四十九日をまたずして、(浄土真宗は日にちのこだわりがないとか。)父の納骨が、来週23日に営まれる運びになっていて、今日は、母と、お位牌を二俣川の仏具屋さんに、取りに行きました。
カナダでは、絶対にお目にかかれるお店ではありません。
ぴかぴかの仏壇が、厳かに、でも、セールされちゃっている。
天国に旅立つとき、戒名ってのを頂くけど、
同時に、現世の名前は、『俗名』と記される。
なんだか、複雑。
二俣川周辺も、私の記憶の中の町並みとは、
大きく変貌して居ました。
面白~い。医者ビル。いろんな医院が、
こんな細長高いビルに、重なっている。
で、やっぱり、我が家のお約束?となりつつ、
一時帰国時 一度はくる、三ツ境の
うんまい、ラーメン屋へ立ち寄り。
なにがびっくりって、
このメニューの値段。。たぶん、四半世紀以上、
ほとんど値上がりしていない。。と思われるくらい。。
今日は、光の好物タン麺を、母が。
やっぱり、私は、この横浜名物
サンマーメン。。を、食べずには居られない。
(カナダに行ってから、これが、横浜人にしか知られていない
ご当地名物。。で、光も、だれも知らなくて、びっくりしたっけ。)
で、この店の、ギョーザ。。激うま!です。
子供のころから、変わってないおいしさ。。
はい、ご存知?!境華楼。
小さな、ファミリービジネスのお店だけど、
相変わらず繁盛していました。
本日も完食。
その後、三ツ境駅ビル、ローゼン、ライフで買い物。
駅前の花壇、こんなにきれい!。
ロッキーの山からやってきた私は、カラフルな冬に、
心あったかくしてもらっています。
あかりぃ~!。リクエストの雑誌第一弾、
ゲットしたよぉ。
17 件のコメント:
ママへ!
マジで やった!! :)
thnxs mummy!
I'm like super duper excited to read them!! hehehe
and yet u havent even been away 4 a week yet! shoot :(
cya l8r on skype!
行きて~!!! 境華楼!!
この店本当に美味いんです、近くにお住まいの方是非お試し下さい。
次回は(何時だろう?)固いヤキソバでも試してみるかな。
でもタンメン&餃子も捨てがたい、、、。
あかりへ。2月号は、1月7日発売らしいので、それは帰りの成田で買って持って帰りま~す。
光へ。同じ味のレベルをこんなに長いこと守っているって、偉大だなぁと思います。が、あ、あの、恐いお婆ちゃんが、まあるく優しい人になっててびっくり。めっちゃ、ニコニコしてたぁ。。子連れのお客さんにも!!!!。
明子へ、
実家の母が三ツ境ロ-ゼンリフォ-ムコ-ナ-で昨年春先まで働いてました(恐るべし、73才まで現役だった)。
多分、働いていた時、お昼に満足したのは境華楼だったんだと思います。
... 大変遅くなりましたが、別れは辛かったね。
ゆっくり実家で母上殿と過ごしてね。
... 望祭会、盛大で、皆、元気でしたよ。
祐
祐さんへ。望祭会のお土産話、まだどこからも入ってきてないけど、写真付きのレポート、けとちゃんから、来るといいなぁ。。。。みんなの健康と、ますますの活躍、祈っていますぅぅぅぅぅぅ。
こんにちは。初めまして。
境華楼を検索してこちらに参りました。三ツ境周辺に住んでいます。
おいしそうな写真を見たら久しぶりに行きたくなりました。
昭和43年からたびたび利用していました。黒縁眼鏡の先代は広東の伝統で色の淡い、香りの高い料理を作っていました。二代目さんの調理もかなりのものだと思います(中華丼が醤油を使った茶色になったのが残念ですが)。
見慣れた光景が写真になっているとちょっと不思議な気がします…。
Shiraさん、コメントありがとうございます。私は、今はカナダに永住して、25年目。でも、三ツ境駅を、4歳の頃から、成人になるまで、利用していました。今でも、実家の母は、堺華楼好きです。お行儀や、しつけに厳しい、おかみさんが、フロアーに行て、子どもをちゃんと、静かにしょくじをさせられない若いお母さんがいると、叱られたりしてたのを、子供心に覚えてます。心のこもった味。あ~~~、サンマーメン、食べたくなって来ました。中華丼は、あそこで食したことはまだないですが。。
小粒さん、こんにちは。
カナダに25年ですか…。
私の高校の同級生が米国に30年在住していて、先日来日してプチ同窓会をしました。また、私が家庭教師で英語を教えていた一家もニュージーランドに移住。こうしたことが身近になったものだと思います。
三ツ境駅からは富士山がよく見えます(相鉄の駅で最も標高が高いのだそうです)。
ブログ友達の「茶飲み富士サン」が変わりゆく富士の姿を記録していらっしゃいますのでご紹介しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/pocochan5/
コメントありがとうございます。
三ツ境の標高のことは、知りませんでした。そうだったんですね。茶飲み富士サンのブログ、覗かせてもらいました。懐かしい三ツ境からの眺めです!。
ブログ友達。。。ということは、Shiraさんも、ブログかかれているのですか?。
はい。最初のコメントの署名にリンクしておきましたので、よろしければたどってみてください。
乗り物系でもう一つ書いていまして、そちらにはこのコメントの署名からどうぞ~。
Shiraさん、ブログ二つとも、覗かせてもらいました。時間があるときに、もっとじっくり読ませていただきます。 通訳をめざしていらっしゃるんですね。
私は、こんな環境で、25年生きてくる中で、ガイド時代は、企業訪問の通訳、学生のプログラム(ESLや、Homestayや、教育プログラム全般の、手配、カスタマーサービス)観光客の方の病気や事故の際の医療通訳を、仕事がら、幾度となくやりました。
今は、通訳業務はほぼ、ないですが、(会議の顧客とのやりとりが、すべて英語なので)通訳、翻訳、つまりは、言葉をつなぐ仕事には、とても、思い入れがあります。
ブログ、じっくり読ませていただきますが、そのうち、私のブログのリンクに貼らせていただいても、よろしいでしょうか??
