった。 グループが付いた後は、ホテルの部屋のことで、不都合があったら、フロントとやりとり。
オプショナルツアーやら、町のレストランの利用の仕方や、アドバイス、予約などをお手伝いする仕事もあった。 私の星では、やっぱり、こういう仕事も、シロウトではできないので、この年は、仕事が終わるガイドさんを待って、時にはオフィスのスタッフの人と、とにかく、VancouverのDowntownの、レストラン および、パブめぐりを とことんしまくった。
お陰で、日に日に、私の夕食お勧め情報には、血が通い、その量も、増え続けて行きました。 同僚、先輩達との会話で、現地情報も、日に日に増えて行きました。 (たぶん、人生で、もっとも沢山の外食をした1年でした。レストラン情報でも、書き溜めておけばよかったかなぁ。ブログ書いてたら、やってただろうなああ。)
Four Season の、フロントのスタッフも、コンセルジェの人達も、この上なく親切で、経験の浅い私を沢山助けてくれました。 (ベルマンは、ハイアットの人達のがきびきび働いてて、良かったけど。。) 中でも、数人、飛びぬけて、やさしく、親切で、サービスが抜群!なカナダ人スタッフが、フロントに一人、ベルマンに一人、そして、レストランのメーテルディーに、一人いました。 いつも、すっと、身ぎれいで、笑顔で、感情の起伏、波がなく、穏やかで、何をお願いしても、嫌な顔一つせず、できることを、出来る限り、手伝ってくれました。
ところが、しばらくして、仲良くなった別の、コンセルジェで働いてた、中国系と、カナダ人スタッフのお姉ちゃんと、一度、日本食レストランに、夕食にいったら、私が、『抜群!』と、思ってたその3人は、3人とも、見事に、ゲイちゃんだってことが判明。 それはそれは、ショック!!?でした。(見た目、めっちゃカッコいい、まさに、日本語で言うところの、イケメン。の部類。- 実は、ハンサム系の男の人は、自分が、カッコいいと、知ってて、鼻に付く奴が多いと、思っていた日本時代の私の、偏見を、覆すハンサム系であり、さらに、ジェントルマン系。)
ホテル業界、特に、当時は、『Four Season は、メッカなのよ~。』だって。彼女ら曰く、ホテル全体で、7人はいる。。って、笑って話してくれて、またまたびっくり。
そしたら、フロントで働いてた、やっぱり、私に一番親切にしてくれた、カナダ人女性が、『ルームメイトは、ゲイに限る。 部屋は汚さないし、物腰は静かだし、おしゃべりは楽しいし、危険は無いし。。』って、笑って言ってるのにも、びっくりした。
でも、ホントに、1年間、そばで見てたけど、みんな、素敵な人たちでした。私も、この国で育ってたら、ルームメイトは、ゲイちゃんが良かったかも~。って、自然に思えるくらいになりました。
今の同僚にも、一人いるけど、彼は、自分の事を、親や、兄弟に打ち明けて、話せるようになるまで、ものすごく時間がかかった、辛い時間があった事、今では、笑顔で話せるようになっています。
なぜか、かなり、波長が会うし、彼との仕事上のTeam Workは、ばっちり。
たまに、一緒にランチしたりすることもあるけど、やっぱり、物腰柔らかく、明るく、話が面白い。見た目は、身ぎれいな男性。 でも、おしゃべりしてると、いつのまにか、まるで、高校時代の女友達と話しているのと同じような感覚に陥る。 いつもは、仲良しの女友達と連れ立って、遊んでいる。 お料理も、お掃除も、おしゃれも大好き。 そして、時々、男に恋する。 たぶん、これまでも、そして、これからも、そういう彼らの存在は、マイノリティーだろうけど、一つの命としては、とっても、愛くるしいんです。
この間も書いたけど、『違い』を、理解しようと向き合い、受け止められるようになる。。ってことが、カルチャーショックがくれる、実体験を通して得られる、大きな成長。なのかもしれませんね。
その頃は、Workding Holiday (3期生くらい?) の、若い日本人が、Vancouver には結構入り始めていて、(Yのキャンプリーダーで来たときは、日本人なんて、ほとんど見ず、ダウンタウンのお土産屋さんでも、『Chinese Student?-中国からの留学生?』とか、聞かれ、2度ほど、おすし屋さんに入ったときと、一回OKギフトショップに入ったときにしか、現地の日本人っていう人も見なかったのに。。) 近くのアパートに、住んでいた、私よりずっ~~と年下の、日本人ワーホリさんが、カナダでの生活を始めて、2ヶ月しかたっていないのに、何の旅行業界の経験もないのに、『ガイド』をしている。。って聞いて、も~~う、超ビックリ仰天した。
私の星では、『ガイド』は、その土地を『ガイド』するんだから、ちゃんとした土地の知識と、あれこれを理解していないとできない職業。。のはずだったので。 その子曰く、『でも、会社には、2年カナダに住んでいると言えって、言われてるんです。だから、2年分、カナダ知ってないといけない。。』って、自分で、グレーハウンドのバスに乗って、BCのあちこちを仕事の無い日には、必ず回り、勉強しているけなげな子だった。
私の仕事は、日中は、オフィスで、ガイドさん用の書類などの準備、夕方には、当時、JALPAKが、Four Season の中に、持っていた、Tour Desk に出向き、グループが到着する前に、フロントから、あらかじめグループチェックインをして、鍵をもらって、日本語の案内用紙をつけて、空港のお迎え、市内観光が終わって、到着するガイドさんと、そのグループを待つ仕事だった。 グループが付いた後は、ホテルの部屋のことで、不都合があったら、フロントとやりとり。
オプショナルツアーやら、町のレストランの利用の仕方や、アドバイス、予約などをお手伝いする仕事もあった。 私の星では、やっぱり、こういう仕事も、シロウトではできないので、この年は、仕事が終わるガイドさんを待って、時にはオフィスのスタッフの人と、とにかく、VancouverのDowntownの、レストラン および、パブめぐりを とことんしまくった。
お陰で、日に日に、私の夕食お勧め情報には、血が通い、その量も、増え続けて行きました。 同僚、先輩達との会話で、現地情報も、日に日に増えて行きました。 (たぶん、人生で、もっとも沢山の外食をした1年でした。レストラン情報でも、書き溜めておけばよかったかなぁ。ブログ書いてたら、やってただろうなああ。)
Four Season の、フロントのスタッフも、コンセルジェの人達も、この上なく親切で、経験の浅い私を沢山助けてくれました。 (ベルマンは、ハイアットの人達のがきびきび働いてて、良かったけど。。) 中でも、数人、飛びぬけて、やさしく、親切で、サービスが抜群!なカナダ人スタッフが、フロントに一人、ベルマンに一人、そして、レストランのメーテルディーに、一人いました。 いつも、すっと、身ぎれいで、笑顔で、感情の起伏、波がなく、穏やかで、何をお願いしても、嫌な顔一つせず、できることを、出来る限り、手伝ってくれました。
ところが、しばらくして、仲良くなった別の、コンセルジェで働いてた、中国系と、カナダ人スタッフのお姉ちゃんと、一度、日本食レストランに、夕食にいったら、私が、『抜群!』と、思ってたその3人は、3人とも、見事に、ゲイちゃんだってことが判明。 それはそれは、ショック!!?でした。(見た目、めっちゃカッコいい、まさに、日本語で言うところの、イケメン。の部類。- 実は、ハンサム系の男の人は、自分が、カッコいいと、知ってて、鼻に付く奴が多いと、思っていた日本時代の私の、偏見を、覆すハンサム系であり、さらに、ジェントルマン系。)
ホテル業界、特に、当時は、『Four Season は、メッカなのよ~。』だって。彼女ら曰く、ホテル全体で、7人はいる。。って、笑って話してくれて、またまたびっくり。
そしたら、フロントで働いてた、やっぱり、私に一番親切にしてくれた、カナダ人女性が、『ルームメイトは、ゲイに限る。 部屋は汚さないし、物腰は静かだし、おしゃべりは楽しいし、危険は無いし。。』って、笑って言ってるのにも、びっくりした。
でも、ホントに、1年間、そばで見てたけど、みんな、素敵な人たちでした。私も、この国で育ってたら、ルームメイトは、ゲイちゃんが良かったかも~。って、自然に思えるくらいになりました。
今の同僚にも、一人いるけど、彼は、自分の事を、親や、兄弟に打ち明けて、話せるようになるまで、ものすごく時間がかかった、辛い時間があった事、今では、笑顔で話せるようになっています。
