平成の次の元号発表前の最後の週末。 来る時代にはどんな名前がつくのでしょうね。
平成の始まりというより、昭和の終わりは、1989年、バンクーバーのJalpakっていう旅行会社で働いていてオフィスで知りました。
『昭和天皇ご崩御。』
午後2時半過ぎに空が赤く夕焼けみたいになった、不思議な午後の日。だったのを今でも覚えています。
あれから30年か~。
時間は、時間だけは絶対的に止まらないですね。この世の中に、いったいいくつ、『絶対的』っていう物事が存在するのかは、分からないけど、その数は極端に少ない事だけは言えると思う。
平成という時代の30年、私という小さな粒さんの、人生にもいろんな事がありました。
思えば平成元年にバンフに引っ越してきたんだわ。
移民のステータスを取ったのも、結婚し、親になり、仕事もいくつかの職種を体験し、経験値を積み、人格が変化したり(ゆがんだり、硬くなったりした時代もあったけど)強くなったり弱くなったり。
生きている、生きていくってのは、まさに、『なま』ものなので、色んな時間を味わいつつ日々、ここまでサバイバルしてるって感じ。
そして、人生十二分に後半に入った今更ながら、ようやく『生』、『素』、の自分がわかり始めた感じがする。
子供の頃とか、まだまだ未熟でいたいけな時代って、『人とは、大人とは、人間とは、こうあるべき。こうするべき。』みたいな、教育者、保護者、そして社会の常識や時にトラウマっていう自分ではない概念の『べき』に、洗脳され続けている時間なのかもしれないし、人生の目的とか夢とか、意味なんて、それぞれ勝手にいや自由に思い描けば良い事で、普遍的答えやその価値の良し悪し、勝ち負けなんて実はない。って事にも気が付いた。
ちっぽけな自分という小宇宙の限界の目には見えない壁や何かに、打たれたり、磨かれたり、分かり合えない、伝わらない、理解できない悩みやら、個と他の違いや色んな異質感を抱えたり、時にそれを溶かせたり超えられたり、たまに固執しちゃったりを繰り返して、最近ようやく、『世界総人口約77億分の1』の自分の自然体が、『これだったかな~』って、感じられるような時間を送れるようになってきた。
『感じるまま、普通でいいじゃ~ん。』
でも、最低限ラインだけはあって。
それは、自立して暮らす事、人さまを4次元に傷つけない、意味不明な迷惑をかけない、人の物を取らない。これが己の中で守れれば、それだけで普通に良い人かな~って。
あとは、自然体で、周囲の『物』、『事』、『人』、『気』に、自分なりにそして、控えめに思いやりをはせよう~っと。
気温は10度を切るような朝でしたが、青空がきれいな土曜日。
1人の時、たま~~~に、食べたくなるピザはこれ。
ジャンクな土曜日、満喫するぞ~。
本日の小粒さんの自然体の図。
窓際では、キリンたちも日向ぼっこ。
テレビの平成最後の生さだみて、さださんが最後に歌った、『主人公』って歌、じんわり来ました。
ってなわけで、本日も、自分の『素』を生きます~。
**余談。Wikipediaみたら、世界の人口、私が生まれた年には30億だったそうで。。。大丈夫か地球。いや地球は人類が滅亡しようが、大気圏が燃え尽きようが、存続しつづけ大丈夫だけど、大丈夫か人類の生業。。。。
<これは、ずっとこれからも気になるしそのリアルを、目にして生きていくことになるんだろうけど。。>
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