朝、お座敷の大広間に、準備されてて、
(トースト等の洋風朝食のオプションあり。)
風味も味わいも良い感じでした。ここのご主人ご夫婦、1988年だかに、バンフを旅行したことがあるそうで、(確かにバブルの最終期で日本人山ほど来てた時代。)話をきっかけにバンフを懐かしく思ったか、おしゃべり。
(地元の人とのおしゃべり。とか、結構好きだし、楽しいわけで。)
お世話になりました~。
高山駅のコインロッカーに荷物を預けてから、
朝市散策~。
川にたくさん鯉。こんな風景だけで、『日本』を感じるわ~。
往復、いろんな露店を覗いて、少々お買い物、お土産ものも見つけられました。
その後、昨日も来たけど、再びの古い町並み~。
この朝は、外国人の姿が昨日の午後よりかなり少ないタイミングと重なり、
人通りも静かめだったので、
まったり?ほっこり?しました。
人気の少ない、
通りを
通って、
『あるこ~、あるこ~、わたしは、げんきぃ~。』
『あるくのだいすきぃ、どんどんい。こ。う。』
何気ない、でもきっと地元の人にしたら、『普通』の朝の風景か。
もう一つ別の陣屋の朝市にも来ました。
工芸品、朴葉、漬物、おみやげ物、などなどありましたが 、美味しそうなもの、新鮮な野菜、なんせカナダにはもって帰るわけにもいかないので、
私は、この陣屋に興味があったので、
(高山陣屋は、江戸時代に飛騨が幕府直轄領となってから、代官や郡代が執務した役所。郡代役所の主要建物が残っているのは全国でもここだけ。)
光は、アンテナ触れなかったから、市場で別行動~。
入場料、数百円でしたが、
ここは、素晴らしい!の一言に尽きる。っていうか、上手い言葉では表せない、妙に感動的な建屋でした。
隅々、本当に良く管理されてるし、
当時の御代官様の事務所、
裁判所、
法廷(お沙汰を聞くところ)
お役人さんの役職の高い順から、順番にそれぞれの個室の事務所。
一周ぐるり。
門外からのぞいた時には、考えもしなかった広さの、
建物でした。
全ての方々の部屋が、
全て中庭庭園に向いて開いていて、
とてもいい状態で保存されている風な長持。
全部の説明書きをゆっくり読む時間は使えなかったけど、
今回の旅で、
一番かもしれない、紅葉。
役所で、裏方ばたらきをしていた人たちが使っていたんであろう部屋や
台所。
昔の道具、広い土間。
いや、堪能しました。
大広間。
そして、巨大な蔵。(蔵の中だけは、写真撮影禁止でした。武家様の鎧兜から、さまざまな道具、その時代からのお宝?一杯秘蔵されています。)
どういう気候変動があったら、木がこんな風に育ってしまうのかは『???』ですが、
貝が口開いてるみたいな部分を手でさするとなにやら御利益があると信じられていたそうで、つるつる。になってます~。
記念?に、(いや、食いしん坊なだけです。)
お団子ぉ。
穏やかな秋、満足です~。
夕べの八角亭。
明るい中周辺みたら、駅前再開発にたてついて(??)絶対複数回立ち退き断ってんじゃね?って場所に立っていました。
頑固っぽい親父さんが家族経営的にやってる老舗な感じだったし。
ほらほら、ここの駅前交番も、可愛いデザイン。
高山から、富山までは、飛騨ビューの自由席に乗りました。
(駅改札で並んでいる時、私が母から借りて来たミニスーツケースの伸びちじみする引っ張る取っ手部分のねじが飛んで、壊れてるのを発見。今回の旅中の奇跡そのいくつか?で、周辺に落ちてたねじ、光が奇跡的に発見。 さらに、駅構内のお土産屋さんのおじさんに聞いてみたら、スクリュードライバー親切にも貸してくれて。。
待機の列に並んでいる間に、光が修理を終えてくれて。。。後ろに並んでた中国人風のおば様たち複数人に、『拍手!』されちゃった。)
自由席の車両乗り場には、いち早くたどりつき、
先頭にて車両に入れて、
無事空席発見。でも、自由席車両かなりの人が立っての移動になる混雑。
人気の路線なんだから、両数一つでも増やしたらいいのにな。
富山に向けて、
またまた、
里山の景色の中を、
縫って、
進む。進む。
とっても、
気持ちが晴れ晴れするような、
列車の旅ですわ。
山脈から、平野に出ました。
田んぼが続くのは日本ならでは、だけど、
カナディアンロッキーから、大平原に抜けて走る時のような、
解放感があって、
遠くに北アルプスが、まさに、カルガリーから望むカナディアンロッキー並みに見渡せました。
そして、到着、富山~、富山~。
さて、ランチです。
こういう、港から直送。の店を地元でいただく。のが最高でしょうね。
光は、実は2度目の来店。
(去年一回弾丸ツアーで来てるわけで。)
ぶれた~。5点もり。
7点盛り。
どれも、
これも、
おいしい~。