なぜか、かなり、波長が会うし、彼との仕事上のTeam Workは、ばっちり。
たまに、一緒にランチしたりすることもあるけど、やっぱり、物腰柔らかく、明るく、話が面白い。見た目は、身ぎれいな男性。 でも、おしゃべりしてると、いつのまにか、まるで、高校時代の女友達と話しているのと同じような感覚に陥る。 いつもは、仲良しの女友達と連れ立って、遊んでいる。 お料理も、お掃除も、おしゃれも大好き。 そして、時々、男に恋する。 たぶん、これまでも、そして、これからも、そういう彼らの存在は、マイノリティーだろうけど、一つの命としては、とっても、愛くるしいんです。
この間も書いたけど、『違い』を、理解しようと向き合い、受け止められるようになる。。ってことが、カルチャーショックがくれる、実体験を通して得られる、大きな成長。なのかもしれませんね。
2010年2月8日月曜日
Sunday, Feb 07 - Ladies dayより。
今日は、Ladies day at my house. (女友達我が家に集う!の日。)
メンバーは、一回このブログに映像にて登場経験あり、の、マリアン。カルガリーから、パトリシアと、彼女の友達のロビン。(私を入れて、計4名。)
マリアンは、私の霊気トリートメント(お手当て)の価値を大切に思ってくれている一人。ロビンも、その体験をしたい。。っていうことで、パトリシアが連れてきた。 ロビンとは、実際に会うのは始めて。。(メールのやりとりはここに到達するまでに数回)
パトリシアも、もともとは、バンフセンターでの同僚から始まった友達。 マリアンは、センターにいた時、パトリシアの旦那様の、アンドレと同じ部署で、仕事をしていた時代もあり、私たち3人の、つながりも結構深い。 (アンドレは、イタリア系カナダ人、例のイタリアンマーケットを教えてくれた友達です。)
今日は、たっぶり一日をかけ、3人の体に触れさせてもらいました。 (途中のランチとおしゃべりも、Ladies Dayならでは。。で、楽しかった。)
私は、縁あって、Reiki Master になったけど、そして師匠からは、『早く、指導を始めなさい。あなたから、Reiki を伝授されたい (治療ではなくて、Reiki テクニックの伝授)と思っているカナダ人が、回りに一杯いるでしょう!?』 と、なんべんも、言われるのだが、どうも、コミュニティークラスで、あまりに、お手軽にReiki を習えたり、大量の生徒さんにいっぺんに、伝授 (アチューメント)する。。みたいな、風潮が ここにも存在するのを知っているせいか、なんなんだか、踏み込めずに、私の『お手当て』を、自然に、味わい、受けいれる、心の開いた人、つながりを感じる友人、及び、家族。。そして、そういう場 (一緒の時間を作り出せる)が、自然に成り立つ人にしか、触れていない。。。。が現実。(そういう人とのつながりや、”場”が、自然にできていく過程。。に、なぜか、深い『意味』と、『美』を感じているので。) どうしても、”治療”とかの名を付随させて宣伝したり、お金と引き換えに、その場を提供したり、作りだす事。。その行為自体に、大きな抵抗感がある。 (なんでなんだろう。。。なぜ?を、追求するのが大好きな私にも、まだ、その感覚の出所がわからない。。)
今日も、マリアンとその話になって、『Reiki の、伝授は、”マクドナルド”の店舗展開みたいに、広がるべきものじゃないと思うんだ~。 もともと、日本の創設者は、一生に一人の弟子に、全てを伝授する伝統から、始まっているし。。。』って、言ったら、『でも、マクドナルドは、お金儲けが根底にあって、体に悪い(言葉が悪すぎかな? 食べ過ぎたら、体に良くない)食べ物であろうが、なんでも、店舗のネームバリューと、展開力で、売れれば良い。。で、広がっているけど、Reiki は、そのベネフィットを考えたら、一生に一人の弟子じゃ、今の世の中に、そのベネフィットを必要としている人の数に対応できないんじゃない!?』ってお言葉。
ますますスピリチュアルな世界が身近になっているご時世。。
それでも、私が感じる、Reiki のふるさとのエネルギー世界は、安易に、紹介したり、解説したりできるレベルの深さではない。 それでも、『テクニックの伝授の方法』を知る、Master としては、広めることに、従事するように展開していくのが、自然の流れなんだろうか。 私は何を躊躇して、何に、引っかかって、何に抵抗しているんだろうか???
世に言われる、Reiki Masterに、なってから、新しい世界の入り口に立ち、目の前に、広がる、宇宙と同様の広さと、大きさを感じざるを得ない、大きなエネルギーの世界の前に、まだ、赤ん坊状態の私ですぅ。この広大な、目には見えないエネルギーの宇宙を、ちゃんと、目標と指針をもって、旅できる、叡智ある、そして勇気ある旅人になりたいです。
そして、そんな叡智を持てる人間に、いつかなれたら、やっぱり、一人でいいから、だれかに、全てを伝授できたら、この上ない幸せかも知れない。。。。と、今日は思う。 (明日は変わったりして!?)
メンバーは、一回このブログに映像にて登場経験あり、の、マリアン。カルガリーから、パトリシアと、彼女の友達のロビン。(私を入れて、計4名。)
マリアンは、私の霊気トリートメント(お手当て)の価値を大切に思ってくれている一人。ロビンも、その体験をしたい。。っていうことで、パトリシアが連れてきた。 ロビンとは、実際に会うのは始めて。。(メールのやりとりはここに到達するまでに数回)
パトリシアも、もともとは、バンフセンターでの同僚から始まった友達。 マリアンは、センターにいた時、パトリシアの旦那様の、アンドレと同じ部署で、仕事をしていた時代もあり、私たち3人の、つながりも結構深い。 (アンドレは、イタリア系カナダ人、例のイタリアンマーケットを教えてくれた友達です。)
今日は、たっぶり一日をかけ、3人の体に触れさせてもらいました。 (途中のランチとおしゃべりも、Ladies Dayならでは。。で、楽しかった。)
私は、縁あって、Reiki Master になったけど、そして師匠からは、『早く、指導を始めなさい。あなたから、Reiki を伝授されたい (治療ではなくて、Reiki テクニックの伝授)と思っているカナダ人が、回りに一杯いるでしょう!?』 と、なんべんも、言われるのだが、どうも、コミュニティークラスで、あまりに、お手軽にReiki を習えたり、大量の生徒さんにいっぺんに、伝授 (アチューメント)する。。みたいな、風潮が ここにも存在するのを知っているせいか、なんなんだか、踏み込めずに、私の『お手当て』を、自然に、味わい、受けいれる、心の開いた人、つながりを感じる友人、及び、家族。。そして、そういう場 (一緒の時間を作り出せる)が、自然に成り立つ人にしか、触れていない。。。。が現実。(そういう人とのつながりや、”場”が、自然にできていく過程。。に、なぜか、深い『意味』と、『美』を感じているので。) どうしても、”治療”とかの名を付随させて宣伝したり、お金と引き換えに、その場を提供したり、作りだす事。。その行為自体に、大きな抵抗感がある。 (なんでなんだろう。。。なぜ?を、追求するのが大好きな私にも、まだ、その感覚の出所がわからない。。)
今日も、マリアンとその話になって、『Reiki の、伝授は、”マクドナルド”の店舗展開みたいに、広がるべきものじゃないと思うんだ~。 もともと、日本の創設者は、一生に一人の弟子に、全てを伝授する伝統から、始まっているし。。。』って、言ったら、『でも、マクドナルドは、お金儲けが根底にあって、体に悪い(言葉が悪すぎかな? 食べ過ぎたら、体に良くない)食べ物であろうが、なんでも、店舗のネームバリューと、展開力で、売れれば良い。。で、広がっているけど、Reiki は、そのベネフィットを考えたら、一生に一人の弟子じゃ、今の世の中に、そのベネフィットを必要としている人の数に対応できないんじゃない!?』ってお言葉。
ますますスピリチュアルな世界が身近になっているご時世。。
それでも、私が感じる、Reiki のふるさとのエネルギー世界は、安易に、紹介したり、解説したりできるレベルの深さではない。 それでも、『テクニックの伝授の方法』を知る、Master としては、広めることに、従事するように展開していくのが、自然の流れなんだろうか。 私は何を躊躇して、何に、引っかかって、何に抵抗しているんだろうか???
