2010年3月10日水曜日

小粒の人生論? その1。 

小学生の時から、(というよりも、物心ついた頃から?)空想好きで、色々と、脳裏に浮かぶ言葉や、どこからともなく、伝わってくる、(響いてくる)メッセージの声に、はっとすることの多かった私。

中学生になる頃には、『人生は、なりたい自分になる旅だ。』な~んて、心のどこか奥底で、思っていた。 (今思う、『人生とは。』は、ちょっと違う感覚。解釈。になっています。。が、それを語らせたら長いので、本日は省略。。。。。。) 

この旅の途中には、『失敗』『事故』『事件』『病気』『怪我』やら、『誘惑』『戸惑い』『迷い』『衝突』『意味のない競争』。。色々な障害物や、目に見えない力が待ち受ける。

同時に、『感動』『喜び』『感謝』『尊敬』『学び』『成長』『回復』『克服』などなど、目に見えない、素敵な、アセンション(上昇)も経験する。

高校生の頃には、『死ぬときも、前のめり。。』と思っていた。決して止まることのない時。振動をとめない、生命エネルギー、(止まったら、それは この世での死を意味する。) どうせ振動するなら (=生きるなら)、前向きで。そのために、目は前についている。と思っていた。 (人は前を向いて生きるように、作られている。) 

生まれついて持っているもの(力)と、この現世の体験で、出会う人、出来事、取り巻く環境からの、影響と、学び。そんな全てのエネルギー映像が、自分の脳と、体を通じて、具現している (プロジェクションされている。)のが、己の姿。

そんなありのままの自分を、自分として、捕らえ、意識する。自分を自分と認識する。『意識』と言う種(名)のエネルギーそのものが、自分を自分あらしめています。 (その世界には、個性と、多様性があるだけで、良し悪しも、勝ち負けもない。)

(己の、意識や、目に見えない力・エネルギーを、”それなり”に、言葉にできる人は、自分という存在の自覚が、クリアかもしれません。。そして 同時に全ては言葉にできないと知っていることが力です。 瞑想経験のある人には、『体の細胞の隅々までの、意識の仕方』、そして、『無に在る』。感覚、双方が、わかるのと同義。。かな。。)

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最近目にした文章。こんなことが書かれていました。 (文章どおりではありません。私の意訳)

最近の人は、『ストレス』が多い、多いと言うけれど、歴史上を、さかのぼり振り返ったら、長いこと、食物の収穫や確保に、命の危険に、つい最近までも、世界大戦の恐怖と貧困に、今よりも、もっと目に見える、強烈なストレスの中に長時間 日本人はあったんです。。

ここ30~40年くらいは、昔と比べたら、沢山の人が、生暖かい暮らしをしている現代。そして、どんどん医療が、向上している。。と、認識されている今。 そんな今なのに、どうしてこんなにも、『ストレス』を感じ、病気の種類やら、発症の頻度が、激しくなっているんでしょう? 

体は、常に、外部からやってくる過剰なる刺激や、病原菌に、打ち勝とうと、一生懸命に働いている。 ”体”に宿る知恵は、何時も正しい。 間違っているのは、『脳』の解釈の方で、調子が悪い自分を、見ない、認めない、休まないといった酷使や、逆に、動かない、ぐうたらする、鍛えないなど、間違った、偏った使い方の中で、歯車が狂い、正常に戦おうとしていた体が、ついには、機能しきれなくなり、反乱を起こし始めて、発症する。。。。。

全ての、病気に 『ストレス』が、関与していることは、東洋、西洋医学を通じての認識。 じゃあ、今の人の感じる 『多い』と、思う 『ストレス源』は、何か???というと、『情報』だ。。

という内容でした。。(なるほど~。一理はあるな。)

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『情報』に翻弄され、さらされなくてもいい刺激にさらされ、とりこまなくても良いものまでを、とり入れすぎている。 情報の海と、その洪水の中にあえいでる人、特に子供。 回りにも、多くないですか?

大切なのは、情報は、必要だったら、必要な分だけ、アクセスして、引っ張り出せ、利用可能な、トランプの札。。くらいに思うこと。(と、私は思う。) 自分に、何の情報がいつ、どうゆう風に必要かが、意識できる『自分』があれば、情報の病に冒され、振り回されることはない。 

何を、どう、いつ、どういう風に利用するか。。。。という『描き』、『判断力』、『観察力』、『決断力』。 こういう『力』を『情報』と一緒に示してあげないと、子供は、たぶん迷いだすんだと思うんです。。。 (トランプの札の意味と、数の暗記の前に、それぞれの札は、どういう時、どう利用すると、どう作用するものか。。を知る。。これが必要なんですよ。きっと。) 

だから、情報(ストレス)の詰め込み教育の前に、『人間力』、『人生論』が必要なんだろうと思うんです。

人間は、温かく、素晴らしい。 
学ぶことは楽しい。 
私は、両親や、家族に、見守られ、愛されている。。人への安心感。
世界は、不思議にあふれ、美しい。 
失敗や、間違いは誰にでもあり、完璧な人間は一人としていない。
間違えてしまうことを恐れることはない。 
はじめから、できる人はいない。 
できないことが、できるようになる、知らない事が、わかるようになる楽しみを味わう。
悪い事をしたら、ごめんなさい。そして、ありがとうの気持ちを素直に持って生きる。 自分がされていやな気持ちになることを、人様にはしない。

などなど、、、『希望』やら、『描き』やら、『身の持ち方』を早い時期(できれば、就学前)に、子供に身を持って大人が、言葉じゃなくて、感性に示し、印象付けてあげる。人は、温かくで、人生は素晴らしい。。と、心と体と、脳の奥底で、気づかせてあげる。 このことが実は、とっても、大切で、人として、長い人生(といっても、せいぜい100年弱の)を生きる力の支えになったりするだろうと思うんです。 (でも。。『人は温かく、人生は素晴らしい。。って、思えない大人』がすでに かなり増えちゃっているように見える光景。。は、けっこう、やばいかも。。)

『情報-Information』は、海のようにあり、そこから、必要に応じ、自由に、引き出し利用可能になった、個人の財産が、『知識-Knowledge』。 そして、その 『知識』を、どう、人生や、世界に利用するかの、判断、決定能力の源が、『叡智-Wisdom』だと思うんです。 『叡智の力』は、『人間力』、『人生論』と、深く関わっています。

いくら、学校の勉強で、高得点を取り続けようが、有名大学を出ようが、一流会社に勤めようが、お偉い役職につこうが、医者や、弁護士の仕事で、高給取りになろうが、情報と偏った知識だけで、『人間力』と、『人生論』のない、『脳』だけを作り出していると、ただただ 誤作動を続ける大人。。の大量排出。。になっちゃうんじゃないかな。。と思うんです。 (最近、ちょっと心配な、光景、ニュースが、増えている気がしませんか?) 

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学校で、習う英語では、しゃべれるようにならないのは、同じく、『情報やら、文法やらのルール』の詰め込みだけだからです。 必要に応じ、覚えている単語や、文章や、言い回しを、自由に引き出し、並べ替え、置き換え可能なレベルまで持っていかないと、そして、相手の表現を、聞き取り理解でき、双方向キャッチボールができないと、会話にはならないのです。 

昔、日本からの学生のお手伝いをしているときに、色んな場面で、良く聞かれました。 『英語で、なんて、言ったら、良いんですか?』って。私は必ず、質問しました。 『自分が、今、この場面で、なんて言いたいか、日本語で言ってごらん?』 ほとんどの子が、自分の言いたい事を、日本語にできませんでした。 たぶん、『外国人に会ったら。。』 『My name is XX. Please to meet you!』と言いましょう。。『この場面では、この文型で、この文章を言いましょう。』式の、教育しか 知らないからかもしれません。 キツイですが、『言いたい事が、日本語でも言え無い人は、英語はしゃべれないよ。』って、伝えました。その子の気持ちが動いたら、その子の”自分の言葉”が、出てくることもありました。 
『自分の言いたい事を、考えた事が無かった』と言った子に、何人も会いました。 『自分が思うことを自由に何でも言ってごらん。』という質問を、生まれて初めてされた。。って子にも会った事があります。 (そういう彼女、彼らの普段の暮らしを想像したら、ちょっと心が痛くなりました。。誰かの指示をまち、スケジュールだけをこなし、用意された答えを導くだけ。。で、創造性のない、お人形人生なんじゃないかって。。。)

英語圏に住んだら、英語はしゃべれるようになる。というのも、間違いです。日本を一歩も出たことのない、同時通訳者もいらっしゃいます。 英語圏に住んでも、人と、会話したい!という”思い”と、話したい”自分”と、話したい”話題”が、無い、あるいは少ない人は、いつまでも、英語でのコミュニケーション能力は、上がらないし、広がりをみせ始めないようです。。(自分を過小評価して、これで精一杯と、決めてしまっていることが原因。。ってこともあるようですが。。。決めちゃうと、もうそれ以上、先やら、上には進まないんだよね。。)

日本人の操る英語には、発音の良し悪しも、もちろんありますが、(悪いと通じないので。) 絶対的に一番 大切なのは、『何を』話しているか。何を伝え、受け取りあうか。です。 自分の言いたい事、伝えたい事に、ちゃんと向き合う。ここから、会話は始まります。

ぺらぺら、あんまり意味の無いことを、話している人(どこの国の人であろうと)に、英語がうまい(うまそうに聞こえる)から。。ってだけで、憧れない方が賢明です。 

小粒の人生論? その1 - 話題が、あちこちに飛びすぎです。反省しましょう。 (はい。)

そして、またまた、長い文章にお付き合いしてくださった方へ、ありがとうございました。。

2 件のコメント:

ジョ~ さんのコメント...

「情報」がストレス源ですか…確かに一理ありますね~。
もう一つ踏み込んで言えば(あとのほうにも書かれていますが)、その大量の情報を処理できないことがストレスになっているような気がしますけどね。

私がちゃんとできているかといわれると、これまた疑問ですが、食べたもの(=受けた情報)をちゃんと消化して、吸収して、必要のないものを排出できなければ、病気になりますよね?
結局人間の体は、物質だろうと非物質だろうと同じように扱うようにできてるってことなんですかね…。

もうひとつ。私がかたくなに信じて疑わない言葉、「病は気から」。
私はもう一つ踏み込んで、人間の体は、良し悪しにかかわらず、思考(=脳)がすべてを支配していると信じています。
つまり脳が消化不良を起こせば、体のどこかに異常が現れるわけですよね。

小粒 さんのコメント...

ほんとに。。病は気から。。。。

中学の時の校長先生が、朝礼で、『これから、冬休み。寒いので、風邪など引かないように。やまいもきから。。と言いますから。』って、言ったのが、ど~~うしても、『山芋、木から』に、聞こえて、一人で、笑いをこらえるのが、辛かった。。。どうしても、このフレーズを聞くと思い出してしまう、思い出です。。。