2016年10月22日土曜日

命。を思う。

2016年10月21日。金曜日。

この日は、午後、職場の新旧の同僚数名で、もと上司だったレスリーの家に、お邪魔しました。

彼女は、2013年に、職場からリストラの一環で、職を奪取された後、ALS (筋萎縮性側索硬化症)と診断されて、難病と共に生活している。

難病。発生の原因と、治療の解明がされていない、理解不可能な難しい病だ。

何等かの、生体反応に、何かが、引き金になって、異常をきたし、神経ニューロンが侵されて、身体各部の筋肉を動かす機能が、ゆっくりとなえて消えてしまう病気だ。

病状の進行は、少しづつ、ろれつが回らなくなり、嚥下が難しくなり、歩行ができなくなり、全身の筋肉が動かなくなる。

この病気は、この世に存在する病の中で、一番、つらい病気のはずだ。 

なぜならば、脳内レベルでの、意識、そして、理解は、衰えていず、普通に考えられているのに、動かない己の身体世界の中に、混沌と(もしかしたら鮮明に)息づいているからだ。

彼女は、それでも、今までも、くよくよの一切を見せず、前向いて、病と闘う。と頑張って来てたし、まだまだ、頑張っている。

今は、人工呼吸器まではつけていないが、細菌感染を予防するため、綺麗な空気だけを吸えるように、マスクをして、大きな一人用のソファーチェアに、座っていた。

言葉はすでに失ってしまっており、四肢は痩せ落ちていて、立つことも出来なくなっていて、硬くなった左手で、携帯を握り、まだ動かせる右手親指で、テキストが打てて、外部の人とのコミュニケーションの小さな窓口を、携帯が担ってる。

この午後は、みんなが、わいわいおしゃべりする昔懐かしい思い出話に、一つ一つうなずき、首を振り、目が深い所で、笑っていた。

嚥下が困難になったので、胃ろうをしている状態なんだけど、そして、たんが絡んだら、吸引も、出来るように、自宅には、各種の医療器具が装備されていたけれど、長年の友人の、トレーシーも、カルガリーから、何度となく、足を運んでてくれている様子だし、フロリダから、ご両親が、看病のため、同居されてて、温かい自宅環境の中で、静かな晩年を過ごしていた。

疲れやすいから、訪問は、30分程度になるかもって、心してて。と言われていたんだけど、楽しい時間は、あっという間に、1時間45分に及んだ。

帰り際、彼女のお母さんのリンダさんが、「病状の進行で、動けない日々だから、毎日の過ごしが退屈になってて、お医者さんが来てくれる日や、動きのある日も少しはあるけど、ほとんど、家で、陽がなTVを見て過ごしている時間が増えて来てるから、また、みんなで、こんな風に、訪ねてね。」って、ものすごく 平常心で、温かく私たちに言葉をかけてくれたのが、心に響いた。

私たち人類の致死率は、100%だ。

どうやって、日々を過ごせるのか、今日も、私は生きてる。って実感できるこの時間は、永遠ではないことを知りつつ、でも、大人生活も、死に方も、病との暮らし方も、マニュアルのない世界で、みんなそれぞれに、老い、衰え、人生の終局に向かっていく。

私は、自分は、胃に穴をあけられ、栄養につながれてまで、生きていたいとは思わない。って、昨日までは、結構 強く思ってた。

本人の希望でも、ないのに、家族や医療の都合で、機械につながって生きるなんて、選択肢に入れる???ってあり??とすら思ってた。

でも、昨日、レスリーにあったら、彼女の内、脳内か、魂に宿る生命エネルギーが、あんまり強くて、前向いてキチンと立っている、や、力強く輝いてる(って感じた)エネルギーで満ちてて、感銘さえ受けた。

もちろん、彼女の場合は、その医療行為に対して、本人が意思決定できてるし、彼女のチョイスで、胃ろうという形をとっているし、受け入れてるから、つながれて生かされているという、ケースじゃないんだけど、肉体は病み、フィジカルなエネルギーの炎が本当に、小さくしか燃えていないのに、こんなに、メンタルにも、スピリチュアルにも、輝いている彼女という存在と、うまく、言葉にはできないんだけど、共鳴した。

限られている人生の時間、精一杯、生きよう。

できること、おごらずに、出来るだけ、ちゃんと向き合って、取り組んで、経験して生きよう。

私が、また、襟を正された、命を思う、午後。でした。

そして、この夜は、久々に、まいちゃんのご飯会にも、参加できました。

共に時を過ごすことができるという縁が、ひとつ一つ、人と人との思い出っていう人生を、静かに、積み上げてくれます。

感謝。



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