世に言われる、Reiki Masterに、なってから、新しい世界の入り口に立ち、目の前に、広がる、宇宙と同様の広さと、大きさを感じざるを得ない、大きなエネルギーの世界の前に、まだ、赤ん坊状態の私ですぅ。この広大な、目には見えないエネルギーの宇宙を、ちゃんと、目標と指針をもって、旅できる、叡智ある、そして勇気ある旅人になりたいです。
そして、そんな叡智を持てる人間に、いつかなれたら、やっぱり、一人でいいから、だれかに、全てを伝授できたら、この上ない幸せかも知れない。。。。と、今日は思う。 (明日は変わったりして!?)
2010年2月6日土曜日
2010年、2月 ふぁーすとうぃーく。- 今週のミニジャーナル
2月1日(月)-今日から、350人の大きなコンファレンスのホスト。 メインの会議の前に、Pre-Conference Training やら、Workshopやら、色々コンバインされてて、ややこしくも、面白い。 46社から、Exhibitor が、やってきてて、展示の準備も、大がかり。 木曜日は、Fun Casinoが、ダイニングルームに設定されて、パーティー。 北米の人は、会議も好きだし、ワークショップも、トレーニングも好きだし、ネットワーキングといって、ようは、人脈開拓。にも、余念なし。 もちろん、最終日のパーティーは、”打ち”あがる。パワフルだ。 毎年のコンファレンスなので、向こうのオーガナイザーとも、"あうん"の呼吸になりつつあり、楽しい。 金曜日まで、無事、動きますように。
2月2日(火)- グラウンドホッグデイ。 日本人には、なじみのほぼない、アメリカの、”グラウンドホッグ”という、巨大ジリスみたいな動物を使って、春の訪れを占う、変なお祭り。 今日の、Phil(かの、もっとも有名な占い師の、グラウンドホッグ イン その祭りの聖地の、ペンシルベニア、パンクサトーニー)は、今年の春の訪れは、早くはならず、あと、6週間続くであろう。。との予想だったそうだ。 (それにしても、動物が、己の影を見るか、見ないかで、占うなんて、変なお祭り~)
友達のマリアンより、Philが何を予言しようと、カナダは、少なくたって、冬はあと6週間は平気で続く~~。(から、Phil の予言はうちらには関係ないけど~。。。)って、メール。(ホントの用事はこの話しじゃないです。)
2月3日(水)-節分。 カナダに来てからは、すっかり、ご無沙汰!の行事。 日本の皆さんは、いまだに、年の数だけ、おまめを食べて、無病息災を願うのでしょうか。 娘が、日本のニュースを見てて、『年の数だけ、まめを食べる。。』の、フレーズに、『ママ、2010個、食べないといけないの!??』と、仰天顔。。 この機会に、正しい知識をお教えしました。
2月4日(木)- 石原真理子の46歳、小泉今日子の44歳、佐々木蔵之介の42歳の誕生日だって。 何でも、出ている、インターネットにビックリ。 最近、”医龍”のDVDを、見直したんだけど、佐々木蔵之助が、小泉今日子より、年下とはなああ。。。(って、医龍の中身と、関係ないじゃん。) あ、坂口憲二、(いや、浅田龍太郎) カッコ良いですね。 神の手、もってるみたいで。。 燈は、『早く、医龍の、II が、見たい。。』と、申しております。あ、例の今週のコンファレンスの現場は、この上なく、上手い事運んでいます~。 われらが、Hospitality Operation Team に、イエェ~~イ!。 (裏方は皆な、踏ん張りました~。)
2月5日(金)-気を張り、気を使ったグループも、こうも上手い事運ぶと、(お客さんの顔が笑顔で、パワーあふれてて)と、送り出すのは、寂しいくらい。また、来年お待ちしておりますぅ。 やっぱり、金曜日の午後の仕事が、一番、気分が軽いな~。同僚のNathalie (ナタリー)は、今週末から、1週間のVacation で、ケベックの実家に、里帰り。うきうき、喜んで早めの退社。 Vacation 中に、お誕生日を迎えて、家族、友達とそれを一緒に祝えるのも、最高!!って。 Have a nice Trip, Nat! 今日は、久々~~~に、残業0分どころか、定時の4:30pmには、家に、既に、帰着! やっほ~。
2月6日(土)-週末は、休む。と、遊ぶ。でリフレッシュ。です。
Have a nice weekend!
超気まぐれミニミニジャ-ナルでした。
2月2日(火)- グラウンドホッグデイ。 日本人には、なじみのほぼない、アメリカの、”グラウンドホッグ”という、巨大ジリスみたいな動物を使って、春の訪れを占う、変なお祭り。 今日の、Phil(かの、もっとも有名な占い師の、グラウンドホッグ イン その祭りの聖地の、ペンシルベニア、パンクサトーニー)は、今年の春の訪れは、早くはならず、あと、6週間続くであろう。。との予想だったそうだ。 (それにしても、動物が、己の影を見るか、見ないかで、占うなんて、変なお祭り~)
友達のマリアンより、Philが何を予言しようと、カナダは、少なくたって、冬はあと6週間は平気で続く~~。(から、Phil の予言はうちらには関係ないけど~。。。)って、メール。(ホントの用事はこの話しじゃないです。)
2月3日(水)-節分。 カナダに来てからは、すっかり、ご無沙汰!の行事。 日本の皆さんは、いまだに、年の数だけ、おまめを食べて、無病息災を願うのでしょうか。 娘が、日本のニュースを見てて、『年の数だけ、まめを食べる。。』の、フレーズに、『ママ、2010個、食べないといけないの!??』と、仰天顔。。 この機会に、正しい知識をお教えしました。
2月4日(木)- 石原真理子の46歳、小泉今日子の44歳、佐々木蔵之介の42歳の誕生日だって。 何でも、出ている、インターネットにビックリ。 最近、”医龍”のDVDを、見直したんだけど、佐々木蔵之助が、小泉今日子より、年下とはなああ。。。(って、医龍の中身と、関係ないじゃん。) あ、坂口憲二、(いや、浅田龍太郎) カッコ良いですね。 神の手、もってるみたいで。。 燈は、『早く、医龍の、II が、見たい。。』と、申しております。あ、例の今週のコンファレンスの現場は、この上なく、上手い事運んでいます~。 われらが、Hospitality Operation Team に、イエェ~~イ!。 (裏方は皆な、踏ん張りました~。)
2月5日(金)-気を張り、気を使ったグループも、こうも上手い事運ぶと、(お客さんの顔が笑顔で、パワーあふれてて)と、送り出すのは、寂しいくらい。また、来年お待ちしておりますぅ。 やっぱり、金曜日の午後の仕事が、一番、気分が軽いな~。同僚のNathalie (ナタリー)は、今週末から、1週間のVacation で、ケベックの実家に、里帰り。うきうき、喜んで早めの退社。 Vacation 中に、お誕生日を迎えて、家族、友達とそれを一緒に祝えるのも、最高!!って。 Have a nice Trip, Nat! 今日は、久々~~~に、残業0分どころか、定時の4:30pmには、家に、既に、帰着! やっほ~。
2月6日(土)-週末は、休む。と、遊ぶ。でリフレッシュ。です。
Have a nice weekend!