次の金沢に向けて、北陸新幹線待ちの間に、すんばらしいランチタイムを送れる事になりました。
JRパス、様様。。。です。
北陸新幹線。
台風被害から、全線復興を遂げていましたが、本数は少な目での運行のようでした。
あっという間に金沢着。
立派な駅に、Wow
加賀百万石の歴史の片鱗の一つでしょうか。
午前中、私が陣屋のとりこ。になっている間、朝市の片隅で、光はこの日の金沢のホテル、駅から徒歩10分弱、の所に見つけ押さえててくれました。
蓋をあけたら、泊ったここ、(Mystay 金沢キャッスル)Web サイトで事前予約だったら、素泊まり一部屋1万円以上なのに、当日だったからか? たたき売り状態で、一部屋素泊まり二人で6500円。っていう、破格値。普通に綺麗で、大阪のAPAホテルより客室は広いし、フロントさんは親切だし、大風呂ついているし、(朝の営業はなし。)部屋にもユニットバストイレ付だし、館内まだまだ新しいし、言う事なし。でした。
ホテルの親切なフロントの女性が色々教えてくれて、金沢駅から、バスで、『東山ひがし茶屋街』へ。
それも、JRバスが走っていたので、これまたJRパスご利用で乗れちゃった。
JRパス威力あるわ~。 (地方はJRバス、JR汽船、各所にあるからね。)
今日も、大きな空と穏やかなお天気が味方してくれてる。
歴史的保存地区にいざ行かん~。
高山のちょっぴり庶民的な古い町並みとは、
チョッと異なり、城下町のお茶屋街だったムードが。
前田利家さんは、芸術、嗜好、そして学問の普及にも、力を入れていた人らしいけど、百万石で、金が出ていた豊かな藩だった残像なり!。で、金箔屋さんの裏には、
(ここ、ありとあらゆるものが金箔、金粉仕立てでした。金のカステラ!?う~ん、触手は触れないけどなぁ。)
黄金の蔵。
内壁、金箔張りなんて、聞いたことも見たこともありませんでした~。
お日本人観光客モード爆発で、
私は写真を撮る手がとまらず、
光は、日本酒探訪、ワクワク続く。
地酒のカップ酒。
カナダでは青空の下での飲酒は、罰金物だけど。
1500年代の終わり、1600年代の日本、
武士に町人、農民、男性、女性、
どんな暮らしと人生だったのか。
レンタル着物でぷらぷらこの風情の中、町をめぐる。
最近の人気の一つらしいですが、日本人外国人を問わず、何人もお見受けしました。
さてさて、
バス停まで来ましたが、3種類3路線のバスが走っている様子で、JRバスを待つことしばし。次には兼六園を目指しました。
正面口とは反対の側の入り口近くのバス停で降りて、
神社を見つけ、
ちょうどこの時期どんぴしゃり。に当たった、この夜のライトアップに行こうとしたら、(時間5時ちょっと前。)
入り口の担当者さんが、日中の入場は5時で終了で、ライトアップの開門は5時半になります。というので、道を挟んだ反対側の金沢21世紀美術館内で、少々時間つぶし。
ここももっと時間をかけて来たら楽しめそうな場所ではありました。
たぶん館内のこのカフェで、
5時半を待っていた人もいた風。
そして、体験した、このライトアップが、
実はこの世の物とは思えないくらいに、
圧巻。
言葉になりませんでした。
もう、
水面と空と、
写真をひっくり返してみても、区別がつかないんじゃないか。と思う程。
コースをたどって、
池の周りをぐるっと。
もう、どの角度から見ても、ステキすぎで、実はここに貼っている写真だけでも、『汗』して選んでいる。って、分かります??
最後、ちょっとした小高い所から見下ろせる場所があって、
まるで魔法?か夢の国。
それも、この日は満月で、私達がいたその時間の中で、その満月が登ってくるところから、こんな風に水面に移る場所まで上がってきた。もう奇跡の連続。たまりませ~ん。
満足。満足。参道を通り抜け、
遠くに金沢場跡。を望み、バスで金沢駅まで戻ってきて。
この夜は光が検索で見つけてた、美味しい評判のお店とやらに行ったら、平日に満席で入れず、(予約を早めに。だね。次回は)
駅隣接ビル内の、
居酒屋さんで、夕餉。
金沢の珍味へしこって、お初。
今日も幸せに暮れるわけです。
カニ味噌ぉ。
焼きおにぎりが好きな私ですが、この夜はへしこ茶漬けにしてみました。
加賀百万石からとうとうと歴史を紡いでる金沢。
ものすご~く、Welcomeされた気になって、金沢再訪確定!を心に誓うような場所だった、満足な一日でした。
ホント~に、お天気にも、場所にも、人にも、体験にも、味覚を楽しませてくれるものにも、次々に恵まれて。
誰に何をどれだけ、どうやって、『感謝』したらよいのか、まるで分からないバケーションな日々が流れて行きました。
本日も、長々と写真紙芝居記事に目を通してくれた皆さまにも感謝。
0 件のコメント:
コメントを投稿