2017年11月14日火曜日

今回の一時帰国 メインイベント その1。

2017年11月12日。 日曜日。

今回の一時帰国のメインイベント、父の7回忌法要。

浄土真宗の長延寺さんで、法要のお説法。

2011年の、49日の時にも、浄土真宗の考えかたや由来をお話ししていただいたけれど、今回は阿弥陀仏のお話しをいくつもしていただいた。

父は、浄土真宗は善人、悪人を問わず、すべての御霊が阿弥陀仏によって救われるという教えが気に入って (たぶん、社会人として私人として、ぎり悪だったんだという自覚があったのかもしれませんね。笑。)この宗派をチョイスしてたらしいけど、今回の教えで新しかったのは、「他力本願」のお話し。


もともと、親鸞聖人が唱えていた 「他力本願」という言葉の本来の意味は、現在の日本人が使っている意味とは異なっていた。

誰か他人様に任せて、いざという時に他人のせいにする。。っていう意味ではなく、魂は阿弥陀仏が極楽浄土に運んでくれるので、阿弥陀様にお願い、信頼して任せておけばよい。という意味合いのものだった。。という話。

他力というのは、阿弥陀仏の力を指していた。という事。 なあるほど。

そうだよね。人間魂が、この肉体から旅だって離脱したら、道しるべ失う可能性があるわけで、その時におすがりする、たよりにできるのが阿弥陀仏。なんだわ。

そして阿弥陀様は、立位の仏像。そう言われてみれば、座位の仏像を祭っている寺院もあるな。。。そして、阿弥陀様は横からみると、必ずすこし、前傾姿勢で立っておられる。

これは、いつでも、その一歩を踏み出せるという姿勢で、いつでもあなたの方に、みずから寄って来てくれる、あなたが出向かなくても良い。という阿弥陀様の慈悲の姿勢の現れのひとつ。と。

そして、仏像の背景に、光輪を配してる。

阿弥陀様って、キリストさまと、同質な光を放っている。

さらに遠くの命の泉と大きな叡智のみなもとから、神のメッセンジャーとしてこの世に降り立たれた人物としては、もしかしたら、おなじ魂を共有していた、文化的に庶民のインタープリテーションが、その魂をイエスキリストと呼んだか、阿弥陀さまと呼んだか。の違いだけなのかもしれませんね。


予定の時間までに、日当たりの良い、山の斜面のお墓に参ってから、寺院の前に行ったら、前の人の法要がまだ終わっていなくて、お庭の灯篭を撮ってみました。


太陽光と、穏やかな空気で、とても良いお日和に恵まれた。


日本には、四季があり、秋の空気感で、世間様は満たされています。

パパさんの魂は、天のずっとずっと高い所で、安らかにお休み中。(って、なんだか感じる。)


旅館の一室のような、素敵な和室で、


お茶とお茶請けをいただきながら、順番をまって、床暖房の効いたお堂で、まるで教会?って思わせてくれる椅子のお座席で、御経とお話しをいただきました。

(このお寺、ビジネス的には、超成功してる!)

住職様が、不在で、その代替えでこの日の法要をリードしてくれた、若い僧侶さんは、ちょっとお話しの仕方にぎこちなさおよび、余計な文言がいっぱいあって、昔プロフェッショナルインタープリテーションを指導してたことのある私は、そのお喋り、もっと良くできるんだけどな。。。。って、「惜しい!」っていうジャッジを住職に心の中でくだし、

「あ、人間を良し悪し簡単にジャッジ、レッテル付けしている私は、まだまだ未熟もんじゃ。」と、青空を見上げて、反省。(天は見下ろしてるもんな、下界。)

今回の一時帰国の最初の重要イベント、滞りなく終了いたしました。



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