超気まぐれミニミニジャ-ナルでした。
2010年2月5日金曜日
後日談です。
1月20日、頑張れ、Chris の、記事の後日談です。
チリでの世界大会から、Chris は、帰って来ました。 今年のChef's Challenge は、優勝が、インドネシア、2位、オランダ、3位、オーストラリア代表のシェフだったそうです。
全力を尽くし、燃え尽きて!? 『いい経験だった。。。』と、言っていました。
食材の現地調達が、大変だったこと、夏のさなかの大会なのに、キッチンに冷房が無く、大変だったこと、南北アメリカ大陸代表戦で、行った、ブラジルは、多くの人々が貧困層だったのと比べると、チリの生活事情は、ずっと良かった。。と、少々、お土産話を聞きました。
2年に一度開かれているこのWACS の世界大会。 ルールで、一度出たら、同じシェフは2回は出られないんだとか。 世界中の、沢山の料理人に、チャンスを広く、広げる大会なんだな。。。
手前味噌ですが、バンフセンターのシェフ軍団、結構いい腕しています。。サリーボーデンの4階に、Three Ravenという、アラカルトのレストランがあり、かなり美味しい料理、出しています。(ボーバレーナンバーワンの、景色を楽しめるレストランでもあります。)
そうそう、2月14日には、バレンタインスペシャル、ありますよ。 バンフ、キャンモア在住の方、ロマンチックで、ゴージャスな、夜、舌鼓、打ちたい方は、お試しあれ~。 (下のリンクより、Menuを、覗けます。。)
バレンタインディナー
チリでの世界大会から、Chris は、帰って来ました。 今年のChef's Challenge は、優勝が、インドネシア、2位、オランダ、3位、オーストラリア代表のシェフだったそうです。
全力を尽くし、燃え尽きて!? 『いい経験だった。。。』と、言っていました。
食材の現地調達が、大変だったこと、夏のさなかの大会なのに、キッチンに冷房が無く、大変だったこと、南北アメリカ大陸代表戦で、行った、ブラジルは、多くの人々が貧困層だったのと比べると、チリの生活事情は、ずっと良かった。。と、少々、お土産話を聞きました。
2年に一度開かれているこのWACS の世界大会。 ルールで、一度出たら、同じシェフは2回は出られないんだとか。 世界中の、沢山の料理人に、チャンスを広く、広げる大会なんだな。。。
手前味噌ですが、バンフセンターのシェフ軍団、結構いい腕しています。。サリーボーデンの4階に、Three Ravenという、アラカルトのレストランがあり、かなり美味しい料理、出しています。(ボーバレーナンバーワンの、景色を楽しめるレストランでもあります。)
そうそう、2月14日には、バレンタインスペシャル、ありますよ。 バンフ、キャンモア在住の方、ロマンチックで、ゴージャスな、夜、舌鼓、打ちたい方は、お試しあれ~。 (下のリンクより、Menuを、覗けます。。)
バレンタインディナー
2010年2月4日木曜日
カルチャーショック。。。
初めて、この国に来た時、この国の子供達と、日本の子供達との、合同のキャンプの日本サイドの、リーダーをする。。という任務を背負っていた。 (Yokohama YMCAと、Vancouver YMCAの、企画でした。)
当時(25年前)に日本側から参加していた子供達は、小学校4-6年生。 男女合わせて30名。そのころの日本の小学生は、アルファベットすら すらすらは、読めない。。。という代物が、ほとんどだったので、子供達は、英語が大丈夫だろうか。 現地の人とちゃんとやれるんだろうか。。少しは、私たちリーダーの方がまともだろうから、助けてあげないと。。と、内心は、考えていたと思う。
なんせ、長年、そこで、ボランティアリーダーをしていて、半分は、ご褒美で、頂いたような、ポジションだったけど、査定の過程で、理事長と英語の面接。。なんてのまで、あったし、子どもよりは、ましだろう。。と思ってた。
でも、ふたを開けたら、子供より、あたふたしたのは、私達リーダーだった。ホームステイファミリーとの最初のミーティング。 ファミリーネームが、聞き取れない!?注意事項、これからのスケジュールの確認作業、頭の中は、ほとんど真っ白で、子供たちが、すべて、現地の家族に、誘拐されたように、いなくなったあとは、放心状態だった。。
そこからは、毎日が、”必死”の、連想ゲームのような世界だった。(超真剣に、脳みそ集中して、英語と向き合った初体験。。) 現地の担当者からの話、ホームステイ中は、原則、子供達には、会ってはいけなくて、問題は、全て、電話でのカウンセリングが基本。。だから、Yに、張り付いている必要はなく、昼間は、自由に、観光やら、町を楽しんでいていいよ。 定期的に、メッセージが無いか、確認してくれれば。。と。
定期的に、Yに、電話を入れて、メッセージの確認!? よりもなによりも、町の公衆電話の使い方、料金がわからない。いくらコインを入れたら良いの? 初めてのお宅に、電話する時は、どう話を切り出したらいいの? マナーにどきどき。。(ほどなく解った、通話時間に関係なく、一通話25セント。どうりで、町角の公衆電話で、ねえちゃんが、長話しているわけだぁ。。- 携帯普及の、ず~~っと前の話です。)
子供と家族の双方から、話を聞いて、カウンセリング。。。。それはそれは緊張した。 つたない英単語を並べて、なんとか乗り切ったものの、きっと、とんでもないおかしな会話を沢山していたんだと思う。
『うちに預かっている子、足の指に、バンドエイドを巻いているんだけど、明日海に連れて行っても、大丈夫かしら?』
『明日、野球観戦に家族で行くんだけど、この子は、野球が好きか聞いてちょうだい。』
『会話にならないんだけど、今日の過ごしが楽しかったか、確認して欲しい。。』
とにかく、電話の向こうの、ホストファミリーの、細やかな心使いと、質問攻撃に、驚いた。
『私は、このYで、ボランティアをしているんだけど、今日、観光に連れて行って上げるから、XX時に、ロビーで待ち合わせ~~。』って、まるで、知らない、面識のない、こちらのボランティアスタッフの Doleen が、突然向かえに来てくれて、連日、家族のように、私達リーダーを、もてなしてくれた。 海やら、あちこち連れて行ってくれ、ご近所で夕方集まって楽しんでいるタッチフットボールだの、ファミリーバーベキューにも、呼んでくれた。 なんて、自然に、大きく、暖かい心で、もてなしてくれるんだろう!。って、半分は、きつねにつままれたまま、つれまわされる、毎日が、感動の連続だった。
いよいよ、メインイベントの、合同キャンプがやってきた。 ホストファミリーの子供と一緒に、集合してきた日本の子供達の顔は、すでに、日本を出た時とは明らかに何かが変わっていた。 目の光が変わったのか? こぎたなくなったのか? たくましくなったのか?