リンクはどうぞご自身の判断で付け外しをお願いいたします。
国際展開をしているプラント・建設会社に勤務していたので、社内の国際会議や施設見学の手配をときどき担当しました。身内でも手がかかるので、小粒さんがされていたお仕事だといろいろ大変なこともあったのだろうと想像しています。
私が、通訳ガイドをしていた時代は、この辺りにには、正式に認定さているような通訳者がおらず、たまたまいた旅行会社も、脅威的にいい加減で、お前の英語は、まともだから、言って来い。。くらいのノリで、出され、森林関係の視察、姉妹都市提携のセレモニー、牛の受精卵移植や、受精卵のカナダからの輸出をしている農場視察。。。。専門用語を事前に勉強して行っても、専門用語に関しては、日本からの派遣団の方の方が、正しい言い回しを知っていたり。。。で、全くもって、現場でモミクシャにされながらの、超独学でした。よくも、生き延びた。っていうのが、ホントのところです。正式にまなんでいらっしゃるのは、羨ましい限りです。会議通訳だと、同時通訳を目指されているのですか?。今は、会議のコーディネーターをしていて、時に国際会議だと、英語とフランス語の同時通訳を手配するくらいで、あとは、ここが観光地なので、日本からのお客さんが困ってたら、町でたすけことはありますが、通訳っていう仕事からは、離れてしまいました。でも思い出すと、いい経験が一杯です。ところで、Shiraさんも、50代とお見受けしますが、私は、昭和36年組です。娘も、言葉とコミュニケーションに興味を持っており、日本が死ぬほど好きなので、将来、やはり、通訳のような仕事も、視野に入っているようです。話が長くてすみません。
私も昭和36年組です!
ひょっとすると鼻の頭を赤くして真冬の三ツ境駅に時を同じくして立っていたかもしれません。
小中は南瀬谷でした。高校は小田急相模原の東海大相模。せっかくの付属校だったのですが、大学は多摩センターに移転した中央大に行きました。
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通訳は(翻訳ほどではないにしろ)志望者が多く買い手市場化が進んでいます。同時通訳は must のようですね(逐次の案件で出向いても、その場の事情で同時も、ということもあるとか)。
「遅く来た」おじさん通訳者としてやっていくには他の人が避ける仕事から入ろうかと、工場・鉱山・IR(通訳者が泣いちゃうくらい罵詈雑言あびるやつ)などの機会をうかがおうかと考えています。
養成機関で訓練を受ける利点は
「現場で通用する下地があるかを見てもらえる」
点ですね。市場に出るのは自分の判断なので、受け身だといつまでたっても「あのけっこうできる生徒さん」のままになってしまうようです。
ですから、小粒さんのように
「現場でモミクシャにされながら」
というのが不可欠じゃないかと思います。上級クラスには現場に出て自分に必要な訓練に気づいて通学を再開した人も多いようです。
Shiraさんのブログを覗かせていただき、アメーバの方で、メッセージを送りました。ご覧ください。
こんにちは。初めてコメントいたします。境華楼で検索してたどり着きました。
私も小学校の時から大学時代に三ツ境を離れるまで境華楼が大好きで、東京住みの今でも無性に食べたくなったときにネットで検索して画像を見たりしています。今でも実家が三ツ境(正確には阿久和)にあるのでたまに帰るのですが、欠かさず境華楼に立ち寄っています。確かに餃子の味は変わらないですねー。私がいつも頼むのは、焼きそば(五目ではない、普通の焼きそばがおすすめです)と炒飯です。書いているうちに食べたくなってきてしまいました笑。ただ、現在の三ツ境の商店街のさびれっぷりは驚くほどで、昭和のにぎやかだった頃のおもかげはなく寂しい限りです。
SSさん、コメントありがとうございます。
三ツ境の南側は昭和の時代のにぎやかさは陰を潜めてしまいましたね。。。。
再開発とか計画されないのでしょうか。古きよきテイストを再現しつつ。の。
テーマの絞られないランダムブログですが、良かったら覗きにきてくださいませ。
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