ホントは、全ての人の手が、魔法の手です。
転んで、ひざこぞうぶつけた子供の足に、テーブルの角にあまたぶつけた子供の頭に、ママや、パパが、手をそっと当てると、本当に、『痛いの、痛いの』飛んで行きます。 (歴史的には、ママのパワーが圧倒的に支持を集めていますが。。。)
これが、人類最初の医療、『お手当て』です。
地球上に息づく生命体の中でも、人間だけが、持つ、暖かく、しなやかで、細かい作業が出来る手。
人の手が、どれだけの物や、技術を形にしてきたでしょう。(もちろん、物も、技術もはじめは、形の無い、想念エネルギーの中に、あり、それが誰かの脳みその中で、イメージになるところから始まるのですが。。人が手を持っていなければ、具現はしない。。) 手の仕事の成果が見えることには、人は、評価を下しやすいし、理解しやすい。
でも、手が持つ本当の魔法は、目に見えない、エネルギーにあります。
手が作り出す、生み出すものには、作り手の情が、移ります。 (もちろん、情というエネルギーにも意志とメッセージがあるでしょう?) さらに言えば、掃除をしても、食器を洗っても、料理をしても、触れる全てのものに、手からのエネルギーが伝わり、残ります。
脳からの指令で、動いているわけではない心臓。 私は心臓だけは、神様の手の中に握られている臓器だと、勝手に解釈していますが、神の手から、心臓に、流れ入る、生命エネルギーは、腕から、手の平に流れ出ているんです。 (もちろん、心臓の鼓動により、めぐる血液に乗って、全身に運ばれてもいきますが。。) 私の師匠が何時も言います。生命エネルギー自体が、愛のエネルギーだと。だとすると、手のひらから、あふれるエネルギーは愛です。
目に見えないエネルギーは、全て、コミュニケーションします。 (全てのエネルギーには、人間の理解を超えた、意志が宿っています。)
霊気や、スピリチュアルのエネルギーに興味や、理解の無い人でも、多分、大好きな人と初めて、手をつないだ時、言葉には出来ない、エネルギーのコミュニケーションの声(振動)、聞いた事があるはずです。
極論を一つ。 手は、愛の器官、臓器です。
だから、その二つの手のひらと、二本の腕で、抱えられる、責任が、とれる最大量の、命をはぐくみ、守り、育てるために使わなくてはいけません。
だから、物や、命を破壊したり、損ねるために、使ってはいけません。
己の手に宿る、(というか、沸き出でる) 魔法の力、大切にしてください。 そして、その二つの手のひらが、触れる全ての物と、暖かい、通い合う、コミュニケーションをしましょう。。
魔法で、ちっちゃく!?
いえいえ、これは、この冬わが家で流行中の、
ミニ マンダリンオレンジですぅ~。
2 件のコメント:
言葉はお料理や音楽と同じで、好きか嫌いか何らかの感情を与えますよね。かなり繊細な所があるばかりに何でもないところで傷ついたり苦しんだり事が多く、それを乗り越えるのに時間がかかったりする私です。
苦しんで亡くなった人、気が着くと逝ってしまった人、死と面と向かって日々を送っている人、私の周りに何人もの思い出と現実とが交互しています。
正直今の私にとっては受け入れがたいラインがあり、かなり心が痛くなりましたが、色々な意見があってのこの世の中なんですものね。読み過ごしてしますことがなく、自分の感情が激流したのは自分が向き合おうとしているからと確信しています。
読む側の重さもあったのだな。と気づかされるリストでしたよ!
アルプスの少女さま。重さのある、コメントです。ハイジさんの中の、ラインと、感情の激流のこと、もう少し、詳しく教えてください。良かったら、ゲストブックから、こつぶへ、メールくださいませ~。 人の感性と、感情のひだ、きちんと向き合って、深く知りたいです。よろしく~。
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