言葉も通じないのに、ジェスチャーと、なにやら、ボディーランゲージで、ホームステイ先の兄弟たちと、すでに、わいわいやっている子も中にはいた。
子供の本来持っている、適応能力の高さに、驚いた。 (でも、中には、数人、ホストファミリーに、ギブアップされて、返されてきた子も、いたんですけど。。 とにかく、 全くどうにも、ひと言もコミュニケーションが取れない。。っていう理由で。 その子たちは、最終的には、私達リーダーがカルガモの子みたいに、連れまわしていましたが。。。)
キャンプは、またまた、驚きと感動の連続だった。 これまた、全て書いたら、何時間かけても、書ききれないけど。。。
些細な事なんだけど、心に残ったことを一つ。
それは、Please と、Thank youの、会話だった。 ここのリーダー達は、絶対に、『命令系』 言語を使わない。例えば、子供に 席について欲しい時も、『Sit Down!』 (すわれ!)とは、決して言わなかった。。
『Sit Down, Please』 必ず、語尾に、Please をつける。そして、子供が、それに、リアクションして、座るのを見届けると、必ず、『Thank you!』と。
こんな些細な、言葉がけ、と、子供に対するリーダー達の姿勢が、私の心を打った。。
子供に対して、大人の上から目線の、命令基本の、コントロールか、型はめに、近い教育しか見てきたことの無かった私には、大地がひっくり返る!?くらいの衝撃だった。
子供の反応、動きを、待つ。受け止める。見届ける。見届けたことを、感謝の一言で、伝え返す。。。常に、一方的ではない、同じ目線の高さでの、コミュニケーション。やりとりの中に、生み出され、つみあがる関係。。を肌で感じた最初の衝撃的瞬間だった。
子供は人間としては、未完成であっても、一つの人格として、キチンと認められ、常に、理解されようとしている空間だった。 子供達も、みんな 目に力のある輝きを持ち、自分の物は自ら、管理し、自分の行動に、意味と責任を持って動いているようにすら見える、しっかりした姿だった。 最年少は、5歳のSarah という女の子。彼女も、誰の手助けも借りず、毎日、自分の身支度、身の回りの物の管理をし、日々のプログラムに積極的に自ら参加して、年上の子供達ばかりの中で、あどけない笑顔と、目を輝かせて過ごしていた。 そんな風景たちに、心を打たれた。。 沢山の子たちが、私達にも、対等に、臆せず、話しかけて来た。(子供の英語って、実は、めっちゃー聞き取りにくい。)
現地生まれの、日系のリーダーや、子供も数人入っていて、彼達が、会話の橋渡しや、ヘルプを、随所で、してくれた。
言葉が、全部わかったら。。きっときっと、もっともっと現場の心意気、文化的背景、ここの教育理念、歴史、色んなことが理解できるのに。。。。もっと、知りたい~。 もっと、解りたい。。。。 (これが、私のカナダ病の原点でした。)
苦しかったし、きつかったし、けど、学びも多かった、施設の指導員を退職して、ワーキングホリデー制度という、お気楽この上ないステータスで、カナダに渡ったのは、1988年の春でした。
それからも、色々あったけど、この国の、住人になって、23年目に突入しようという、2010年。。
住人になったら、一時の旅人をもてなすカナダ人のおもてなし精神の中での暮らしは、ある意味特殊だったのがわかった。 いつでも、暖かく受け入れられる環境ではなくなった。 そりゃそうだ。同じ条件下で、暮らす以上、外国人というステータスが、常にプラスに働く。という事はない。 (日本で暮らす、外国人一般よりは、ずっとずっ~~~と待遇は良いですが。)
英語が、ネイティブじゃないだけで、卑下して見下す人も、いないとは言えない。
ここ10年は、英語環境の職場なのと、チームに指示出ししないといけない立場なので、英語の使い方、対話力、文章力、ちょっとづつ、勉強をつんで、力を蓄えてきたとは言え、まだまだ。
バイリンガルに向かって、急成長中の娘に、引き離されないように、置いてきぼりを食わないように、一緒に走っている。(気持ちだけかも。。)でも、英語の世界は、やっぱり英語でないと、しっくり理解できないところが大きく、また、日本語のニュアンスは、英語にはなりきらない部分が強く、私の中に、日本語の文化と、英語の文化の二つの、別々の世界があるように、思う。
ただ、もはや、心臓に毛が生えている?ような状態なので、(根性 座ったという意味です。) この国で、新たに、カルチャーショックを、受けることは、今は、ほとんど無くなったけど。。。
最近は、多国籍文化の、中での生活。 職場にも、ご近所さんにも、アメリカ人、カナダ人、ロシア移民、イタリア移民、イギリス移民、オランダ移民、ドイツ移民、韓国や、フィリピンからの、ビザの人、などなど、、まあ、いろんな血と、ルーツの人が 普通に存在してる。縁があって、関わることのある人達と、文化、宗教、思考の違いを、お互いに、理解しきれず、わからない部分があっても、とにかく、閉じこもらず、伝える。 そして、向こうの立場や、意見に、耳を傾ける。。。。っていう、次なるステージに向かおうと思っています。。。(人間関係って、思い込みと、勘違いと、勝手な想定によって、上手く行かないことが多い。『わからない』『どういう意味?』っていう疑問を、冷静に、伝え、受け止めあえる関係が、ベースにあると、上手く、仲良くなれるようです。『日本人だから、これこれ。。』『カナダ人だから、ちょめちょめ。。』って、思い込んでいると、広がりません。)
『違う』事を、どれだけ、大きく受け入れて、(Accept) 適応 (Adaptation)できるか。。それがきっと、色んな種類の、カルチャーショックから逃げず、乗り越える基本の力。。。。。。なんだろうなぁ。。と、思います。 (生命の進化も、たぶんこの能力のあるものが残って来てる。 ただ、強くて優秀な種が残って来ているわけじゃないんですよねぇ~。)
関係ないけど、ぽかぽか陽気の2月。こんなやわらかい冬に、スポイルされてて良いのでしょうか? まもなく、オリンピック。バンクーバーは、桜が開花しちゃったとか。。。トラックで、雪をせっせと運ぶスタッフの皆さん、ご苦労さまですぅ。。。
当時(25年前)に日本側から参加していた子供達は、小学校4-6年生。 男女合わせて30名。そのころの日本の小学生は、アルファベットすら すらすらは、読めない。。。という代物が、ほとんどだったので、子供達は、英語が大丈夫だろうか。 現地の人とちゃんとやれるんだろうか。。少しは、私たちリーダーの方がまともだろうから、助けてあげないと。。と、内心は、考えていたと思う。
なんせ、長年、そこで、ボランティアリーダーをしていて、半分は、ご褒美で、頂いたような、ポジションだったけど、査定の過程で、理事長と英語の面接。。なんてのまで、あったし、子どもよりは、ましだろう。。と思ってた。
でも、ふたを開けたら、子供より、あたふたしたのは、私達リーダーだった。ホームステイファミリーとの最初のミーティング。 ファミリーネームが、聞き取れない!?注意事項、これからのスケジュールの確認作業、頭の中は、ほとんど真っ白で、子供たちが、すべて、現地の家族に、誘拐されたように、いなくなったあとは、放心状態だった。。
そこからは、毎日が、”必死”の、連想ゲームのような世界だった。(超真剣に、脳みそ集中して、英語と向き合った初体験。。) 現地の担当者からの話、ホームステイ中は、原則、子供達には、会ってはいけなくて、問題は、全て、電話でのカウンセリングが基本。。だから、Yに、張り付いている必要はなく、昼間は、自由に、観光やら、町を楽しんでいていいよ。 定期的に、メッセージが無いか、確認してくれれば。。と。
定期的に、Yに、電話を入れて、メッセージの確認!? よりもなによりも、町の公衆電話の使い方、料金がわからない。いくらコインを入れたら良いの? 初めてのお宅に、電話する時は、どう話を切り出したらいいの? マナーにどきどき。。(ほどなく解った、通話時間に関係なく、一通話25セント。どうりで、町角の公衆電話で、ねえちゃんが、長話しているわけだぁ。。- 携帯普及の、ず~~っと前の話です。)
子供と家族の双方から、話を聞いて、カウンセリング。。。。それはそれは緊張した。 つたない英単語を並べて、なんとか乗り切ったものの、きっと、とんでもないおかしな会話を沢山していたんだと思う。
『うちに預かっている子、足の指に、バンドエイドを巻いているんだけど、明日海に連れて行っても、大丈夫かしら?』
『明日、野球観戦に家族で行くんだけど、この子は、野球が好きか聞いてちょうだい。』
『会話にならないんだけど、今日の過ごしが楽しかったか、確認して欲しい。。』
とにかく、電話の向こうの、ホストファミリーの、細やかな心使いと、質問攻撃に、驚いた。
『私は、このYで、ボランティアをしているんだけど、今日、観光に連れて行って上げるから、XX時に、ロビーで待ち合わせ~~。』って、まるで、知らない、面識のない、こちらのボランティアスタッフの Doleen が、突然向かえに来てくれて、連日、家族のように、私達リーダーを、もてなしてくれた。 海やら、あちこち連れて行ってくれ、ご近所で夕方集まって楽しんでいるタッチフットボールだの、ファミリーバーベキューにも、呼んでくれた。 なんて、自然に、大きく、暖かい心で、もてなしてくれるんだろう!。って、半分は、きつねにつままれたまま、つれまわされる、毎日が、感動の連続だった。
いよいよ、メインイベントの、合同キャンプがやってきた。 ホストファミリーの子供と一緒に、集合してきた日本の子供達の顔は、すでに、日本を出た時とは明らかに何かが変わっていた。 目の光が変わったのか? こぎたなくなったのか? たくましくなったのか?
