2012年8月11日土曜日

5000人の、白熱教室。。に思ったこと。

マイケル サンデルの、5000人の白熱教室見ました。

彼の議題の提示の仕方、二つの視点のすり合わせ方、トピックから、ディベートへ、そして、新しい視点、論点を見出していくという、議論の展開。 見る価値、高いと思います。

(北米式なので、ここでは、すでに、あちらこちら <ハーバード大学に限らず>で、リーダーシップデベロップメントとかの、講義や、セミナー、フォーラムの中でも、かなり一般的に、使われる方法だけど。。日本では、まだ、画期的。。なのかもしれませんね。 )

特に、時代にあっているトピックの投げかけ。 『全てをお金で買えるのか』 『これからの日本の話をしよう 』

『XX するべきだと思うか、XX するべきではないと思うか』 という、一見かなり極端な、白黒を要求するような、切り口からでも、そう、かなり極端な、質問からでも、論点そのものに、きちんと光を当てて、そこからは、ぶれず、討論する。 そこからの彼の誘導、展開は後々に、

『切り口はどうあれ、それは、人の深い部分にある、道徳や、信念、生き方という壮大な哲学的問題へと、議論は導かれる』  (まさに、Political Philosopher! ここにあり!って感じですね。) 

『色んな意見があり、有意義な議論だった。』



そうそう、いつも、私が思い、さまよっている、思想や信念、発想、思考の多様性、そして、複雑さ、深さ、神秘。。の世界へ促され、考えさせられる。。。っていうところへ、そんな世界へ、招待されて、終わる。 

結局、私たち人類は、まだ、未熟なんだ。 (で、多分、私も、Philosopherの、端くれ。)

だからこそ、それぞれのレベルでの、『開眼』と、『気づき』、『学び』と、『叡智の構築』が、大切なんだ。

**************

そして、加えて、素晴らしいと思っちゃうのは、自分の考えを、深く持って、論理的に組み立てて、発言するのが、苦手で、どうも、その辺の、メディア情報から、こんな風に自分には見える、映る。。。っていう、程度の、一般論の一つを発しているように、見受けられる、会場の日本人の、多くの(全部とは言いませんよ。)発言の、それぞれを、キチンと、汲み上げ、つなげて、動かしていくその彼自身の、視点だ。

そして、その一つ一つを全て認め、良いだの悪いだの、一切の評価をせず、真摯な興味と、愛情をもって、討論という世界を、深めていく。その世界そのものに、魅力というか、神秘的で、魅惑的なエネルギーが満ちてくること。。。 

北米人は、(英語の世界の特性なのかもしれないけど、)古くから、いや、小さい頃から、自分が何をどう思うか、感じるか。。を、人前で発表させられることに慣れている。

その場、その国という、限りの中だけの『一般常識』という偏ったものさしだけで、人の意見を短絡的に、良いとか、悪いとか、決め付けずに、じっくり『聞く』という、場も、間違っても、(人と意見が違っても)、それを、多様性と受け止められる土壌も、英語の世界の中の方が、豊かだと、私は、常々思っている。  (人種、戦争、宗教を持ち込んだら、ぶち壊れますけど。。) 

**************

民主主義社会の話をしているのに、地元に反対の人が一人でも、いたらだめだと思う。。という、多数決のルールをひっくり変えすような、意見を発表してた青年が居た。

もしかしたら、政治も、その他の巷の世の中でも、足の引っ張り合いで、他の意見を認めず、多数決のルールにのっとり、物事を進めることができるレベルに足る、人々のマインドセットが、まだまだ貧しいため、全てをシロか、クロに、塗りつぶすことに、戦いを挑んでいるから、日本では、物事が進まないのかもしれませんね。 (確かに、少数意見が、実は真実だったり、正しかったり。。ってのも、ありですけど。。) 

**************

ただ、核は、だめです。何が何でも、人類の一つの一生のサイクルという時間の中でも、循環、自然順化しないごみを、構築してしまう核は、絶対これ以上 作り出しても、使っても、売っても、買っても、導かれる先は、何か大きな存在 (これが何かは分かりません) の、滅亡です。 

核は、現存する人類の総叡智を結集しても、自在にコントロールすることが不能な存在です。

核を全人類で放棄して、(もし、そうできた!としても、今までに作っちゃった分のごみ <使用、未使用両方>は、永久に管理しつつ) 核なしで、生きていかれる、まったく新しい、世界を、生き方のコンセプトを、全てのレベルで、(経済、生活水準、便利さ、エネルギー需要のあり方から、供給のあり方まで、巨大なる視点で、一刻も早く、作り直す、仕組みなおす。。これが 『人類の存続』 そのものの鍵になるかも知れません。

(たしかに、これは、一気には、到底 できることではありませんが、大きなギアチェンジ・シフトの時。に入ってますよね。。今こそ、方向性だけでも、定めないと。) 

地震も津波も、Wake up Call に過ぎません。

あの今でも、正体不明の大惨事が教えてくれた(いや、まだ、私たちも、垣間見ているだけ。。かもしれませんが。)のは、核そのものの性質と、そのごみと管理の大問題。 

地震も津波も永久に無くても、核は、地球という、全ての生命の母体にとって、完治不能な、切除も不能な、治療の方法がない、大きな、大きな、悪性腫瘍じゃないですか???? 

政治の切り口、まだ、目覚めきってない私たちほとんどの、人類の小さな知恵の判断する所の好き、嫌い、便利、不便のものさしで語りきってはいけないトピックなのです。 (だから、アインシュタインも、あの世で、泣き伏しています。。) 

住民の多数が賛成したら、原発稼動は、許容するかしないか。。という、その質問の切り口だけは、なぜか、ちょっと、もやついて、すっきりしませんでした。。(あ、でも、私が会場に居たら、答えは、上の、長くて大きな理由から、NO. ですが。) 

**************

でも、確かに言えること。

人は、今、議論したい。
討論したい。

何かに、目覚めたい。

何かに気付きたい。

**************

そんな時代に、入っていると思います。

0 件のコメント: