朝から、Newsは、この話題で、一杯。
キャスターたちがみんなつけている、赤いポピーが、
『あなたを忘れない』の、象徴のしるし。
第一次世界大戦から、第二次大戦。朝鮮戦争と、そして、現在も続く、
アフガニスタン。。カナダにも、軍隊があり、軍人が、前線に
出向いた。。。(アフガニスタンは、現在進行形。今日はじめて
気がついたけど、カナダは、ベトナムには、派兵してないみたい。。)
首都オタワで、一番大きな国家レベルの要人が集まる
セレモニーが始まるにあり、現場からの中継が、刻一刻と入る。
セレモニーの客席には、『Veteran』 (<<英語で、ベテランというのは、
退役軍人のことを指します。。)の人たちが、胸に、沢山の、
勲章を並べつけて、座っている姿が、『敗戦大国お日本育ち』の私には、
違和感が一杯。このお二人は、第二次世界大戦参戦者。
4つの大きな戦争に参戦したカナダ兵の総数。死者数。負傷者数。。を、
当時の映像をバックに、伝え、
『彼らの、参戦と、貢献が、カナダの国と平和を守った。
彼らが、戦争の名の下に、犠牲となった、その命を
忘れない。。』と、延々と。。
そして、この方が、今年の2月に109歳で、他界された、
カナダ人軍人としては、最後の、第一次世界大戦よりの
帰還軍人だった人。。と、彼の人生が、語られる。。
19歳で、第二次世界大戦空軍で、活躍したというこの方は、
スタジオにお見えだった。。
こちらの女性は、第二次世界大戦の時、前線のキャンプに、
Air Force (空軍)として、行ってたとか。
彼女が、『キャンプでは、夜は、カードゲームをしたり、時間の
あるときは、ボールゲームで、体を使ったり、心身ともに、
バランスの取れた暮らしだった。。』と、笑顔で、思い出を話す姿には、
かなり、愕然!!?。。。こんな余裕ぶっこいてた軍に、
日本軍は、血眼に、なって、向っていってた。。って!!??
なんだぁ、けんかの、土俵も、違ったのかよ~~。。って。
詳しい話は、子供達は学校でならいますが、戦没者の眠る
大地に、ポピーだけが、咲き続けた。。ってのが、
このポピーが、彼らを忘れない。。の象徴になった理由。。
オタワの会場には、政府要人が、次々と、到着。
こちら(右側)の、老夫婦は、アフガニスタンで、息子をなくされた
その想いを、セレモニーで、お話されるために、招待された方。
カナダ軍は、来年の夏には、アフガニスタンから、武器を持った軍としては撤退。
その後は、平和維持活動で、さらに、数年駐留するかもしれず。。。
数々の人とのインタビューシーンの中で、アナウンサーが、『彼らの命の犠牲の本当の意味は、何だろう。今の新しい世の中の動きの中では、戦争で、命を落とすことに、意味があるんだろうか。。。』という質問を、真っ向から、しちゃったり。。。。
(この国は、言論、報道の自由の度合いは、すんばらしく、日本より卓越していると、つねづね思う私。。。)
とにも、かくにも、今日は、カナダ各地で、数え切れないほどの、戦没者追悼
式典が、行われたんです。。。。
カナダの報道番組の上では、完璧に、彼らベテランは、『カナダの大地と平和を守った、Hero』です。何度も、何度も、Newsで、この『ヒーロー』という音が聞こえるたびに、なぜ、勝戦国の軍人は、ヒーローで、敗戦国だと、罪人なんだろう。。。
今日の、この日のカナダの光景に、私は、第一次、第二次世界大戦で、命を落とした、とてつも無く沢山の、日本軍人の、魂の、成仏をも、祈らずにはいられませんでした。。。
人の命の、種類と重さに、一切の差を感じない、私には、まさに、複雑極まりない朝の始まりでした。。。
そして、バンフ大通りでも。。
10時30分過ぎたくらいから、
Rememberance Day パレード。。。
沢山の、一般市民も、一緒にパレードしていました。。
早く、武器を使わずとも、言葉と文化と、損得の壁を越え、地球人として、全ての、肌、髪、目の色の人々が、大地に、キチンと根付き、支えあい、分かち合い、貪欲を捨て、軍需産業が、100%必要とすらされなくなる、人類の、コミュニケーション能力と、チームワーク構築を可能にできる叡智に、人類全てがたどり着ける時代。。。のきっかけ(だけでも)を、今生きている私達は、作り出す事が、出来ないんでしょうか。。
私の信念。 人は、何人であろうが、何者であろうが、人を殺す権利は、だれにもない。 絶対にない。 たとえ、それが、国家の容認する、公式なけんか (つまりは戦争)であろうとも。
(ごくせん <ヤンクミ>。。じゃないけど、『男が何かを守るために、戦わねばならないなら。。。』 戦争も、全部、素手でのタイマン。にすれば良いのにね。。。)
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