言葉も通じないのに、ジェスチャーと、なにやら、ボディーランゲージで、ホームステイ先の兄弟たちと、すでに、わいわいやっている子も中にはいた。
子供の本来持っている、適応能力の高さに、驚いた。 (でも、中には、数人、ホストファミリーに、ギブアップされて、返されてきた子も、いたんですけど。。 とにかく、 全くどうにも、ひと言もコミュニケーションが取れない。。っていう理由で。 その子たちは、最終的には、私達リーダーがカルガモの子みたいに、連れまわしていましたが。。。)
キャンプは、またまた、驚きと感動の連続だった。 これまた、全て書いたら、何時間かけても、書ききれないけど。。。
些細な事なんだけど、心に残ったことを一つ。
それは、Please と、Thank youの、会話だった。 ここのリーダー達は、絶対に、『命令系』 言語を使わない。例えば、子供に 席について欲しい時も、『Sit Down!』 (すわれ!)とは、決して言わなかった。。
『Sit Down, Please』 必ず、語尾に、Please をつける。そして、子供が、それに、リアクションして、座るのを見届けると、必ず、『Thank you!』と。
こんな些細な、言葉がけ、と、子供に対するリーダー達の姿勢が、私の心を打った。。
子供に対して、大人の上から目線の、命令基本の、コントロールか、型はめに、近い教育しか見てきたことの無かった私には、大地がひっくり返る!?くらいの衝撃だった。
子供の反応、動きを、待つ。受け止める。見届ける。見届けたことを、感謝の一言で、伝え返す。。。常に、一方的ではない、同じ目線の高さでの、コミュニケーション。やりとりの中に、生み出され、つみあがる関係。。を肌で感じた最初の衝撃的瞬間だった。
子供は人間としては、未完成であっても、一つの人格として、キチンと認められ、常に、理解されようとしている空間だった。 子供達も、みんな 目に力のある輝きを持ち、自分の物は自ら、管理し、自分の行動に、意味と責任を持って動いているようにすら見える、しっかりした姿だった。 最年少は、5歳のSarah という女の子。彼女も、誰の手助けも借りず、毎日、自分の身支度、身の回りの物の管理をし、日々のプログラムに積極的に自ら参加して、年上の子供達ばかりの中で、あどけない笑顔と、目を輝かせて過ごしていた。 そんな風景たちに、心を打たれた。。 沢山の子たちが、私達にも、対等に、臆せず、話しかけて来た。(子供の英語って、実は、めっちゃー聞き取りにくい。)
現地生まれの、日系のリーダーや、子供も数人入っていて、彼達が、会話の橋渡しや、ヘルプを、随所で、してくれた。
言葉が、全部わかったら。。きっときっと、もっともっと現場の心意気、文化的背景、ここの教育理念、歴史、色んなことが理解できるのに。。。。もっと、知りたい~。 もっと、解りたい。。。。 (これが、私のカナダ病の原点でした。)
苦しかったし、きつかったし、けど、学びも多かった、施設の指導員を退職して、ワーキングホリデー制度という、お気楽この上ないステータスで、カナダに渡ったのは、1988年の春でした。
それからも、色々あったけど、この国の、住人になって、23年目に突入しようという、2010年。。
住人になったら、一時の旅人をもてなすカナダ人のおもてなし精神の中での暮らしは、ある意味特殊だったのがわかった。 いつでも、暖かく受け入れられる環境ではなくなった。 そりゃそうだ。同じ条件下で、暮らす以上、外国人というステータスが、常にプラスに働く。という事はない。 (日本で暮らす、外国人一般よりは、ずっとずっ~~~と待遇は良いですが。)
英語が、ネイティブじゃないだけで、卑下して見下す人も、いないとは言えない。
ここ10年は、英語環境の職場なのと、チームに指示出ししないといけない立場なので、英語の使い方、対話力、文章力、ちょっとづつ、勉強をつんで、力を蓄えてきたとは言え、まだまだ。
バイリンガルに向かって、急成長中の娘に、引き離されないように、置いてきぼりを食わないように、一緒に走っている。(気持ちだけかも。。)でも、英語の世界は、やっぱり英語でないと、しっくり理解できないところが大きく、また、日本語のニュアンスは、英語にはなりきらない部分が強く、私の中に、日本語の文化と、英語の文化の二つの、別々の世界があるように、思う。
ただ、もはや、心臓に毛が生えている?ような状態なので、(根性 座ったという意味です。) この国で、新たに、カルチャーショックを、受けることは、今は、ほとんど無くなったけど。。。
最近は、多国籍文化の、中での生活。 職場にも、ご近所さんにも、アメリカ人、カナダ人、ロシア移民、イタリア移民、イギリス移民、オランダ移民、ドイツ移民、韓国や、フィリピンからの、ビザの人、などなど、、まあ、いろんな血と、ルーツの人が 普通に存在してる。縁があって、関わることのある人達と、文化、宗教、思考の違いを、お互いに、理解しきれず、わからない部分があっても、とにかく、閉じこもらず、伝える。 そして、向こうの立場や、意見に、耳を傾ける。。。。っていう、次なるステージに向かおうと思っています。。。(人間関係って、思い込みと、勘違いと、勝手な想定によって、上手く行かないことが多い。『わからない』『どういう意味?』っていう疑問を、冷静に、伝え、受け止めあえる関係が、ベースにあると、上手く、仲良くなれるようです。『日本人だから、これこれ。。』『カナダ人だから、ちょめちょめ。。』って、思い込んでいると、広がりません。)
『違う』事を、どれだけ、大きく受け入れて、(Accept) 適応 (Adaptation)できるか。。それがきっと、色んな種類の、カルチャーショックから逃げず、乗り越える基本の力。。。。。。なんだろうなぁ。。と、思います。 (生命の進化も、たぶんこの能力のあるものが残って来てる。 ただ、強くて優秀な種が残って来ているわけじゃないんですよねぇ~。)
関係ないけど、ぽかぽか陽気の2月。こんなやわらかい冬に、スポイルされてて良いのでしょうか? まもなく、オリンピック。バンクーバーは、桜が開花しちゃったとか。。。トラックで、雪をせっせと運ぶスタッフの皆さん、ご苦労さまですぅ。。。
2010年2月2日火曜日
草食系男子。
この冬、見かけた、ちょっと、めずらしい光景。。 昨日、今日と、立て続けに、バンフセンターの敷地内に、4頭の、角のり~~~っぱな、大きなオスのエルクが、仲良く連れ立って登場した。。
ガイド時代、『エルクは、秋ぐち、繁殖の時期に、メスの群れを、めぐり、オスは戦い、勝った強いオスが、一頭で、メスの群れを引き連れて、ハーレムを作る。 敗れたオスは、単独行動をその後、余儀なくされ。。。』 って、話してた記憶。
この4頭は、なんとも、連れ立って移動し、時に、じゃれて遊んでいるかのように、お互いの角をぶつけ、(真剣な戦いにはなってない) 草を食み、自分が行きたいところに、別のオスがいると、つついて追い出し。。なんだか、本当に、仲がよさそうなんです。 一緒に遊んでいるようです。 角の、枝分かれを見ると年齢が推定できるエルク。どう見ても、4頭とも、そんなに、若い少年エルクというわけではありません。 (私のオフィスの窓から、良く見える所で、長い時間、遊んでました。。最後は、センターのセキュリティーのスタッフに、ホーンの音で、追い払われるまで、遊んでた。)
ま、草しか食べない、草食系男子。 野生の世界でも、一匹狼は、狼に任せて、草食系男子同士、メスの群れなど忘れて、連れ立っているのか。。 ほほえましくもあり、これで、良いんかい?? 君達は、今、ここで、和んでいる場合?? とも思ったり。 最近、寒さが緩んでいるから、彼らも、気持ちが優しくなっちゃったりしてるんだろうか? 数年したら、数匹の草食系男子軍団が、一緒に、一つのハーレムを共有したりするようになったりして。。。。。 う~~ん。 何かが、野生の世界でも、変化し初めている気配。。。。。です。 (何時も、常時、カメラを持ってないと、チャンスを逃し、スクープ写真はなし。。ですが。。。)
ガイド時代、『エルクは、秋ぐち、繁殖の時期に、メスの群れを、めぐり、オスは戦い、勝った強いオスが、一頭で、メスの群れを引き連れて、ハーレムを作る。 敗れたオスは、単独行動をその後、余儀なくされ。。。』 って、話してた記憶。
