2011年4月25日月曜日

100年前。 150年後。

私は、100年前、どこに居たんだろう。

そして、150年後には、どこに居るんだろう。 150年後には、どう、長生きさんを見積もっても、今、この地球上に息づいている人は、全員、間違いなくいない。

娘を産んだときも、彼女の魂はどこから、来たんだろう。。。って、不思議きわまりなかったので、物心ついた頃から、あかりには、何回も、『ママのおなかの中に来る前に、どこに居たの?』と、聞いた事があります。と、言うより、聞きまくっています。

最近は、というより、ここ何年も、彼女の返事は、『分からない。』

なんですが、

数年前までは、『覚えていない。』

もっと前に、(まだ小学生低学年の頃か、さらにも~~っと前。。) 一回だけ、『神様の所で、遊んでいた。』 って言っていました。

生まれたての時の脳裏には、本当は言語がないだけで、こういう光のような、記憶があるのかも知れませんね。

今日、色んな命の旅立ちの話を光としていて、

『生まれた瞬間を覚えていないのと同じで、そして、生まれる前を知らないのと同じで、死ぬ瞬間も、死んだ後の記憶も、思いも、『今』を、理解できている自分の記憶とは、つながっていない、無限の世界なんだろうなぁ。。。』

と、思ったのです。

こんな事、考えているのって、何でだろう。
生きていること、命の重さ、そして、貴重さ、はかなさが、際立つ時代になった(か、私が、そんな時代に入った。。)のかもしれません。

何時かは、全てにさよならを言うときが来る。 

だから、自分も、自分の隣に居る人も、手で触れることの出来る、生活の中に存在する全ての、物、事、人、場。。に、感謝。 生きている今を、味わおう。 大事にしよう。

また、今日も、無事、平穏に、そして、平凡に、恵まれた一日が終わろうとしています。

みなさま、おやすみなさ~~い。 (って、まだ、午後9時。。)

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