この4頭は、なんとも、連れ立って移動し、時に、じゃれて遊んでいるかのように、お互いの角をぶつけ、(真剣な戦いにはなってない) 草を食み、自分が行きたいところに、別のオスがいると、つついて追い出し。。なんだか、本当に、仲がよさそうなんです。 一緒に遊んでいるようです。 角の、枝分かれを見ると年齢が推定できるエルク。どう見ても、4頭とも、そんなに、若い少年エルクというわけではありません。 (私のオフィスの窓から、良く見える所で、長い時間、遊んでました。。最後は、センターのセキュリティーのスタッフに、ホーンの音で、追い払われるまで、遊んでた。)
ま、草しか食べない、草食系男子。 野生の世界でも、一匹狼は、狼に任せて、草食系男子同士、メスの群れなど忘れて、連れ立っているのか。。 ほほえましくもあり、これで、良いんかい?? 君達は、今、ここで、和んでいる場合?? とも思ったり。 最近、寒さが緩んでいるから、彼らも、気持ちが優しくなっちゃったりしてるんだろうか? 数年したら、数匹の草食系男子軍団が、一緒に、一つのハーレムを共有したりするようになったりして。。。。。 う~~ん。 何かが、野生の世界でも、変化し初めている気配。。。。。です。 (何時も、常時、カメラを持ってないと、チャンスを逃し、スクープ写真はなし。。ですが。。。)
2010年2月1日月曜日
全ては、2月1日に始まった。 (いつも長くて失礼してます。。)
今日の私は、過去の私の全ての時間の先端に位置している。
カナダに来なかったら、今の生活は無かった。 光に出会うことも、燈に恵まれることもなかった。
カナダに最初の最初に、来たのは、YMCAで、水泳を教えていて、4年目に、それまでの水泳のリーダーが所属していた体育部と、キャンプを遂行していた、青少年部が、統合されて、健康教育部になり、水泳リーダーでも、キャンプリーダーができるようになり5年目の、大学4年の夏休みに、健康管理室に張り出されていた、『カナダアドベンチャーキャンプ、リーダー募集!』に、応募資格があって、たまたま、一般リーダーでは、一番長いキャリアで、 Yに、貢献!? (はまってて) してたことも、多分考慮されて、リーダーに選ばれたことがきっかけだった。
Vancouver YMCAと、横浜Y の、共同企画の、キャンプ (ホームステイと、プライベートキャンプ場での、日加合同キャンプ) に、無謀にも、英語のまったく出来ない、小学生4-6年生、30人を引き連れてカナダへ出向く、引率リーダー(計3名)の一人に選ばれたのでした。。
1984年、Vancouver が、2年後に開催する、『Exspo-交通博』のために、スカイトレインの建設に着手を始めようとしていた夏に、3週間弱の、カナダ滞在をしたのです。。。
滞在中の、キャンプでの、異文化体験、カルチャーショッ~~~ク!!!の話も、てんこ盛り状態で、ありますが、とにかく、そのキャンプで、この国に 『恋し』 日本帰国後、『カナダ病』と、家族にも呼ばれるほど、カナダにほれてしまった経験があったから。。
メンタルチャレンジの、子供達との3年の暮らしで、かなり磨り減った私を、カナダの青い空が、呼び戻したのは、1988年でした。。
と、考えると、YMCAに、入ってなかったら、今のカナダの暮らしはなかった。
つまり、宅浪してなかったら、Yにも、行ってなかっただろうから、今のカナダの暮らしはなかった。
そして、水泳部に入ってなかったら、水泳リーダーなんて出来なかったから、今のカナダの暮らしはなかった。
水泳部は、両親にかなり、強引に進められ、説き伏せられて 中学入学と同時に入った。 6年生の時の、友達とは、『一緒に、バトミントン部に入ろうね~。』って、約束していたんだけど。。。(6年生の時の担任が、放課後、希望者を集めて、バトミントンを教えてくれてて、それに、仲良しみんなで行っていた。。。から。)
なぜ、両親が、そこまで、強く言ったかというと、バトミントン部じゃ、右手しか使わず、右手ばかりが鍛えられてしまう。 あんたは、左手を、使い、鍛えないといけないから。。というのが理由だった。。
あのとき、両親の助言を、素直に聞き入れる状況になくて、バトミントン部に入ってたら、今のカナダの暮らしはなかった。
***********************
私は、小学5年生の時、学校の体育の授業中に、鉄棒から落っこちて、左ひじを、複雑骨折した。
その日の体育の授業は、『サッカー』だったんだけど、チームごとに、練習試合してて、私は、待ち時間に、サッカーボールを、校庭の際の、壁に、蹴ってぶつけて、バウンドしたのを取りに行って。。って、遊んでいた。 バウンドしたボールが、近くにあった、低鉄棒の向こうまで、行ったら、鉄棒を、ジャンプして、飛び越えて、ボールをとりに行って、遊んでた。
何回かしているうち、飛び越えられてた鉄棒に、足の先っぽが引っかかって、頭から、落ちていきそうになり、それを食い止めようと、左腕が、突っ張ったまま、地面に、直撃。 ひじを伸ばしたままの状態で、手のひらを、思いっきり、地面に、打ち付けて、その衝撃で、ひじの所で、骨が折れたのでした~。 『ベシッ~~~!!!』て、音がしました。 (柔道の受身は、身についていませんでしたぁ。。。)
それで、ご近所の、ぼろ~~い木造の、廊下を歩くと、きーきー言うような、病院に入院。 折れている腕を、むぎ~~って、引っ張られて、レントゲン。 おまけに、手術のできる先生は、数日後まで、来ないとかで、何日か、そのまま、待たされた。 おみまいに来た、いとこの、てっちゃんは、手術。。って言葉に、帰り際、『死なないでねぇえええええええええ!!!!。』って、廊下中に、とどろき渡る声で、叫んで帰り、全身麻酔で、白目向いたまま、手術をされ、(目くらい、ちゃんとやさしく、閉じさせてよ~。) 手術室の外で、待ってた、担任の先生は、その半分開きっぱなしの、目を見て、貧血起きそうになって、帰り、あげくの果てに、冬で、インフルエンザが、はやっていて、入院中の人に風邪を移してはいけない。。と、クラス中の友達が、『おみまい禁止令』で、だれも、来ず、私は、人生で、一番!?(って、おおげさ~) 小さな心に、『孤独!』 を感じた日々。。。を送ったのでした。
母は、毎日来てくれたけど、母が帰ると、病院の部屋の白い壁を、じ~~と、見て、時間がたつのを待っているのが、悲しかった。 (そのころ、病院の部屋に、テレビなんてもんはなく。。)廊下の向こうのトイレに歩いて行こうとすると、全身ボイラーの火で焼けどして、入院していた、頭、顔、腕、全部、包帯で、ぐるぐる巻きの、パジャマの、まじ、ミーラみたいな おじさんと、一度ならず、すれ違って、全身、身の毛がよだつほど、怖かった。
手術後何日か目に、抜糸。 『女の子だし、傷がひどく残ったら、かわいそうなので、細かく縫わず、大きめに止めました。』と、医者。 でも、時期早々?で、抜糸するそばから、傷がひらいで、そばで、見てた、看護婦さんは、『あれあれ?? お~~。』って、へんな音を発してた。
昔の、へんな手術で、針金みたいので、固定されてて、3本の針金の先っぽが、ひじのちょっと下から、皮膚のそとに飛び出してた。そのまま固定。 あとあと、その針金を、外から、引っ張って、抜くために、また、病院に行った。。。 (昭和40年代の、町医者の、技術。。だったんでしょうねぇ。)
ギブスを取った後も、ずっと、リハビリで、マッサージに通い、『手術をしないで、治す方法もありますが、それでは、完全に治らないので、手術をしましょう。。』という話だったから、完全に直るのかと思ってたら、結局、1年くらい、リハビリしたけど、完全には直らなかった。 (今でも、私の左腕は、右腕と同じようには、伸びないし、曲がりません。)
またまた、しつこくレポートしましたが、結局、そんなこんなを心配した、両親の、『水泳部入部』の、助言だったのです。 大して、泳ぎが上手くなかった私が、水泳部に入部したのは、こういう事情でした。。(でも、いい仲間、後輩に恵まれて、一つ下のスイミングたたき上げの後輩にバタフライやら教わって、楽しい3年間でしたが。。。)
********************
今は、水泳部に入ったこと、そこから、今へと、人生が、展開してきたこと、嬉しく思っています。
父親は、『水泳部に入ったら、何でも、好きなもんを買ってやる。』 といって、私に、アメリカの星条旗の模様の、一般サイズより、一回り大きなバスタオルを一枚買ってくれました。 水泳部に入ったご褒美で、父が、直接、買ってくれたのは、このタオルが、最初で最後でした。 (なんと、このタオルは、燈が、お気に入りで、小さい頃、ずっ~と使い、ほっろぼろになっても、捨てられず、今でも、わが家の、タオルが収納されている棚の隅っこで、36年たった今も、眠っています。)
もちろん、さらにさかのぼったら、私の両親が出会わなければ、私は存在せず。。って、壮大な、命と、エネルギーが全部つながっている話になっていきますが、、
でも、私の人生が、大きく、シフトして、動き出したのは、あの、骨折の日だったのです。
1973年、2月1日の事でした。。。
カナダに来なかったら、今の生活は無かった。 光に出会うことも、燈に恵まれることもなかった。
カナダに最初の最初に、来たのは、YMCAで、水泳を教えていて、4年目に、それまでの水泳のリーダーが所属していた体育部と、キャンプを遂行していた、青少年部が、統合されて、健康教育部になり、水泳リーダーでも、キャンプリーダーができるようになり5年目の、大学4年の夏休みに、健康管理室に張り出されていた、『カナダアドベンチャーキャンプ、リーダー募集!』に、応募資格があって、たまたま、一般リーダーでは、一番長いキャリアで、 Yに、貢献!? (はまってて) してたことも、多分考慮されて、リーダーに選ばれたことがきっかけだった。
Vancouver YMCAと、横浜Y の、共同企画の、キャンプ (ホームステイと、プライベートキャンプ場での、日加合同キャンプ) に、無謀にも、英語のまったく出来ない、小学生4-6年生、30人を引き連れてカナダへ出向く、引率リーダー(計3名)の一人に選ばれたのでした。。
1984年、Vancouver が、2年後に開催する、『Exspo-交通博』のために、スカイトレインの建設に着手を始めようとしていた夏に、3週間弱の、カナダ滞在をしたのです。。。
滞在中の、キャンプでの、異文化体験、カルチャーショッ~~~ク!!!の話も、てんこ盛り状態で、ありますが、とにかく、そのキャンプで、この国に 『恋し』 日本帰国後、『カナダ病』と、家族にも呼ばれるほど、カナダにほれてしまった経験があったから。。
メンタルチャレンジの、子供達との3年の暮らしで、かなり磨り減った私を、カナダの青い空が、呼び戻したのは、1988年でした。。
と、考えると、YMCAに、入ってなかったら、今のカナダの暮らしはなかった。
つまり、宅浪してなかったら、Yにも、行ってなかっただろうから、今のカナダの暮らしはなかった。
そして、水泳部に入ってなかったら、水泳リーダーなんて出来なかったから、今のカナダの暮らしはなかった。
水泳部は、両親にかなり、強引に進められ、説き伏せられて 中学入学と同時に入った。 6年生の時の、友達とは、『一緒に、バトミントン部に入ろうね~。』って、約束していたんだけど。。。(6年生の時の担任が、放課後、希望者を集めて、バトミントンを教えてくれてて、それに、仲良しみんなで行っていた。。。から。)
なぜ、両親が、そこまで、強く言ったかというと、バトミントン部じゃ、右手しか使わず、右手ばかりが鍛えられてしまう。 あんたは、左手を、使い、鍛えないといけないから。。というのが理由だった。。
あのとき、両親の助言を、素直に聞き入れる状況になくて、バトミントン部に入ってたら、今のカナダの暮らしはなかった。
***********************
私は、小学5年生の時、学校の体育の授業中に、鉄棒から落っこちて、左ひじを、複雑骨折した。
その日の体育の授業は、『サッカー』だったんだけど、チームごとに、練習試合してて、私は、待ち時間に、サッカーボールを、校庭の際の、壁に、蹴ってぶつけて、バウンドしたのを取りに行って。。って、遊んでいた。 バウンドしたボールが、近くにあった、低鉄棒の向こうまで、行ったら、鉄棒を、ジャンプして、飛び越えて、ボールをとりに行って、遊んでた。
何回かしているうち、飛び越えられてた鉄棒に、足の先っぽが引っかかって、頭から、落ちていきそうになり、それを食い止めようと、左腕が、突っ張ったまま、地面に、直撃。 ひじを伸ばしたままの状態で、手のひらを、思いっきり、地面に、打ち付けて、その衝撃で、ひじの所で、骨が折れたのでした~。 『ベシッ~~~!!!』て、音がしました。 (柔道の受身は、身についていませんでしたぁ。。。)
それで、ご近所の、ぼろ~~い木造の、廊下を歩くと、きーきー言うような、病院に入院。 折れている腕を、むぎ~~って、引っ張られて、レントゲン。 おまけに、手術のできる先生は、数日後まで、来ないとかで、何日か、そのまま、待たされた。 おみまいに来た、いとこの、てっちゃんは、手術。。って言葉に、帰り際、『死なないでねぇえええええええええ!!!!。』って、廊下中に、とどろき渡る声で、叫んで帰り、全身麻酔で、白目向いたまま、手術をされ、(目くらい、ちゃんとやさしく、閉じさせてよ~。) 手術室の外で、待ってた、担任の先生は、その半分開きっぱなしの、目を見て、貧血起きそうになって、帰り、あげくの果てに、冬で、インフルエンザが、はやっていて、入院中の人に風邪を移してはいけない。。と、クラス中の友達が、『おみまい禁止令』で、だれも、来ず、私は、人生で、一番!?(って、おおげさ~) 小さな心に、『孤独!』 を感じた日々。。。を送ったのでした。
母は、毎日来てくれたけど、母が帰ると、病院の部屋の白い壁を、じ~~と、見て、時間がたつのを待っているのが、悲しかった。 (そのころ、病院の部屋に、テレビなんてもんはなく。。)廊下の向こうのトイレに歩いて行こうとすると、全身ボイラーの火で焼けどして、入院していた、頭、顔、腕、全部、包帯で、ぐるぐる巻きの、パジャマの、まじ、ミーラみたいな おじさんと、一度ならず、すれ違って、全身、身の毛がよだつほど、怖かった。
手術後何日か目に、抜糸。 『女の子だし、傷がひどく残ったら、かわいそうなので、細かく縫わず、大きめに止めました。』と、医者。 でも、時期早々?で、抜糸するそばから、傷がひらいで、そばで、見てた、看護婦さんは、『あれあれ?? お~~。』って、へんな音を発してた。
昔の、へんな手術で、針金みたいので、固定されてて、3本の針金の先っぽが、ひじのちょっと下から、皮膚のそとに飛び出してた。そのまま固定。 あとあと、その針金を、外から、引っ張って、抜くために、また、病院に行った。。。 (昭和40年代の、町医者の、技術。。だったんでしょうねぇ。)
ギブスを取った後も、ずっと、リハビリで、マッサージに通い、『手術をしないで、治す方法もありますが、それでは、完全に治らないので、手術をしましょう。。』という話だったから、完全に直るのかと思ってたら、結局、1年くらい、リハビリしたけど、完全には直らなかった。 (今でも、私の左腕は、右腕と同じようには、伸びないし、曲がりません。)
またまた、しつこくレポートしましたが、結局、そんなこんなを心配した、両親の、『水泳部入部』の、助言だったのです。 大して、泳ぎが上手くなかった私が、水泳部に入部したのは、こういう事情でした。。(でも、いい仲間、後輩に恵まれて、一つ下のスイミングたたき上げの後輩にバタフライやら教わって、楽しい3年間でしたが。。。)
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今は、水泳部に入ったこと、そこから、今へと、人生が、展開してきたこと、嬉しく思っています。
父親は、『水泳部に入ったら、何でも、好きなもんを買ってやる。』 といって、私に、アメリカの星条旗の模様の、一般サイズより、一回り大きなバスタオルを一枚買ってくれました。 水泳部に入ったご褒美で、父が、直接、買ってくれたのは、このタオルが、最初で最後でした。 (なんと、このタオルは、燈が、お気に入りで、小さい頃、ずっ~と使い、ほっろぼろになっても、捨てられず、今でも、わが家の、タオルが収納されている棚の隅っこで、36年たった今も、眠っています。)
もちろん、さらにさかのぼったら、私の両親が出会わなければ、私は存在せず。。って、壮大な、命と、エネルギーが全部つながっている話になっていきますが、、
でも、私の人生が、大きく、シフトして、動き出したのは、あの、骨折の日だったのです。
1973年、2月1日の事でした。。。
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